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飲食店運営についての所感

僕のnoteは、新型コロナウイルスによる営業自粛中に自炊しまくっていた時に始めました。なので今まではずっとレシピの備忘録的に書いていたのだけれど、普通に仕事が始まると、ありがたいことに意外と毎日忙しく、noteをやっている時間がなくなってしまった。営業そのものが忙しいのもあるけれど、コロナの影響もあり、今までと同じやり方での運営ではダメで、色んな所を改革しなくちゃいけなくて、むしろそっちが忙しい。

今までの飲食店の運営方法でもずっと感じていたことだけど、こうして生活様式を強引にでも変えなくてはならなくなった今、改めて強く思うことがある。

売上に固執しすぎていないだろうか?

飲食店には様々な数字があります。

売上
仕入原価
労務費(人件費)
家賃
水道光熱費
消耗品費
税金
宣伝広告費
その他営業販売費などなど

上げたもののうち、収入は売上。残りは全部支出。売上があって、その中から色んな費用が差っ引かれて、わずかに残るものが利益になります。バケツ1杯の麦汁から数滴のウイスキーを取り出すかのように、飲食店の利益というのはとにかく少ない。

この構造を見たら、1円でも多く売上を取りたくなってしまう。だけれども、売上に固執しているとすごく無駄な努力をしているように感じることがとても多い。1円でも多くの売上を取るべく、たくさんの経費をかけたイベントをやってみたり、サービスといって原価を無視した安売りをしたり。結果として売上が1.5倍になったけれど、利益は変わっていない、なんてことはよくある。さらにタチが悪いのが、1円でも多くの売上を上げるためのサービス価格を打ち出して客を呼び込んでおいて、その上で利益を追求するあまり、顧客満足度を無視した無理矢理なオペレーションを行ってしまい、顧客は不満を抱え、従業員は疲弊し、原価率は上がる。さらに利益を求め原価の安い商品に切り替えて、さらに顧客満足度は低下する。その結果どうなっていくかは、飲食店に携わる人でなくても想像できるのではないでしょうか。

しかしながら、多くの飲食店では日常的にこの悪循環が起こっている。それはもう当たり前のように。

どうしてこうなってしまうのか。

まず1円でも多くの売上を作る

それから削れる経費は削減しよう

そうすれば自ずと利益が出るはずだ

このようなロジックを持って、運営してはいないだろうか。あくまで僕自身の経験だが、料理ばかりやってきた人たちが陥りがちな傾向だ。美味しい料理を作るのがとても上手であっても、経営の数字を理解していないと大変危険だ。

大事なのは利益なのであって売上ではない

我々飲食店は、いや職種を問わず仕事している以上は、一番大切なのは社会貢献だと僕は思っていて、それを成立させるためにお金が必要なわけです。お金とはイコール利益であり、売上高ではない。売上をいくら作ろうが、利益がでなければ意味がない。様々な数字は利益を出すための道標であって、それぞれの数字に対し個別に執着してしまうのは無意味な行為であると言っても過言ではないと思っている。1円でも多くの売上を上げることに固執するのではなく、必要な利益のために必要な売上はいくらか、それに対して余裕を持った経費をかけて割り出す必要がある。

利益=売上高-F/L費

正確にはもっともっと細かい数字が関わって来るけれど、超絶カンタンに言えば、売上高から食材原価と人件費を差し引いたものが利益になる構造なわけです。

売上高が伸びる時には、まず絶対的に食材原価も伸びる。モノ売ってるんだから当たり前です。でもここの調整は比較的簡単で、売価設定の段階でほぼほぼ決めることができる。あとはロスが少ない商材選びや、食材をいかに上手に使うかがポイント。しかし本来比較的簡単なことなのにも関わらず、自身のこだわりが強すぎて、ここの調整が上手くできない料理人が結構多い。こだわることは大変大事なことだけど、果たして何の為のこだわりなのかをよく考えてメニューを作らなければ、無意味なものになってしまう。

そしてモノを売るためには人も必要となるので、必然的に人件費も必要になる。しかし利益を得るためには何かしらの費用を抑えないといけないのは当たり前で、先程の式に当てはめたら、食材原価が変わらないのであれば、いかに人件費を抑えて利益を得るかがカギになる。

ここで間違ってはならないのは、従業員の労働負担を上げて人件費を抑えるようなことは絶対にしてはならない、ということ。人件費を抑える=労働負担が上がる、という方程式が当たり前でそれが常識だったし、今でも常識だと思っていて、現場を苦しめている人は多く見受けられる。だが働く側としたら、キツい労働環境は当然だけど嬉しくないし、有能な人材であれば、そんな環境を作ってしまう上司に不信感を抱いて離職してしまう。

人件費を抑えるために最初にやるべきことは、単純に人を減らすことではなく、メニューと店舗の構造、接客オペレーション、全ての調理オペレーションを徹底的に洗い出して構造を改革することから始めるべきである。外部コンサルタントを雇うなどの人的資本をガッツリ投入しても構わないし、仕込みの中で特にこだわらないポイントをアウトソーシングしてもいいだろう。とにかく、最小限のコストで最大限の利益を得るためのメニューや店舗構造、スリムなオペレーション構築が必要になる。

注意すべき点として、最小限コスト最大利益を意識しすぎて、内容がしょぼくなっていないか気をつけること。顧客が価値を感じてくれなければせっかくコストを削減してもまるで意味がなくなってしまう。

人は体験にお金を払う

これは最近よく聞く言葉だと思うが、その体験に価値を感じれば、人は金に糸目をつけない、ということ。言われてみれば至極当たり前に思える。けれども、経営をよくわかっていない人にありがちな「愚民感」がこの言葉を否定する。

安くなきゃ誰も買ってくれない

みんなお金がないから、安くしないと来てくれない、買ってくれない、売上が出ない。

この悪夢のような思考が、多くの人々の脳味噌にこびりついて取れていない。だがよく考えてみてほしい、その「安くしないといけない」という言葉は、自分の商品を否定することであり、自分のしていることを否定することであり、ひいては自らの価値そのものを否定していることになる、ということを。

ディズニーランドは入園料が高くなり続けているのに、入場者数は増え続けている。

この事実はつまり、人は価値を感じるものにはお金を払う、ということがはっきりと証明されているというとてもいい例だと思う。

飲食店はまずどういう店にするか、そのコンセプトを決めるところから始まる。店舗コンセプト、メニューコンセプト、営業コンセプトなどなど。ここの部分を十分に、いや十二分に詰めておかないと、空中分解してしまう。ほとんどがこれが出来ず、フワッとなんとなくありがちなコンセプトで始めてしまって、お客が来なくて、安売りに走り、利益を圧迫して、人件費を削減し、従業員が疲弊して、お店が回らなくなって、顧客満足度が低下し、更に安売りし…という負の無限ループが始まって、2年後には半数が消えていく。

体験を売る

時代は常に変わるもの。飲食店はもはや食べ物や飲み物というモノを売るのではなく、そこでしかできない体験を売っているのだ、という認識を持って運営していかねばならない。お出しする料理や飲み物に付加価値があるかどうかも大切だが、商品力のみにクローズアップせず、接客スキルはもちろんのこと、内装、衣装、小道具、空調、音楽、照明と、すべての要素をまとめて考えて、最大限こだわりつつコンセプトのバランスを取ることがとても重要だ。

そのときに、必要な費用はしっかりとかけること。人件費をかけなければ満足度が得られないなら、しっかりと人を使う。原価をかけないといけない勝負の商品なら、思いっきり原価をかける。内外装もケチらずきちんとお金をかける。また従業員のスペースなどをないがしろにしがちだが、ここもモチベーションのためにちゃんと用意する。

そして一番大事なことは、決して安売りをしないこと。なんなら体験に価値があるなら自信を持って値上げをする。きちんと社会貢献できているなら、その対価をきちんと受け取るのは当たり前だと認識すべきことである。

まとめ

売上高に固執しない
利益に着目し、効率よく利益を得る構造を創る
決してケチらない
安売りをしない

さらに付け加えるなら、意味を持たせることが必要になる。

そのお店にいく意味。その商品を購入する意味。消費する意味。体験する意味。深堀りすればするほど意味を感じるような仕掛けができれば、大量の労力を割いてイベントを打ったり季節メニューを開発したりしなくても、自ずと集客ができるはずである。イベントや季節メニューはあくまで楽しみながらできるようでなければ、受け取る側、つまり消費者だって楽しくないはずだ。

決して難しいことではない。理想のお店を追求するには、どれだけ本気で考え抜くか、である。考えることをやめないことである。頭がよくなくたって、料理が十分に上手でなくたって、絶対にできる。諦めずに、楽しんでいれば。


このエントリを書き始めて2か月、忙しいのもあったけれど、うまく言葉にできなくて、すごい時間がかかってしまった。現時点での僕の所感は上記の通りだけれど、数年後の僕が見たらどう思うだろうか――

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