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首を痛めたら扉が開いた

最近、首を痛めて整骨院に通うことになって、昔を思い出した。
整骨院のある一本表の道の角のビル。そこは、美大受験の為に通ったアトリエがあるところだった。
懐かしくなって、お世話になった先生に会いたくなって見上げると、アイリッシュパブに様変わっていた。そうか、無くなってしまったのかと、ネットで先生の名前を検索してみた。すると、男の人のブログによって亡くなっていたことが分かった。日付は随分と前の事だった。父が倒れて二、三年経ったころで、私が絵を描くことも、モノづくりをすることも封印して、建築の仕事に邁進していた頃だ。
なんだか、会えないことが分かるととても会いたくなった。先生らしくない先生だった。先生のアトリエに通っていた頃、あの頃が一番充実していたような気がする。前だけ見ていれさえすれば良かった頃だからだと思う。

三年の夏からでも十分間に合うと言われたのに、高校生活があまりに楽しくなく、二年の夏から通い始めた。
結局は、芸術や工芸の世界に魅了されてしまい、地に足がつかなくなるのだが…、当時はインテリアコーディネーターとかなんとか、そういう地に足の着いた横文字の仕事をしたくて美大を目指そうとしたのだ。
当時は携帯やインターネットがあるわけもなく、電話帳で探したのを覚えている。家より都会に行けば、大きくて実績のある教室もあっただろうが、私が探していたのは家の近所だった。3か所に電話をかけ、見学に出かけた。そのうちふたつは真っ白な空間で粛々とデッサンをする生徒がチラホラいて、いかにも、受験を応援しますと言った雰囲気だった。
そして、最後に見学したのがあのアトリエだった。
通りすぎてしまいそうな小さく細い間口で、いきなり急な階段が迎える。上がりきったところは薄暗く、右手の重厚な扉を覗くと壁一面に石が積まれており、床には枕木が敷き詰められていた。そこにアンティークな家具とビスクドールが飾られていた。異国に迷い込んだようなその雰囲気にワクワクした。
漸く我に戻り、左手の自動ドアを入ると、髭もじゃの先生がイーゼルに向かって絵を描いていた。
受験の為の絵画教室ではなく、趣味の絵画教室だと思い、すぐに退散しようとしたが、これまで見学した教室とは明らかに違う教室にしばし見入っていた。真ん中に無骨な木でつくられた大きな机が置かれていて、壁に取り付けられた棚には無造作にデッサンで使う石膏や瓶や缶などがすらりと並んでいた。
「ここに来たら、どこかには受かるよ。」
と、きっぱりとニコニコしながら言った。指揮者が持つような細い棒で、少し長めの髪をバサバサといじりながらそう言った。その茶目っ気に飲み込まれて、その気になった。と言うより、この空間に来たかったんだと思う。
初めてのその日、コカ・コーラの瓶のデッサンをした。
キチンとしたデッサンなど初めてだった。画用紙いっぱい元気よく!そう思って描いたら笑われた。画用紙いっぱいに縦書きで描いたからだ。
「お!これは!1リットルくらいありそうだ!」
描き始めた時に言ってくれ…横書きでいいと…。それほど私は絵が好きでも基礎が無かったし、受験の際のデッサンの常識を知らずにいた。それでも、
「初めて描いたにしたら、うまいよ。」
とも言ってもらえた。
髭もじゃの先生は、ゆったりと話す人だった。ゆったりと辛らつに、でも優しく、時に意地悪に、指揮者のように細い棒を持ちながら、生徒の描いた絵をみて話す。その言葉に嘘はなく、本当だった。

あの頃、絵を描くことが純粋に楽しかった。自分が天才ではないことは周りを見て分かったけど、下手だとしても、特にデッサンは楽しく、絵を描くことが好きだと自覚した。
デザイン学科の試験には色彩が必ずあるが、私は苦手だった。でも、横文字の職業に就くことを目指していたので色彩は避けられない。そこそこ合格ライン程度描くことができたデッサンをそっちのけで、苦手の克服に躍起になっていたのだ。
結局、デザイン科には受からなかったが、先生は最初から分かっていたのかもしれない。難なくできることを伸ばした方がいいということを。

先生は奥さんが作るビスクドールの女の子や天使をよく描いていた。その絵が描きあがっていくのを見るのも楽しみの一つだった。若い頃、イタリアにいたことを聞いて、教室や隣の部屋の雰囲気がどこか異国の雰囲気だったのも腑に落ちた。フランスでもイギリスでもなく、イタリア。イタリア風を吹かせていたんだ。

次から次と当時のことを思い出していたら、急に描きたくなった。ずっと、小さな挿絵は描いていたが、画用紙に向かって絵を描いたり、何か集中して作ることもなかった。もう描けない、作れないとさえ思っていた。私は結局凡人だ。世の中には学校なんて行かずして上手な絵を描く人もいる。若い人の才能はもう着いていけないほどすごい。そうかと思えば何物でもない人が個展していたりもする…。そういう色々はこの際置いておいて、好きだったじゃん!描けばいいじゃん!
いつか封印した扉がパッと開いたような感覚になって、仕舞いっ放しだった絵具やら筆を引っ張り出した。そして描いたのがアイキャッチの猫。恥ずかしいけど載せてみました。(笑)
描きだしたら、楽しくなって嬉しくなって、今、私の趣味になりつつあります。

いい出会いは、何も遠くに行けばあるということでもなく、結構近くにあるかもしれない。
そして、どこへ行くのも何をするのも何かしら意味があって、そのベストなタイミングがあるのかもしれない。
それはきっと人によって違うけど、私が首を痛めたのは封印した扉を開くためだったかもしれないと思ったら、ワクワクした。

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