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水曜日のひだまり また一から

水曜日は時間すらゆっくりと進んでいるかのようだった。
デッサンは自分との対話だから、周りがとやかく言うことは特別ないのだ。上手い下手はあるし、形をうまくつかめているかなども重要だけれど、基本的には自分であーだこーだと描くしかない。
出席をとって、先生がその日の課題の説明をしたら、大方することがない。時々、教室をグルっと回ってみる。同じものを描いているのに、ひとりひとり違う。微妙に歪んでいるデッサン、丁寧に丁寧に描きすぎて消えそうなデッサン、ここだ!と言う見極めが早すぎてやけに黒いデッサン。デッサンにも、人の個性は現れてしまう。
鉛筆は6B、5B、4B、3B、2B、B、HB、F、H、2H、3H、4H、5H、6H、7H、8H、9H…と濃さが違う鉛筆が存在する。10B、9B、8B、7B…もあったりする。でも、それを十分使いこなしてデッサンしている人が幾人いるだろうか…?
下手な人は、早く形にしたくて濃い鉛筆を手にしたら最後、集中すると力が入ってすぐに画用紙が黒くなる。間違いに気づいてももう修正が利かなくなる。
上手い人は、鉛筆のその濃さのグラデーションを感じながら描く。そして、描き込んでいった先に、そのものの輪郭がスッと見えてくる。その時に鉛筆をゆっくりと立てていく。
「せんせーい。もうわかんなーい。」
何時間か経つと、甘え上手の学生がドタドタと研究室に入ってくる。先生に上手く修正してもらおうとやってくるのだ。
「何がわからへんのーん?」
「よく見たらええだけやんな。」
と、先生は私を横目で見やってニヤリとしながら、学生の画板を受けとった。マジマジと見た後、
「あー。ははは。これ、いがんでるわ。」
と、今度は持ってきた学生を見上げて笑う。
学生は、もう自分でも分かっていたようで一緒に笑っている。だけど、もう描き直したくないから、先生お願い!といったところだろう。
「練りケシあるん?」
そう言って、学生から練りケシを受けとると、徐に、しかし大胆にザザッと消し始めた。
その瞬間、学生は悲鳴を上げた。すっかり先生がちょいちょいっと肝心なところの修正をしてくれるものだと思っていたのだった。ところが、無残にもほぼ白紙に戻るほど消されてしまったのだのものだから、それはもう落胆を隠しきれない。
「分からんようになったらな、消したらいいんやで。」
「また、描き直したらいいやん。な。」
そう、ニコニコしながらおっとりと言われてしまうと、誰も言い返せないし、そもそも、間違いなくそれはその通りだった。学生は文句とも何とも言えない言葉をブツブツと発しながら、トボトボと教室へ帰っていった。後ろに並んでいた、自分のデッサンを持ってその様子を見ていた他の学生も、もう先生に見せることなく踵を返して教室へと戻った。
「描き直すんが嫌なんやろな…。」
と、先生は毛がもう疎らの頭を手で梳かした。
私にしても、その光景は衝撃だった。躊躇なく消していく様…。あの学生に関わらず、一度築いたものをぶち壊すのはエネルギーがいるし、なかなかの勇気がないと出来ないものだ。でも、ひとたびその壁を越えたら、意外と気持ちが楽になる。
「また、描けばいい。」
は、「また、始めればいい。」「また、行けばいい。」「また、…。」と、気持ちを切り替える時、私にとても役に立っている。
何かに落胆したり、間違えたり、にっちもさっちも行かなくなった時…兎に角、また、最初から?というような時、あの時の先生を思い出す。
おかげであまり躊躇なく、また一から進められていると思う。

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