ヴィンランド・サガを読んだ 2021-02-11

今日のお題

納品のない受託開発で有名なソニック・ガーデンの倉貫さんのブログ記事を読んでて面白いところがあった。

私の好きな「ヴィンランド・サガ」という有名な漫画で語られるのは、暴力は最後の手段で、いかに最後の手段をとらずに済むか、最初の手段は話すことだといったニュアンスのことが語られます。

なんか分かるような、分からないようなと思い、気になってもいたのでヴィンランド・サガを読んでみた。これは、11世紀の北欧~ヨーロッパを舞台として、ヴァイキングの青年を主人公とした冒険物語で、舞台設定が珍しく、また展開もとても面白かった。

で、上の引用のところも読んだ。文脈としては、暴力は最後の手段と言われる割に良く取られる手段である、じゃあ暴力を本当に最後の手段だとすると最初の手段は何だろうか、と問う場面があった。

このエピソードはとても面白い。何というか、単に理想を追い求めようというのでもなく、話せば分かるというのともちょっと違う。何というかしなやかな感じだった。何か問題が起きたときは、AかBかで迷いがちだけど、AもBもとらず、いったん棚上げするという姿勢は大事かもしれない。

また、もう一つ、同じ理想を持ちつつ、全く別の方法で取り組む登場人物について肯定的な表現もされていて、行き方が違うだけで、一緒に理想を目指す仲間という扱いだったのもとても良かった。

面白さのもう一つの理由は物語の展開の良さかもしれない。主人公が葛藤を解決して成長した後は、他の人がその主人公によって問題や悩みを解決していく。主人公が苦しみを抱えた存在から状況を打開するトリックスター的な役回りに移る。

ちょっと思い出したのは、NHKの大河ドラマおしん、だ。おしんは子どもでも大きくなってもずっと辛い目に遭う。一時良い時期もあるが、基本的にはつらさしかない。ただ、昔の日本ではおしんは共感を集めていたと思う。それはおしんでは頑張っていれば周囲が評価して、引き上げてくれるが、人生は浮き沈みがあるものであるという価値観があるから。

じゃあ、ヴィンランド・サガの価値観は何だろう。今の物語から読み取れるのは、葛藤を克服することで人として大きな成長が得られ、周囲からも認められる、という価値観だろうか?また、理想を語る際のヒヤッとする気持ちだろうか。

とにかく読んでみて欲しい。

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