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鈍感無垢は『やっかみ』を生む

「姉妹の中で誰が一番強い?」
と人に聞かれたら、皆が母を指さした。
母は4人姉妹の一番末娘。なかなかのべっぴんさんである。
そして、自分の好きや嫌いがはっきりしている。ジトっと思っているだけではなく、行動する人である。
それが、他の叔母たちには強さとして映るのかもしれない。
だが、その叔母たちの見解は、母への『やっかみ』として私の目に映った。

長女の叔母は色白で美人。おっとりしていて、あまり自己主張をしない。お茶を嗜み、若い頃はよくモテたそうだ。『母へのやっかみ』は一番少ないはずだが、あるにはあった。
叔母が母と父が結婚して最初に住んだボロアパートの部屋に訪れた時のことである。リビングとも呼べない小さなスペースに、母が自分で選んだ洒落た絨毯を敷いているのを見て、嫉妬したと言うのだ。自分は義父母と同じ敷地内とは言え、同居していて、自由に部屋を飾っていなかったからだ。ボロアパートでもなんでも、自分の城を自分色に染めてささやかでも幸せそうにしている姿に『やっかみ』を抱いたのだ。それを大人になった私にも言うほど、ずーっと羨ましかったそうだ。
自分も自分の城を築けばいいだけのことである。だが、それをするすべも気力もなかったのだ。ずいぶん後に、叔母の義父母が住んでいた母屋を自分の城として立て直し、今こそ部屋を飾ればいい!という時、叔母は何一つ自分で選べず、何一つ飾れないでいた。
いつどんな状況でもするかしないかは自分次第である。

次女の叔母は生涯独身だった。若い頃は許されない恋に溺れ、散々祖父母を困らせた。母はいつも叔母をかばった。やがて、母が結婚して私が産まれると、叔母の愛情の行先は私へと向けられた。まるで、自分が産んだように私を可愛がった。私もそれを受け入れた。いつまでも自分の箱の中に閉じ込めようとした。でも少しづつ私は大人になる。そして叔母の歪んだ愛情は純粋な私への愛情ではなく、自分の為の愛情だと気づく。少しづつ離れていく私を叔母は認めようとはせず、叔母の愛情は『やっかみ』へと豹変した。
結婚、出産と自分には無いものを全て手にした母への『やっかみ』も計り知れないほど大きく膨らんでいった。
どんなにしても、私は叔母の子ではなく母の子である。
そして、私は生身の人間である。

三女の叔母は絵に描いたような優等生である。融通が利かないほどの優等生である。確実と言われた受験に失敗。恋愛は独りよがり過ぎて失敗。見かねた祖母の勧めでお見合い結婚する。方や、母は恋愛結婚。
叔母にとっての二人目の子供と母にとって初めての子供の私は同じ年である。生まれ月も同じ五月である。そんなものだから、いつも比べられる。迷惑な話である。海に行けば、ワーイと波打ち際へ走る私と波を怖がるいとこ。そんな二人の子供を追いかけて、日本海育ちの祖父が抱き上げるのは決まって私である。子供ながらに変な空気を感じたことを覚えている。
兎に角、叔母は自分と母、自分の子供と母の子供を比べ続けた。
「元々特別なオンリーワン」ではなく、「いつも一番」を求めるあまり、母への『やっかみ』はヘドロのように沈んでいく。
人生は勝った負けたではない。

何を由とするかで、人の幸福度はガラリと変わる。
母は自分と同じように他の姉妹も自分のことを思っていてくれていると思って過ごしていた。
「だって、家族だから。」
母は超がつくほどの鈍感人間である。その鈍感さが、『やっかみ』を抱いている人間にとって、『やっかみ』を更に強固なものにし、どれほど腹立たしいことかも分からない鈍感無垢である。いくら血のつながりがあろうとも、自分と同じように思い考えていると思うことは間違いである。
父が倒れて、管だらけで病院のベッドに横たわっている姿を見舞いに来た三人の姉妹が
「なんてこと…。」
と小さくい言った後、すこし口元が緩んだのを私は見てしまった。ほんの少しだがそう見えて、それは違和感となって残った。どんなに神妙な心配そうな顔をしても、心理は表情に漏れる。所詮他人事なのだ。そして、それぞれの心の奥底に潜む『やっかみ』が報われた瞬間である。『人の不幸は蜜の味』なのである。その一度きり、三人から連絡が来ることはなかった。

「姉妹の中で誰が一番強い?」
と人に聞かれたら、私は「母」と答えるだろうか?確かに強い人ではある。だけど、その強さは人に対して向けられる強さではない。それほどまでに『やっかみ』を抱かれれる母にもいくつか原因はあるだろう。
「姉妹の中で誰が一番弱い?」
と人に聞かれたら、私は「母」と答えるかもしれない。自分に矛先を向け続ける強さはあるが、それに耐え抜く強さが足りない。責める一方で守る強さがない。そのくせ、
「私は結構強いのよ。」
とその弱さに気づいていない、やっぱり鈍感無垢である。

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