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何のため?誰の為?

半世紀近く生きてきたのに、まだ何かを探している。
ずっとこのまま探し続けて逝くのかもしれない。
何の為に生きて、誰の為に何をする?

「何者かにならなくてもいいから…描けばいい。」
と大切な人はそう言った。

昔、お世話になった絵描きは、
「僕は絵描きが嫌い。」
と言って、その集まりを避け、若かった私を連れて隠れるようにいつも馴染みの店へ行った。
その人が描く絵は確かに、部屋に飾りたくなるものではなかった。
真っ青の海か空に真っ白な卵、時には般若の面が浮かんでいた。張りつめた緊張感を前に目を逸らしたくなるような絵だった。
その人は、思春期に戦争を体験していた。
「僕は、自分が生きるためにしか描けない。」
若かった私は、遠くに聞こえただけでそれを理解できずにいた。
今なら、理解できる…とも言い難い。言えるはずもない。
でも、言葉で言えば同じように、誰の為でもなく自分の為に描こうとしている。勿論、あの人程その思いは深くない。
しいて言うなら、まるで自分にとってのリハビリである。

そう言えば、学生の頃、同じようなことを友人と話したことがあった。
「何のために作品を作っているのか?」
と尋ねる友人に、みな、誰かの為、たった一人だとしても誰かに喜んで貰えたら…と口を揃えて言った。
私は…。
「自分の為。」
とつぶやいて、若干引かれた気がする。
今も、変わらず自分の為にしようとしている。
あの時から私は自分の事しか考えていないのか。
少し落ち込む。でも。どうかな。思い直してみようとしても、やっぱり、自分の為にする…。
それが結果的に誰かに届けばいい…それぐらいがちょうどいいような気がする。
また、若干引かれるのかな…。




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