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二人のプリンセス 愛と憎しみの魔法 第九話 舞踏会(4-4)

 足下がグニャッと柔らかくなり、足が沈む。
 あっ、と思ったときには遅かった。辺りは闇に包まれ、奈落の底に落ちていく。臓腑が上に浮く感覚に、身体が強張って叫ぶこともできない。
 あまりの落下速度に意識を失いかけたが、ミレーネは気力を振り絞って身体が浮くように念じた。
 急に落下速度が落ちたのに、底に引っ張られるような感覚が不快だったが、ミレーネは神経を集中させて、上へ上へと泳ぐように上っていった。

 光が見える。地上だと喜んだ矢先に、頭上から網が投げられ、避ける間もなく絡めとられる。手足をばたつかせて必死で脱出を試みたが、罠にかかった動物のように木の枝につるされた。
 木の枝の上に立つのは、紺色のメイド服姿の女。吊るされたミレーネを見下ろす目が、赤く光った。

「メルシア、やっぱりあなただったのね」
「やっぱりお前かってセリフは、こっちが言いたいわ。何度私の邪魔をすれば気が済むわけ? せっかくいい獲物を見つけたのに、横取りしようとするなんて、本当に目障りな子ね。今度こそ消してやるわ!」
「横取りですって? そういえばメルシアは、昔から真実を曲げるのが得意だったわね」
「なんですって⁉ 何が言いたいの」
 メルシアが気色ばんでミレーネの話に噛みついてきたので、ミレーネは心の中でその調子と自分を励ました。
 ここが現実の世界なら、時間を稼いで誰かにメルシアの存在を知らせなければ。

「横取りっていうのは、メルシアとルキウス殿下がお付き合いしていて、私が間に入った場合をいうのでしょう? ルキウス殿下は優しいから、私に同情してくれただけよ。私はメルシアと違って、術でルキウス殿下を誑かすことなんかしないもの」

「それは、暗に私に魅力が無いと言っているの?」

「ほら、また物事を曲げて取るんだから。メルシアは魔力もあったし、努力して知識を身に着けてマナーも完璧だった。人々から一目置かれるレディーだったのに、どうして権力なんか手に入れようとするの?」

「生まれも血筋も正統なプリンセス・ミレーネは、十七歳になっても世間知らずでいらっしゃること。どうかしら? 今の私にこの澄ました言葉が似あう? 私が最初から王弟ヘンリーの血を引いていないと分かっていれば、誰も私を相手にしなかったわ。手が届きそうなところにトップの座があったのに、あなたのせいで罪人にまで落とされた。この悔しさと憎しみが、銀のスプーンを咥えて生まれたあなたに分かるかしら?」

 ミレーネは、そんなの言いがかりだと返したかったが、メルシアの目が完全に据わっているので、さすがにこれ以上会話を続けるのは無理だと思った。

 メルシアが手のひらを上に向け、もう片方の手を翳す。両手の間で光が弾け、五本の指から蜘蛛が糸を伸ばして下りてくるのが見えた。
「覚えているかしら、侍女たちをぐるぐる巻きにした巨大な蜘蛛を。でも、今回は戯れじゃなくて、糸で巻いて保存せずに、そのまま食べるように命令したわ。小さいけれど獰猛よ」

 五匹の蜘蛛が網に到着した。
 動いてはいけないと思いながら、四方に散らばり始めた蜘蛛に恐怖を覚え、居場所を知るために身体を捻る。蜘蛛が手に飛び乗りミレーネの指を噛んだ。

「きゃ~っ。痛い! やめて」

 指を振ると、落ちたように見えた蜘蛛が、ミレーネの指から伸びた糸にぶら下がっていた。傷は小さくうっすらと血がにじむ程度だ。
 平常心ならば、たった二㎝の蜘蛛など何度も振り払えばいいだけのことなのに、五匹の蜘蛛が次はどこから来るのか見当もつかず、ミレーネはただパニックに陥った。ぽとんと膝に落ちてきた黒い塊を見つけて、金切り声を上げた。
 木の上でメルシアが身体を折って笑っている。こんなものが怖いのかと。
 シュッと風を切る音がして、網を吊るしたロープが半分切れて、ガクンとミレーネの身体が網ごと傾く。木の幹にはナイフが突き刺さっていた。

「あそこだ。木の枝にいる女中を捕まえろ! 網の中の王女は傷つけるな」

 ミレーネが下を見ると、ルキウスが近衛兵を連れて指揮を執っていた。
 弓に矢をつがえたルキウスが、メルシアを狙う。咄嗟に木の陰に隠れたメルシアの肩を矢が掠った。

「おのれ、ルキウス、これを食らえ!」
 メルシアが両手を合わせて引き離すと、数えきれないほどのムカデや毒蛇が入った大きな玉が現れた。
 ミレーネは阻止できるものを探したが、辺りには木の枝と五匹の蜘蛛しかいない。せめて魔法量があれば、あの悍ましい玉を消し去ることもできただろうけれど、メルシアのパワーがこもった玉に今の力では負けてしまうだろう。

 蜘蛛が肩と膝に乗る。怖気が立ったが、触れている分魔力が浸透しやすいだろう。ミレーネは必死で念じた。
 メルシアが背の高さほどの球体を、両手でぐんと突き出すと、その球はルキウスめがけて飛んで行った。
 ミレーネが一段と強い思念を蜘蛛に送った途端、蜘蛛は勢いよく糸を吐いた。飛んで行った玉がルキウスの頭上で弾けたとき、五匹の蜘蛛から吐き出された大量の糸が粘り気のある目の細かい網になって、ムカデや蛇を包んで落ちていく。
 ルキウスと近衛兵たちが、瞬時に飛び退る。誰も被害を受けずに済み、ミレーネはホッと安堵の溜息をついた。

 近衛兵が止めるのも聞かずに、ルキウスが剣を構えてメルシアとミレーネがいる木に向かってくる。間髪を置かず、木々の間から招集命令を受けた兵士たちがぞくぞくと姿を見せて、ルキウスに続いた。
 メルシアは血が伝わる左腕を押さえながら、舌打ちをした。

「ルキウス。よくも傷つけてくれたな。この傷の何十倍、何百倍も痛みを、お前の大切なものに与えてやるから、覚えておけ!」
 メルシアが捨て台詞を残して、木の上から消え、五匹の蜘蛛たちも一匹も残らず消え去った。

 兵士たちに、引き続きメルシアを捜査するように命じたルキウスが、残った兵士の手を借りて、網からミレーネを救いだす。自由になったミレーネは、ルキウスの腕にしっかり抱きしめられた。

「サー・ロバートがメルシアの操術から解けて、真っ青な顔で私を呼びに来た。悲鳴を聞いたときには、まだ返事ももらっていないのに、手遅れになってしまったのかと、心臓が止まりそうになったよ」

「ル、ルキウスさまも、ご無事でよかったです。あの、返事って何の……」

 はぁ、とため息をつきながら、ルキウスが腕を解いてミレーネから離れる。
「私はミレーネと一緒に未来を築こうと二度ほど伝えたはずだよ。今まで君は、イゾラデ王国のことを中心に考えて恋愛どころじゃなかったかもしれない。女性として真っ新なミレーネも、頭の回転が速くて辛辣な返事を反す君も、私はとても好ましく思っている。婚約者として君をみんなに紹介してもいいだろうか?」

 固まってしまったミレーネの手を取り、ルキウスがテラスに向かって歩き出す。
「嫌なら早く振り払わないと、このまま連れていくよ。紹介の後で返事を聞いても構わないけれどね」

「い、嫌じゃないです。でも、私で本当にいいのですか? 私は何も……」

「自分を否定するのは、もうやめよう。私の未来の妃のいいところを、君はこれからひとつずつ探して認めて、私に見せてくれるかな。私は君が自信なさ気に差し出したそれら全部をひっくるめて、君を大切にすると誓うよ」

 このときミレーネは、初めて女性でよかったと感じた。アレックスが生まれて女王の座から解放されたことも、ルキウスに会うためには必然的な出来事だったのだと。
 私は従順な妃ではなく、トリスタナ王国を潤し発展させるのに、未来のルキウス王から相談を持ち掛けられるような立場になりたい。
 ミレーネは、未来に明確なビジョンを抱いたのも、これが初めてだということに気が付いた。
 ルキウスとなら……その先は沢山やりたいことを、二人で実現させていけばいい。
 ミレーネは、ルキウスの手を握り返し、しっかりとした足取りで光溢れる大広間に入っていった。


次はエピローグです。どうぞお楽しみください(*´▽`*)
二人のプリンセス 愛と憎しみの魔法 エピローグ(1-4)|風帆美千琉 (note.com)

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