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「ラック 幸運をさがす旅」を見た(ネタバレあり)

絶望的なまでに運がないスーパーヒロインが手前味噌的に世界を救う!


とことん芯が強いスーパーヒロインの物語

あたなは、自分のやることなすこと全てが自分の思う通りに行かない人生だとしたらどう生きていくのだろうか。

主人公のサムは、世界一運がないとの子だ。元々孤児院で育ったが結果的に里親が決まらずに一人暮らしをすることになってしまう。

日々の暮らしも、落ち葉掃きの木の葉が部屋の中に流れ込む、窓を閉めようとすると、机が倒れるなど何かしようとすると、連鎖的に色々な事故が発生して、とにかくやろうとすることがまず前に進まないほどなのだ。

このほど兎にも角にも何も進まないとなると、普通の人の精神状態であれば自分の人生を悲観しすぎて、主人公の年齢までも生きていけないくらいの状態になってしまうと思うが(というか本当にこんな状態だったら、一緒に住んでいる人にも危険が及ぶ感じがするが)、サムは最初に登場してから、引き取られなかったことについて少しがっかりするそぶりは見せるものの、働き出したお店で様々な失敗をしでかして、最終的に駐車場に放置された買い物カートの整理を任されるようになったとしても、微塵も落ち込むことはなく、最初から最後まで逆境を乗り越える強い精神力を持っているキャラクターだった。


大団円なのだが、少し腑に落ちないところも

サムは、孤児院で一緒だった妹のように可愛がっていた女の子のために、なんとか幸運のコインを入手しようと、「幸運」と「不運」を発生させ、人間界に分配している「幸運の世界」に乗り込んでいくが、あることが原因で完全に「幸運の世界」が機能停止してしまい、サムも自分の世界に帰れなくなってしまう。

その状態を、サムの不屈の精神で乗り越え、「幸運の世界」を再生し、自分の世界に戻っていくことになる。

ただ、よくよく冷静になって考えてみると、サムが勝手に「幸運の世界」に侵入してきて、自分たちで機能停止する原因を作り、さらには人間の世界に帰れなくなると、さらに自分で問題を解決して、「良かった、良かった」で戻っていくというのは、個人的に違和感が残った。


主人公は強い必要があるのか

あまりアメリカ産のアニメは見ないのだが、勝手なイメージとしては主人公がどういった環境に置かれていても、芯が元々強いというところだ。ディズニーの主人公にも何か根底に芯の強さがあるように思う。

日本のキャラクターは、最初は弱いところからはじまりストーリーの中で育っていくことで、見ている人たちを巻き込んでいくパターンが多いと思うのだが、あまりアメリカでは共感がえられないのだろうか。

この辺りが、あまり向こうのアニメを見ない原因なのかもしれないと感じた。


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