怒りは抑圧からの解放 斉藤章佳著「男が痴漢になる理由」

読みながら思ったこと、読み終わって思ったことは同じで、何よりも
<私も怒って(いかって)いいんだ>

そう思えた理由は、
・斉藤さんは痴漢と同じく男性でありながら、痴漢を断じて許せないと考えていること。

これは大きかった。痴漢と同じ男性に非難される事なら女性である私も怒っていいよねと許可をもらった気分になったのだ。許可をもらわないと怒ることができない時点で狂っているのだけど。

・痴漢冤罪と痴漢は全く別物との話

痴漢を責め立てると、「だって痴漢冤罪をする女もいるじゃないか!」という反発が起こるのは気のせい?被害者(女性)vs痴漢冤罪(男性)という図式があるように思う。被害者は女性だけとは限らないし、戦いたいのは痴漢冤罪でなくて痴漢そのものなのに、なぜかずれてしまう。そして、痴漢被害に疲弊している被害者は、冤罪加害の汚名とまで戦う余力は残っていない。

・痴漢は被害者がきっかけを与えている犯罪ではないとの断言


セカンドレイプとはほんとうに被害者の心情をよく表している言葉だと感心する。被害ですり減ったところに、被害責任(こんな言葉はあるの?)まで問われると考えたら通報などする勇気は湧いてこない。

ほんとうは読むのが怖かったこの本。出版時のニュースで知ってはいたのだけれど、どこかに被害者の落ち度を突き付ける文章があるのではないか、そもそも理解できない理由が並んで吐き気を催すだけなのではないかと思って手が出せずにいた。

読んでみようと思えたきっかけは、文京区で行われたシンポジウム。

斉藤章佳さんその人の語りを聴くことができて、被害と加害が厳格に区別されていて、被害者責任を問うことは頭から否定してる発言があったことが背中を押した。シンポジウムに参加しながら地元の図書館にアクセスして予約。翌日には手元に受け取っていた。

読んでよかった。少しずつ自分から漏れ出てくる怒りに私はほっとしている。

私は怒ることが苦手。怒りがかなしみに転換されやすい。ここは怒る場面だろうなと思うところで、ひたすらにかなしみに支配されて身動きが取れなくなることが多い。

怒りはおそらく、身を守るためにある危険に対するシグナル。そして健やかな心の動き。怒ることが苦手ということは、危険察知が鈍くなるということ、よくない。そして危険。健やかさが失われているという点と、自由に怒りを発せられない抑圧があるという点で。

痴漢の被害者は二重三重に抑圧されている。
①加害者による抑圧(被害の瞬間の支配だけでなく、一生まとわりつく)
②社会による抑圧(通報できなかった被害者が悪いなど、いわゆるセカンドレイプ)
③自分で行う抑圧(一番厄介。自責と恐怖で怒りや違和感への気づきが抑圧される)

怒りを手離してはだめ。怒りはきっと心の解放と回復のために必要なこと。

私は、私たちは、被害者は、怒っていいんだ。


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