見出し画像

人の輝きを祝い、自分の輝きを信じる。

目がきらきらと輝いている人がいる。人の目を見るのがすきで、思わずじっと見てしまう。その目のことを考えていたら、思い出すことがあった。

高校生のとき、ソフトテニスをしていた。大会はリーグ戦で行われ、勝ったものが残り、負けた者は次の試合の審判をする仕組みだった。

自分が審判をする試合で、同じ高校の仲間が生き生きとプレーをしていた。


彼のことを、うらやましいと思った。
うらやましがる自分が、嫌いだった。


どうして自分はこんなに苦しいのだろう。なぜこんなにも悔しいのだろう。同じ仲間のはずなのに、応援できないのはなぜなのか。

誰にも言わずに一人で悩んでいたけど、あるときから純粋に応援できるようになっていた。

それは誰よりも練習に明け暮れて、自分としてやれることはやったと思えるようになってからだった。

最近はよく本を読んだり話を聞いたりしている。それ自体はとても大切だと思うけど、やっぱり輝いている人は、今何かに夢中になって行動している人だと思う。

できない理由を探している
嫌いなところが気になっている
やりたくないことをやってしまう

いまもし行動を起こせていないとしたら、自らを省みる機会にした方がいい。

それは勝ち負けや優劣ではなく、自分の人生を生きるために必要なことだ。誰かの成功を呪うためではなく、自分の成功を信じるために必要なことだ。

誰のためでもなく、自分のために。
誰のためではなく、あなたのために。

大切なことを外に求めてしまうことは、たまにある。青い鳥を探してしまう。けれどそれはたぶん間違っている。自分の中の深いところから、時間をかけて丁寧に、とても大切なものを汲み上げなくてはいけない。

そのためにはじっくりとした時間が必要だ。何もしない時間を取ってあげることが大切だ。「何もしないこと」を許してあげてほしい。

誰かの勝利を祝いたい。
自分の敗北を認めたい。

誰かが輝くことを呪うことは、
自分の輝きを見えなくするから。

誰かが輝くことを祝えることは、
自分の輝きを信じることだ。

TOP写真は渋谷の街灯。



最後まで読んでいただきありがとうございます。