見出し画像

雑談:歯科衛生士が浸潤麻酔していいのか問題

歯科衛生士による浸潤麻酔行為について、日本歯周病学会は今年2021年3月下記の見解を示しました。

歯科衛生士による局所麻酔行為に対する特定非営利活動法人日本歯周病学会の見解

これまで日本歯周病学会は、歯周病の予防・治療をベースにした歯科衛生士による国民の口腔と全身の健康管理を積極的にサポートしてきました。歯科衛生士は歯科医師とともに安全な歯科医療を提供していく上で極めて重要な職種であり、その前提として、必要な知識・技術・態度を卒前および卒後教育で十分に修得することが求められます。その上で日本歯周病学会は、日本歯科医学会専門分科会のひとつとして、浸潤麻酔行為を含む歯周病治療に積極的に関わろうとする全ての歯科衛生士の活動を支援すべく、求められる情報発信や必要とされる教育機会の提供にこれからも尽力します。

令和3年3月3日
特定非営利活動法人日本歯周病学会
理事長 村上 伸也

※強調は引用者によるもの


また、昨年2020年に発足された日本歯科医学振興機構(JDA)では「臨床歯科麻酔認定歯科衛生士」を認定しており、これも話題になりました。


近年このように歯科衛生士による浸潤麻酔行為が許容される流れができつつあることから、現時点での自分の理解とスタンスを整理しておくことにしました。


なお最初に結論を言っておくと

当院としては
→歯科衛生士に浸潤麻酔は行わせない

日本ヘルスケア歯科学会としては(代議員の意見として)
→歯科衛生士による浸潤麻酔行為を推奨すべきでない

と考えています。


適法性について→違法

まず適法性についてですが、歯科衛生士による浸潤麻酔行為は違法行為であると認識しています。

歯科衛生士法を見てみましょう。

第二条 この法律において「歯科衛生士」とは、厚生労働大臣の免許を受けて、歯科医師(歯科医業をなすことのできる医師を含む。以下同じ。)の指導の下に、歯牙及び口腔の疾患の予防処置として次に掲げる行為を行うことを業とする者をいう。

一 歯牙露出面及び正常な歯茎の遊離縁下の付着物及び沈着物を機械的操作によつて除去すること。

二 歯牙及び口腔に対して薬物を塗布すること。

2 歯科衛生士は、保健師助産師看護師法(昭和二十三年法律第二百三号)第三十一条第一項及び第三十二条の規定にかかわらず、歯科診療の補助をなすことを業とすることができる。

3 歯科衛生士は、前二項に規定する業務のほか、歯科衛生士の名称を用いて、歯科保健指導をなすことを業とすることができる。

※強調は引用者によるもの


歯科衛生士による浸潤麻酔行為は、第二条一項一号の「付着物および沈着物の除去」行為ではないし、第二条一項二号の「薬物塗布」行為でもなく、第二条三項の「歯科保健指導」行為でもないことは明らかでしょう。(まあ表面麻酔だけなら薬物塗布行為だと思いますが)

とすると、第二条二項の「歯科診療の補助」にあたるかどうかが議論になります。


日本ヘルスケア歯科学会の歯科衛生士業務(診療補助)に関する 業務ガイドラインページによると、厚生労働省は昭和40年7月1日の医事48において麻酔行為は「診療の補助」となりうり、相対的医行為であるという見解を示しています。

一方で、歯科衛生士国家試験レベルでは「歯科診療の補助」として麻酔行為は挙げられていません。
(例示として『キーワードで完ぺき! 歯科衛生士国家試験 直前マスター 歯科診療補助!』)


歯科衛生士による浸潤麻酔行為には主に2つパターンが想定されます。

1. 歯科医師が切削や抜歯などを行う際に行うもの

2. 自らがSRPを行う際に行うもの


今回、実質的に議論が必要なのは「2. 自らがSRPを行う際に行うもの」の場合と考えていいでしょう。

なぜなら1. の場合はその場にいる歯科医師が麻酔を行えばそれほど問題が生じないのに対し、2.の場合は、
「SRPのみであれば衛生士単独でアポが取れるが、麻酔が伴うと歯科医師のアポも必要になってしまう」
「予期せず麻酔が必要となった場合、歯科医師のアポが取られていないため、歯科医師の診療に影響が出てしまう」
といった問題があるからです。

このためSRP時に衛生士単独で浸潤麻酔を行うことには大きなメリットがあるといえます。


では「2. 自らがSRPを行う際に行うもの」における歯科衛生士の浸潤麻酔行為が「歯科診療の補助」といえるかどうかですが、これは無理があるでしょう。

1. であればあくまで歯科医師の行為が主要な「歯科診療」であり、麻酔行為はその監督のものでの「補助」といえる余地があります。

しかし、2. の場合はSRPを歯科衛生士が行っているわけですから、「補助」というには明らかに無理があります。


以上のことから、歯科衛生士による浸潤麻酔行為は(現実に最も想定される、自らSRPを行う場合において)違法行為であると理解しています。


患者さんの不利益1:麻酔行為の質の低下

次に患者さんの利益、つまり歯科医療としての質を考えたとき、歯科衛生士による浸潤麻酔行為を許容することがどのような影響を与えるかについてです。

これについての1点目として、まず麻酔行為そのものの質の低下が想定されると考えます。


単純に手技の問題だけでいえば、歯科医師より場数を踏み、才能ある歯科衛生士であれば、歯科医師に劣らない浸潤麻酔行為を行うことは可能でしょう。

しかしながら、麻酔行為はただうまく注射すればいい、つまり術中だけを考えればいいというものではなく、アナフィラキシーショックを始めとした術前術後のトラブル対応も含め、十分な知識や口腔内全体に対する正しい理解が必要とされるものです。


したがって、これまで歯科医師が専従的に行っていた麻酔行為を歯科衛生士に移譲することは、その行為の質の低下を呼び込むと考えられるでしょう。


患者さんの不利益2:衛生士のSRP技能向上の阻害

次に懸念されるのが、歯科衛生士のSRP技能向上の阻害です。

どういうことか解説します。


まず、これまで歯科医師が行っていたSRP時の浸潤麻酔を衛生士が行うようになることで、衛生士はこれまでより気軽に浸潤麻酔を行えるようになるでしょう。
忙しい歯科医師に頼んでわざわざ時間を取ってもらう必要がなくなり、自分さえ都合をつければよくなるからです。

これは、一見すると、患者さんの苦痛がより手軽に取り除かれることで、患者さんに利益があるように見えます。
もちろんそのような側面があること自体は事実でしょう。


しかしながら、SRP時に患者さんが痛みを感じるのは「技術が不十分であるがゆえに歯肉を傷つけている」場合が少なくありません。
もちろん痛みの感じ方は個人差があるので、100%すべての人にSRP時の浸潤麻酔が不要なわけではありませんが、十分な技術を持ち正しくSRPを行えばほとんどのケースで浸潤麻酔は不要です。

自らが気軽に浸潤麻酔を行えることで、わざわざ歯科医師に頼む必要がなくなり、たとえ患者さんの歯肉を傷つけても衛生士はただ「麻酔すればいいや」という意識になりやすくなってしまいます。

歯肉を傷つけることで歯肉退縮が進むなどの悪影響が起こることはいうまでもありません。

これにより、歯科衛生士のSRP技能向上が阻害されるという懸念があるわけです。


ゆき歯科医院の方針とその理由

まず当院の方針としては先に述べた通り、歯科衛生士に浸潤麻酔行為はやらせません。

理由としてもこれまで述べたことほぼそのままです。

まず第一に
「麻酔の質が低下し」
「衛生士のSRP技能向上を阻害する」
ということは、当院の「患者さんの健康」という第一目的に沿わないため、その時点でNGです。

そして違法行為であるならばなおさらでしょう。


ただ、もう少し付け加えるならば、「たとえ違法行為であっても広く受け入れられており、実質的には適法も同然」であれば、適法性の観点からは実施の余地があると思います。

たとえばデンタル撮影時のフィルムのセットや、P検、SRPも、違法性の余地が全くないわけではない行為ですが、これらの行為は実質的にほぼホワイトなものとして広く許容されていることから、当院では衛生士が行っています。


とはいえ、繰り返しになりますが、たとえ今後歯科衛生士による浸潤麻酔行為が広く受け入れられ、適法性にほとんど問題がなくなったとしても、上記の医療の質の問題から、当院では衛生士に行わせるつもりはありませんが。


このあたりは例えば下記のnoteで触れた事例として、いわゆる自費コンサルを当院では必ず歯科医師が行う、というのと同じですね。

自費コンサルは衛生士どころか歯科助手が行うことも広く受け入れられていますが、たとえ適法であっても、きちんとした医療の質を担保するため歯科医師が行うべき、というのが当院の考えというわけです。


日本ヘルスケア歯科学会としての意見表明について

これも先に述べた通り、結論としては、学会として歯科衛生士による浸潤麻酔行為を推奨するような意見を表明すべきではないと考えています。

なぜなら日本ヘルスケア歯科学会はヘルスケア歯科医療、つまり患者さんの健康を目的とした、より質の高い歯科医療をより広く普及されることが学会の理念だからです。


これまで述べてきたように、歯科衛生士による浸潤麻酔行為は医療の質低下が懸念されます。

であれば、日本ヘルスケア歯科学会の理念と真っ向から対立してしまうでしょう。


日本の歯科医療界全体としては、確かに歯科衛生士による浸潤麻酔行為を推奨・許容する流れはあるのでしょうが、理念と対立する以上、学会としては肯定的な意見を表明すべきでないというのが私の考えです。


まとめ

・日本歯周病学会を始めとし、歯科衛生士による浸潤麻酔行為を推奨・許容する流れがある

・法律:歯科衛生士による浸潤麻酔行為は違法行為であると考えられる

・医療の質:これまで歯科医師が行っていた浸潤麻酔行為を歯科衛生士が行うことで、麻酔行為の質の低下が懸念される

・医療の質:SRP時により気軽に浸潤麻酔行為が行えることで、歯科衛生士のSRPの技能向上が阻害される懸念がある


・ゆき歯科医院では歯科衛生士が浸潤麻酔行為を行わない

・日本ヘルスケア歯科学会は歯科衛生士による浸潤麻酔行為を肯定する意見表明を行うべきではない


今後も歯科医療界の流れの中でこれらの適法性や妥当性は変わっていくものと思いますが、少なくとも当面は医院・学会とも否定的な立場に立つつもりでいます。


今回は以上です。


おまけ:歯科衛生士の地位向上につながるか

日本ヘルスケア歯科学会には「歯科衛生士による浸潤麻酔について考えるフォーラム」があります。
そこでは上記で語られた論点以外に「歯科衛生士の地位向上につながるか」という論点も語られているので、それについても私見を述べておきます。

これについては
「そもそもそれを論点にすること自体が的外れ」
だと考えています。


ヘルスケア歯科医療とは患者さんの健康を目的とする医療です。
歯科衛生士の地位向上というのはそのための手段でしかありえず、実際それについては定款や設立趣旨においてもなんら言及されていません。
学会にとって「やるべき活動」として例示されているものではないわけです。


歯科衛生士の地位向上は、一見すると歯科衛生士の質の向上につながり、歯科医療の質の向上につながり、患者さんの健康につながるように思えます。

しかしそれは遠因であって、何かが原因で歯科衛生士の地位が向上するならば、その「何か」がまず患者さんの健康につながっているかを考えるべきです。


一つ事例を考えてみましょう。
例えば今回と類似の事例として、歯科衛生士による歯牙の切削や抜歯が許容されたとしたらどうでしょうか。

歯科衛生士の業務範囲が広がるわけですから、浸潤麻酔行為が許容されることと同様に歯科衛生士の地位は向上するでしょうし、給与が上がることも予想されるでしょう。
実際、このような違法行為を歯科衛生士に行わせることで高い給与を支払う医院はまま見受けられます。

ではこれを理由に「歯科衛生士による歯牙の切削と抜歯は許容されるべきだ」といえるでしょうか?

少なくとも患者さんの健康を目的とするヘルスケア歯科医療においては、許容されるべきだと言えないはずです。
明確な違法行為であることはもちろん、歯科医療の質が下がり患者さんの健康が害されることが予想されるからです。


だからあくまで「それが患者さんの健康に与するか」を基準にものを考えるべき。「それが歯科衛生士の地位向上に与するか」を考えるのは、(少なくともヘルスケア歯科医療においては)そもそも的外れだといえる、というのが私の考えです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?