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『ローマの休日』を再び、鑑賞して


『ローマの休日』という映画は言わずもがな、多くの日本人が今まで見た中でもっとも好きな映画として今でも人気のある作品です。
 私がこの『ローマの休日』を初めて見たのは確か、7、8歳の頃だったと思います。時代は昭和四十年代半ばといったところでしょうか。今の若い人は想像つかないかも知れないけど当時は映画を観るとしたら、邦画も洋画も映画館かテレビでしか観ることが出来ませんでした。
 ただし、お金に余裕がある人は映画の8ミリフィルムも販売されていたので、それらを購入して、ちょっとしたホームミニシアタ―で、自宅での鑑賞も可能でした。

 当時の私にしてみれば夢のような話でしたけど。

 8ミリ映画フィルムと言えば確か小学校の時に体育館に集まって私はミハエル・ハンデの『野ばら』を観た記憶があります。(おそらく文部省推薦)
 8ミリ映画フィルムは当時で2万円前後で売ってたそうです。

 四十代、五十代以上の方は良く知っているでしょうが、テレビの映画番組の大抵解説者が、映画の本編が始まる冒頭と終わりに解説をします。東京ではNHK教育テレビで日曜夜に放映していた『世界名画劇場』などには解説者がおりませんでしたが、思い出深いところでは、『水曜ロードショー』の水野晴郎さん、『月曜ロードショー』の荻昌弘さん、『ゴールデン洋画劇場』の高島忠夫さん、『日曜洋画劇場』では私の大好きな淀川長治さん、などがおりました。更に遡って私が幼少の頃には、『土曜洋画劇場』の増田貴光さん、邦画の『日本映画名作劇場』の白井佳夫さんや品田雄吉さんが思い出深いです。白井さんと品田さんの解説は、そのあまりテレビ向きでない地味でよく聞き取れないしゃべり方が、ちょっと子供心に怖い印象がありました。ですから、夏場になると定番だった『四谷怪談』などの時は寝床に入ってからも白井さんや品田さんのお顔が頭から離れず、朝まで眠れませんでした。そう言えば、夏場と言えば昔は怪談が定番でしたが、もう今では夏の季語からも外れてしまったのでしょうか。

それもなんか、淋しい。

 私が初めて観た『ローマの休日』は、それらの番組の中でゴールデン洋画劇場の番組内で放映されていました。宮廷の大広間に一人残されたグレゴリーペックが静かに立ち去り、ジ・エンドのクレジットがフェードアウトすると毎回、高島忠夫さんが「さっ、いかがでしたか?」とニコッと笑って、視聴者に問いかけるのがお決まりのフレーズでした。
(初回放送の解説者はその前の前田武彦さんの時だったそうですが)

 またNHKを除いて民法の洋画はほぼすべてが声優さんのアテレコでした。『ローマの休日』のオードリーヘップバーンであれば、池田昌子さん、グレゴリーペッグであれば、城達也さんが主に担当されていました。ただこれらの声優さんの声のイメージが余りに強すぎて、これは昔の他の外国の俳優さん全て当てはまることですが、その後、映画館やビデオテープで本人そのものの吹き替えなしの映像を見ても、最初の先入観が強すぎて、何処かしっくりこない印象が今日でも続いています。それだけ今以上に昔の外国の俳優さんと声優さんの声は一心同体だった印象を強く与えました。

 ただし『ローマの休日』のような名画は、これらの邪念がなくなるくらい役者さんの魅力や映画のストーリーにどんどん引き込まれ、当時、小学生だった私も終った頃には、ジーンと初めて映画を観て感動したのをよく覚えています。
 私はこの『ローマの休日』を観てから、映画が好きになったようで、それまではゴジラやガメラの怪獣モノ、『東映まんが祭り』などの子供向けの映画しか関心がありませんでしたが、この時初めて大人の映画として『ローマの休日』が当時の私にとって、いちばん好きな映画でした。それから、中学生になってから、映画雑誌の『ロードショー』や『スクリーン』を買うようになり、それまで購読していた『小学〇年生』や『学習と科学』の購読を卒業しました。当時、流行った透明の下敷きには、芸能雑誌『明星』や『平凡』から切り抜いたアイドルの桜田淳子や西城秀樹の写真を捨てて、スティーブ・マックイーンの『パピヨン』やフランソワ・トリュフォーの『思春期』などのA4サイズの渋めのポスターを挟んでいました。さらに映画に飢えていた私は、淀川長治さんを特に敬愛し、東京12チャンネルの『淀川長治の映画の部屋』やTBSラジオの『ラジオ名画劇場』の熱狂的リスナーでもありました。当時は古い映画を上映する名画座がまだたくさんありましたから、映画の情報雑誌『シティロード』や『ぴあ』で見たい映画を選んで、小遣いの中から、映画料金よりも高い交通費を払って、二本立て、三本立ての映画を腰を痛めながら少なくとも二回繰り返して鑑賞しておりました。

 その後、大学生になって、合コンで知り合った彼女と映画話で意気投合し、初めてのデートは池袋文芸座での映画鑑賞で、『ローマの休日』と併映の『ガス燈』でした。ただし、続けて『ガス燈』を観ている途中で彼女はうとうとと舟を漕いでおりました。まあ、それも今となってはいい思い出です。
 その後、就職を控え、映画監督やシナリオライターを目指そうと多少、勉強した時期もありましたが、結局、映画とは無縁の公務員のような仕事に就き、今年、私も定年を迎えました。今は会社には再雇用制度などもあり、続けて仕事を続ける選択もありましたが、思い切って辞めてしまいました。今は洋画、邦画、問わずの映画三昧で時々、アルバイトのような仕事をしています。

ところで、もう20回くらい観たかな、『ローマの休日』
今夜も、また観てしまいました。

 相変わらず好きな映画で、忘れた頃にまた観てしまいます。そして、いつも同じシーンで笑い、同じシーンで涙を流します。そして、いつもラストシーンで小学生の時、感じた感動をこの歳になっても同じく味わうのです。
(高島忠夫さんは、出てきませんが)
 そして、いつも『・・・いやあ、映画ってホントにいいもんですね』
と、感じます。

 学生の時、周りの映画狂の間で
「俺は映画を年に100本観ている」
「私は200本は観ている」
「・・・いや、俺なんか300本以上は観ている』
などと止めどない自慢が飛んでましたが、テレビや映画館しかなかった昔の時代なら、いざしらず、年間1000本は、今の私だったら観れるかも知れません。
 
 当分、映画三昧から、抜けられそうにありません。

#映画にまつわる思い出
 

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