幸福は一点突破ではなく、多面的に取り組む活動 2021-02-02

今日のお題

高知さんのツイートとそれに対する斎藤さんのコメントがとても面白かった。高知さんは陰謀論を信じそうになった自分について、そもそもの知識がなく、知るのも面倒だけど、「裏を読む」ことでそんな自分が楽に賢そうな気分になれた、と言っており、それに対して、斎藤さんは裏情報という分かりやすい枠組みを通して表の知識を解釈することで、本来必要な努力をショートカットして表の知識に対してマウントが取れるので非常に強い誘惑になるとしている。

確かに何か1つの観点ですべてが説明できたり、これさえすれば良いというのはとても魅力的だと思う。この話を聞いて、法学からこの話を説明すると分かりやすいかもと思った。犯罪が起きた際に私たちは、かわいそうな被害者、悪質な犯人という図式や、政府や警察の陰謀などを元に容疑者の罪を判断したくなる誘惑にかられる。でも、法学で判断する際には、確か次のような要素で判断をしていたように思う。まず、事実の評価(何が事実なのか)、次に過去の判例や論点の整理、そして、今回のケースに当てはめる。

これを実際の生活の問題に当てはめるともう少し分かりやすいかもしれない。仕事で問題があった場合に、事実と思っていることは伝聞の積み重ねであれば自分には伝わっていない情報があるかもしれない。そして、その問題に対して問題を整理していくがここがつらい。いろいろな観点をその重みを評価しながら整理していくとどんどん話が複雑になっていく。これをそのままの状態で受け入れるのが専門性なのかもしれない。但し書きのない無条件の結論はあり得ないが、それを1つずつ理解していくのはとても骨が折れる。最後に、それぞれを今抱えている問題に当てはめて総合的な評価を下す。こうなると自分がすべての分野で専門家になるのはとても難しいように思う。専門家になれないにしても専門家の意見を評価する必要はある。

このように考えると、物事をきちんと判断するためには曖昧さや複雑さを受け入れる姿勢が必要であると言えるのではないだろうか。私たちの多くが人生の目的とする幸福についても、この姿勢は重要なのだと思う。仕事の専門性を突き詰めるというのもある意味で枠組みのようなもので、それだけで上手く行く場合もあるかもしれないが、より多くの要素で人生が成り立つし、仕事、家族、趣味、友人関係、お金それぞれにポイントがあり、総合的に判断しながら手を打っていく必要があるのだと思う。

そうやって考えると、ITエンジニアが技術を突き詰めると割り切ってしまうのはやや危険な気もする。自己研鑽はもちろんしていきたいが、営業やマネジメントなどもっといろいろな要素があるというのは理解しておくべきだろう。

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