My top ministry is MOTHERHOOD right now♡

2024年5月、私は母になって5年半が過ぎました。
明日は母の日です。
今思っていることを書き残しておこうと思います。
そこらへんにいる新米母のつぶやきです。


結婚する直前に、勤めていた放課後等デイサービスの管理者を辞めました。
ある意味でそれが、喪失の始まりだったのかもしれないな、と今振り返ると思います。
結婚は、ずっと自分が願っていたこと。
出産も、祈って与えられた、人生でこれ以上なにかを大切に思ったことはない存在。
当然、そこには大きな喜びがあります。
あまりにも大きな喜びで、結婚も出産も本来、ごく個人的なことであるのに、周囲の感情も巻き込むほどの影響力があるもの。その渦中に立つこと。
わたしにとってそれは経験したことがない、「プレッシャー」でした。

結婚した時に、夫に対して「本当にわたしでよかったのかなあ」とふと思うことはありました。
でもまあ夫は大人だし、夫が結婚したくてしたわけだし、まあどうにかなるだろうと思える。
でも、子どもは違いました。

「本当にわたしがこの子のお母さんでよかったのかなあ」

良いお母さんになりたい。
独身時代、ネグレクトの子にも、虐待を受けている子にも、とても重い障害や病気を抱えて生まれてきた子にも、職業柄たくさん出会いました。
そしてよく、どうして?と思いました。
わたしはいつも正しい答えを持っていました。
面倒を見られないなら、虐待するくらいなら、預ければいいのに・・・と。
行政の人にそう言われて激昂するお母さんを見ながら、どうして…といつも思いました。
今では、その時の自分が恥ずかしいし、謝りたい。
あまりにも私は思い上がっていて、高慢だったと思います。

良いお母さんになりたい。
理想がありました。
子どもにはこんな体験をさせてあげよう。毎日こんな風に接したい。こんな言葉がけをしたい。
一緒に暗唱聖句をしよう。家でも一緒に礼拝しよう。賛美を教えよう。
この子が神からも人からも愛されてると心底感じられる子になるように。

まあ、はっきり言って今から思えばわたしは「知識が人を高ぶらせた」典型例でした。
子どもの発達のこと、どうしてそんな問題が起きてくるのか、どうやってそれに対応していくのか、
職業柄、勉強して、勉強して、人に伝えて…そして仕事では、ある程度、できた。
わたしには自分がクリスチャンホームじゃない引け目がありました。
でも、我が子には絶対惨めな思いはさせたくない。引け目を感じさせたくない。
“絶対、誰からも認められる立派な子育てをするんだ”
言葉にしていたわけでもない、意識すらしていなかった、でも私にはそういう思いがあったと思います。

良いお母さんになりたい
だから、生後半年まで、子どもと一緒にいる時はテレビをつけようとしなかった
何をやっても母乳で育てられない自分が悲しくてずっとずっと泣いた
夫が海外へ1か月以上行っていて寝てもないのに、離乳食のためにお出汁をとるという謎行動にでた
自分は朝から夫が帰ってくる夕方まで一食もとれない状態を1年以上改善しなかった
ひたすら賛美を一緒に聞いて、必死で教会学校に連れて行って
「いないいないばあっ!」の夕方4時を待ちわびるようになってなぜかわんわんの声を聞いたら泣けて

こどものためだったけど、こどものためになってなかった。
そして産むまで知らなかった。
こんなにも愛おしすぎて、自分の判断が狂うことがあるんだ
理屈では、「こうしたらいい」って分かる。別にそれでも育つって知っている。
でも愛おしすぎてそうできない。

そして世の中はこの子に合わせてはくれない。
週に2~3回、夜中に起きて仕事をしても間に合わない分だけ預かってほしいと思っても、それは「保育の必要なし」とみなされる。
自分の体調の悪さと育児と会社経営でボロボロで、でも育てていくにはお金だってかかる。
保育園のことで、この子に合った環境を与える、ただそれだけのことでどれだけ労力とお金がかかるかを思い知った。

無償化、というけれど、それは日本の「普通」に乗っかれる子だけの話であって、そこに乗っかれなければ全部自分で手配するしかない。
シッターさんに来てもらえば、1日3時間で6000円はかかる。
自由が利く認可外の保育園なら、月7万はかかる。
3歳になるころには、どうもこの人はあんまり日本の公教育合いそうにない、と気づく。インターなら月10万以上。もはや夫に海外赴任の希望出してもらうほうが現実味あるんじゃないか。
感覚過敏でしんどそう。療育やリハビリに行かせるとなったらどこも激込み争奪戦。
面談してもらえるまでそもそも半年~1年待ち。
してもらえたら、火曜日の朝10:30に来てください。木曜日の13:00で…こちらの都合は存在できない。
とてもじゃないけどフルタイムで働くのは無理。

「良いお母さんになりたい」
それはわたしにとって喪失していくことでした。
理想を、こだわりを、時には健康を、時間を、自分の予定を。
そしてなにより、「良いお母さんになりたい」「なれる」と思っていた自分を。

子育てを始める前に持っていた自分の肥大した理想やこだわりは、わたし一人のものでしかなかった。
子どもの方にも個性や意思や、思いがある。やってみたいことがあれば、やりたくないこともある。
支配するのではなくて、その子に寄り添う、どう考えても悪いものにはNOという、それを本人が納得できるまでいろんな方法を試す。
NOを受け入れさせる中で、こちらが子どものNOをいったん受け入れることもある。
この子のNOはどこからきているんだろう?と探ってゆく。
試して、試して、たどりついた先、わたしたちの姿を見た人はこう言う、

「甘やかしすぎじゃない?」
「自由にさせすぎ」
「なんでちゃんと○○をしないの?」
「なんでそんなことさせるの?」

わたしは母親になるまで、こんなに多くの人にジャッジされたことはなかったです。
母になって5年半、そろそろ慣れも出てきたけれど、傷つくこともあります。

もちろん、子どもたちを愛してくれる周囲の方々は、本当にありがたい。
だけれど、必死に、必死に、自分ができる精一杯で子育てをして、しかもその結果を負うのが自分が何よりも大切に思っている子ども本人である、という現実の中で、
些細なことばが大きなプレッシャーになる、ということも、やって初めて知りました。
そして過去、自分がどれだけのプレッシャーをお母さんたちに与えてしまっただろうか、と考えると、本当に、本当に申し訳ないな、と思います。
いろんな意見があって、いろんなやり方があって、いろんな立場がある。
でもなによりも愛おしい我が子がいて、この子をしあわせにしたい、愛おしい手放したくない、でも自分のキャパも経済的な面も、少し離れている時間も必要なのか、でもそんな都合のいいところはない、じゃあ、じゃあ…

ある日突然始まる母としての歩みの中に、これだけのカオスがあったとは。
子育てとは、一生すっきりと解決することはない矛盾を、人生の中に抱えることなんじゃないか、とさえ思う。

例外がないとは言わないけれど
お母さんは、自分の最善を尽くして子育てをしている、と、思う。
足りないかもしれないけど
こうしたらいいじゃないというのがすぐに目につくかもしれないけれど
ある日産まれてきて始まった、たとえ離れている時でも思わずにはいられない存在とひたすら積み重ねた日々の中で、必死に子育てをしてる

わたしもそうです。
そして、そうだよね、と思うすべてのお母さん、
わたしたち、よくやってるよね。がんばってるがんばってる。
そしてこれは、特権と恵みなんだ。
ふさわしくなくても、命を預かることがゆるされて、一緒に生きている。

今年の母の日は、自分に刺繍Tシャツをつくりました。
「My top ministry is MOTHERHOOD right now♡」
「私の最優先ミニストリーは母親業です…今はね♡」

子どもたちはわたしに「今を生きる」ということを教えてくれていると感じます。
将来のことももちろん大切だけど
もう戻らないこの時を生きているこの子たちと過ごす時間を、感謝して大切にしたい。
このミニストリーがトップに居続けるのは、実はそんなに長い時間ではないんだろう、と感じます。

「まま~。ままの天使ちゃんがきましたよ~」
と小声で言いながら、ベッドにもぐりこんでくる第一子、あなたはわたしの人生を変えてくれました。ありがとう。
そして癒しの第二子、あなたがいるだけでみんなが幸せです。ありがとう。

わたしは今、あなたたちひとりひとりにとって、やっぱり良いお母さんでありたい、と思うよ。
でもね、それは誰かにそう言われても、言われなくてもいいし、他人に認められるために頑張ることはしない。
あなたたちが大きくなったときに、
「ままは、一緒にいるとき嬉しそうだったな、
ままは、一緒にいられて幸せそうだったな」
と思ってくれたらいいな、と思う。

お母さんにしてくれてありがとう。
親子として、一緒に育つことができる幸いに感謝します。

さて、また1年頑張ろうっと。

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