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思い出に残る取材の裏話(2)

ZOOM1998
あのガブ君、スーパーモデル体型美女とのデート現場 有森裕子さん、
このサンフランシスコでの実態をご存じか?
週刊ポスト
発行日
1998年09月04日

ガブリエル浮気現場(週刊ポスト)1998-9-4.pdf

 元マラソン選手有森裕子が、ガブリエル・ウィルソンと付き合っていたのは、彼女が結婚する前年(1997年)の8月には、「週刊ポスト」に郵送されてきた、たれこみの手紙からわかっていた。当時の手紙には差出人こそ書いていないが、コロラド州ボールダー在住の日本人から、「マラソン選手の有森裕子が、ガブリエルというアメリカ人と真剣に付き合っている」という内容のことが書かれていた。さっそく調べたが、その時点では調査は進まなかった。ガブリエルが、苗字ではなくファーストネームだったからだ。そして、翌年の1月彼女が結婚したと同時に、フルネームが発表された。ぼくはすぐにボールダーに飛び、ガブリエル・ウィルソン(通称ガブ)のdue diligence を行った。due diligence とは、人物調査である。自己破産したことがあるか、学歴詐称はないか、ガブが有森に言ったことに嘘はないか、調べられることをすべて調べあげることである。

◆ガブの嘘

 最初にわかったのは、ガブの免許証が偽造であること、小額の不渡りを無数に出して、訴訟を起こされていること、それはすべて公開情報で入手できるものだ。そういう情報を持って、有森の自宅を直撃したら、ぼくが一言言う前に彼女はパニックになった。
家の中にはガブがいることが見えたが、出てくる様子もない。しばらくすると警察が来た。恐らくガブが呼んだのであろう。警察は英語しかわからないから、当然ガブが助けに出てくると思ったが、出てこなかった。出てきたら、自分が調べたことを有森がいる前で明かそうと思った。有森の英語はまったく警察に通じない。
警察はぼくに彼女が何を言おうとしているのかと聞いたが、ぼくにもわからない。それでもガブに助けを求めない有森の気持ちもわからない。ガブは日本語もできるはずだったからだ。このままではどうしようもないのでとりあえず、引き上げてホテルに戻った。

◆取材に「やりすぎ」はない

 夜になって、また彼女の自宅に行くと、今度は自分が朝、取り乱したことをぼくに謝った。ぼくは自分がガブについて調べたことを冷静に一つ一つ教えてあげた。それが金曜日の夜だ。彼女の顔が次第に青ざめて行くのがわかったが、恐らく何も知らないまま結婚してしまったのだろう、と思った。夫婦で緊急記者会見を開いたのは、翌週の水曜日だった。そのときのガブの発言が”I was gay.”だった。有森の属する会社から「大野という記者は取材のやりすぎだ」というクレームの電話が編集部に入ったと後から聞いたが、担当編集者も笑っていた。取材にやりすぎはないことをここで明言しておく。活字にする段階でいくらでも調整できるので、取材中にこの辺でやめておく、という姿勢はよくない。最初からそのような姿勢でジャーナリズムの世界に入ることは根本的に間違っている。どこまで公表するかは、取材とは別の問題である。
 それから、ボールダーのゲイクラブに片っ端から取材に行き、今度は有森がいないことを確認してからガブに直撃した。すると、ぼくの手をさっと引いて簡単に家の中に入れてくれた。その瞬間”I am gay.”と言われたので、腰を抜かしそうになった。記者会見のときは<was>だったが、今度は<am>に変わっていた。
ぼくの報道がきっかけとなったと思うが、有森はガブと距離を置くために、別居することになった。ぼくがやった記事で、こういうふうに別居が生じたり、辞任が生じたり、会社の制度が変わったりすることは過去何回もある。もちろん個人的に攻撃を受けそうなときは名前を出さない。記事の差し止め裁判も複数回経験しているが、すべて勝訴している。

◆ボールダーからサンフランシスコへ

 有森は別居後、「ガブはサンフランシスコで小さなアパートに住み、スーパーマーケットでこつこつ働き、心を入れ替えようとしています」とぼくに言った。ぼくは、そのこともにわかに信じられず、いよいよ真相を明らかにすべく、ガブのサンフランシスコの居場所を突き止めるために、飛行機に乗った。機内で「もし、8月の段階でぼくが調べたことを彼女に教えていたら、結婚していただろうか」とずっと考えていた。   

有森夫妻が別居したというニュースは日本中を駆け巡った。ガブの母親の離婚・結婚の繰り返し、父親の異常な過去を考えると、普通では想像できないガブの育ち方もわかる。そういうことを何も知らないまま、有森は結婚したのだろうか。もし違いが日本人とアメリカ人という人種的なものだけで、育ち、性格など、他の部分がすべて同じだったら、有森はそういう日本人男性と結婚していたのだろうか。アメリカの田舎で、英語がろくにできず、毎日車で(注:免許証偽造のまま)迎えに来られたら、ほとんどの日本人女性は、そのやさしさに参ってしまうのであろうか。
 そういうことを考えると、ガブがサンフランシスコでどのような生活をしているのか、本当に質素な生活をして、スーパーマーケットでこつこつ働いているのか、素朴な疑問がわいてくる。実態が逆であれば、ニュース価値が出てくることは間違いないからだ。

◆取材に嘘は付き物

 情報を得るために嘘をつかねばならないことがあるが、その嘘はできるだけ人を傷つけないものでなければならない。極端に言えば、嘘をつかれたことさえも最後まで気づかれないものがいい。そのために相手の弱みを知ることは、FBI捜査員やCIA要員が情報を得る方法とまったく変わらない。いかにして情報を得るか、それは取材の成否にかかわるのだ。
有森に電話して、最初からガブの連絡先を教えてほしいと言っても教えてくれるはずがないし、一旦そういう取材の動きがあることが少しでもばれると過敏になり、警戒し始めるので、どれほど慎重になってもなりすぎることはない。情報を得ていくどの段階でも一発勝負だ。一回の失敗も許されない。
 ガブの最も脆いところは、credit bureau(信用調査所)であることは自明の理だった。あれだけ不渡り小切手を切り、(実際に銀行で過去1年間の不渡り小切手を見せてもらったが、行員もあきれて、開いた口がふさがらなかった)、小額(50ドルとか80 ドルとかのレベル)であれだけ訴訟を起こされているので、credit bureau と名乗ると、必ずびびるはずだ。
まず、最初に英語で有森の自宅に電話する。有森は英語ができないので、すぐに英語のできるお手伝いさんに替わった。credit bureauからだと言い、ガブリエル・ウィルソンに話したいことがあるというと、あわてた口調ですぐにガブの携帯番号を教えてくれた。相手も「また!」と焦ったに違いない。その携帯番号から登録の住所を割ることは簡単だが、出てくるのはボールダーの有森の住所の可能性が高いと判断してやめた。他の方法はいくつかあるが、本人に訊かずに探す方法を考えなければならない。
とりあえず、携帯のスイッチが入っていると、居場所がわかるので、まず携帯番号からプロバイダーを探偵(元FBI捜査員)に調べてもらい、どこに電話したらいいのかも訊く。そのとき、探偵は、「そういうときは、his doctor(彼のかかりつけの医師)という立場を使うと、居場所を教えてくれる」とぼくに知恵を貸してくれた。さっそく、プロバイダーに電話して、「ガブの医師だが、さっき電話があり、すぐに来てほしいと言われたが、こちらから電話しても鳴りっぱなしで応答がない。今どこにいるか大至急調べてほしい」と、電話口で言う。こういうときは、気持ちの面で彼のかかりつけの医師になり切らないと途中でつまってしまう。少しでも疑われたらおしまいだ。オペレーターは、彼はハイウェー何号線のどこを走っているところだと正確に教えてくれ、明らかに車で移動していることがわかった。親しい知人に現役のFBI捜査員がいたが、「あなたのやっていることと私のやっていることは同じだ。違いは捜査上得た情報を公開するかしないかである。」と言われたことがあるが、個人情報入手はよく助けてくれた。取材という目的が明らかなので、喜んで教えてくれた。

ガブリエルの居場所を突き止めるには、車の移動が止まるまで待つしかない。移動が止まったら教えてほしいとぼくの携帯番号をプロバイダーに伝えると、15 分くらいしたらかかってきた。ガブの車が完全に停止したというのだ。その場所こそが住んでいるところだろう、と思った。そして、その住所を訊くとあっさり教えてくれた。

◆the fruit of serendipity

 これで、ガブにばれずに居場所がわかった。さっそくその住所に行ったが、そこはスタンフォード大学を見下ろす山奥にある、超高級住宅地であった。正式な訓練ができるプール付の豪邸だ。見た瞬間腰を抜かしそうになった。有森が言っていた「小さなアパート」はどこにあるのだろう。
 家の前に車を止めるとすぐにばれてしまう。そこに車が止まっていること自体がおかしいからだ。その日はそのまま引き上げだ。そして、ホテルの部屋に戻り、詳しい地図をみながら、その家から街中に出るルートをみると、山を下りたところが、待ち伏せするにはちょうどいい場所であると判断した。ガブの車が来るとみただけでわかるので、通りすぎた瞬間に追尾することにした。探偵のミニバンにはいろいろな装置がついていて、長時間張り込まなければならないときのためにトイレまでついている。外からはまったく中が見えないので、安心して車中から撮影ができる。尾行していることがばれたらいけないので、ときどき追い越し、バンの後ろから運転するガブを撮影する。もちろんそのときはまさか相棒とデートするとは思ってもみなかったので、彼の車が止まり、男のような女(元男性かもしれないが)とデートするのを目の当たりにしたときは、思わず興奮してしまった。予想外の収穫になってしまったからだ。自分の心拍数が増えてくるのがわかる。とにかく、隠し撮りできるところはできるだけやるしかない。取材は恐らく拒否されるだろう。
  取材はやってみないと何が出てくるかわからない。実際この取材は数週間かかっており、この結果は計算ずくめの結果出てきたものである。偶然そこに居合わせる可能性はゼロに近いからだ。今回もガブが有森の言うように「質素な生活」をしているかどうかを調べるために、居場所を探すのが当初の目的だった。ガブが有森以外の人と付き合っているという情報が先にあったわけではない。こういうのを英語でthe fruit of serendipity という。スクープに必要な運だろう。どの分野でもそうだが、成功には運が必要である。

追加情報: 2011年7月有森さんはガブリエルと離婚したが、ボールダーの家はコロラド州の資産分割の法律によって、半分ガブリエルに持っていかれている。彼の計算通りだっただろう。

©Kazumoto Ohno (大野和基)

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