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誤読と誤配 偶然の出会い

ふと入ったお店で思いがけない素敵な物に出会った経験は誰しもあるよね。本当なら入るはずのないお店、目に入るはずのない物、素敵な偶然の素敵な差配。それって素敵な思い出として残っているはず。

学びも同じで、本屋さんの棚を何気なくぼーっと見ているうちに、自分でもよくわからないけど興味を惹かれるタイトルが出てきて思わず買っちゃうことや、散歩していて見つけるマイナーな旧跡の説明看板を読んでみたりと、本来自分と出会うはずのないものが自分の元に届いて、それを何かの気の迷いで読むことが大事になっている。

イノベーションは何かと何かの組み合わせで起こるってよく言われるけど、それって本来自分の元に届くはずのないものを受け入れることが発生するきっかけになっているはず。

それは今の便利な生活とは全く真逆で、自分が毎日使っているamazon musicなんかも自分の好きなアーティストや好きなジャンルを延々と流してくれる。確かに新しい出会いなんだけど、それって「○○っぽいから好き。」なんだよね。タワレコとかHMV全盛期の頃は所狭しと試聴機が店に散りばめられてて自分の想像の枠外からの音楽に出会う事ができた。

SNSも同じで、フィルターバブルの中に入っていて同じような意見を持つ人しか周りにいないから、意見が極端になって分断が発生する。

だから何も目的を持たずに街へ出てフラフラしてほしい。平日に会社を休んでふらっと電車に乗って誰も知らない街に大した目的を持たずに行ってほしい。
一見意味のないような行動がこれまでにない経験になって、新しい何かを生み出すから。その行動が意味を持つか持たないかは自分自身が決めること。
自分が意味がない行動だったって思っちゃったらそこで終わり。意味があるって思い込めば、絶対に何かそこに意味は生まれる。

そいじゃ、また。

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