究極のもの造りの体制を考える

モノ作りには、設計と製造可能な限り、一つのメーカーでなされるのが理想的だと思う。

設計と製造、ソフウェアとハードウェアも可能な限り一つのメーカーが設計と製造(開発・プログラミング)を行うのが、最終的な製品の完成度を高めると考えている。

わかりやすい例を挙げると、AppleのiPhoneをはじめとする製品。車や電化製品なども設計と製造は原則一つのメーカーが行なっている。

理由は大きく分けると2つある。製品の品質観点と、責任分界点の観点だ。

品質の問題

部品の設計を可能な限り自社で行なっていると、他社の製品の提供を受けている場合と比べると設計の自由度が高いので、自社の要望に沿ったパーツを利用しやすくなる。そうなれば、当然製品としての品質は高くなりやすい。

他社製品のバーツの場合、自分以外の会社にも幅広くパーツを提供する必要があるため、どうしても性能が汎用的になりやすいため、自社開発に比べ品質を上げにくい。

責任分界点の問題

次に、製品に問題が起こった場合に話を移す。故障や障害が発生した場合、自社で設計・製造している場合、原因の特定がしやすい。全て自社のリソースの中で確認が可能であるとともに、各部品間に発生しうる原因も、検証しやすい。原因が特定しやすいとともに、対策や再発防止なども検討が容易だ。

一方、各パーツが別の会社で製造されている場合、パーツ毎の問題の有無は確認ができるが、パーツ間で発生する相性などの問題は、それぞれの責任範囲外になり、間に落ちてしまう形になり確認・検証が非常に困難になってしまう。安い家電製品であれば、パーツの不具合や、部品の不良などで誤魔化すことが可能かもしれないが、これが建設物などの規模が大きい場合、責任範囲がはっきりしなくなると、誰が修理を行うのか、誰の費用で行うのかが顕在化することになり、揉めることが多くなる。

建設物の場合、設計施工であれば、1社が責任を負う形になるのでこういった問題は起こらないのだが、CM方式で分割発注にしてしまうと、各工事のみが各社の責任範囲になってしまい、各々の工事が完了していれば、各社の責任は全うしていることになる。

ただ、先にも述べた通り、障害や故障の原因は、パーツ部分に問題があるというよりも、パーツとパーツの間にあることが多いため、前述の場合原因・対策が明確にできなくなってしまうケースが出てくる。

まとめ

色々な製造方法があるのは、各々背景があり生まれ出ているものなので、それぞれの特徴を踏まえで利用すれば良い。

ただ、個人的には設計・製造一帯体制が究極のものづくりの体制であると考えているし、実際そうであると思う。

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