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イギリスにきて息子がまじめに勉強するようになった。その理由のひとつ。

今までのシュタイナー学校

ドイツからイギリスへ転入した息子たち。今まで幼稚園からずっと、シュタイナー教育一辺倒で育ってきた息子たち。今度のイギリスの学校もシュタイナー学校です。

ただ、今までの学校と大きく違うところが、認証の制度。

今までの学校はどこも、国家カリキュラムに合わせて作られた試験制度を利用していました。その結果を大学入学の判別材料として提出します。

つまり、シュタイナー教育のカリキュラムではないことを、試験のために勉強します。試験のための勉強を余儀なくされます。そして、その試験勉強をする分、シュタイナー教育のカリキュラムを削ることになります。

ドイツではもうすこしマシでした。13年生が試験対策の年。12年生のシュタイナー学校カリキュラムも少し試験内容が圧迫するけれど、理論上は12年間のほとんどシュタイナーカリキュラムをまっとうすることが可能です。

でも、結局、中学くらいから試験のプレッシャーを受けていて、試験に必要でない教科はいいかげんにとりくむというような、取り組む姿勢に影響がみられました。教師側にも影響があり、エポック授業でも、試験で重視されるような内容を重点的に取り上げる先生も多く、結局エポックをやっていても偏りがみられたのです。アカデミック教科重視で、地域によっては受験できる教科にも偏りがある。

ドイツのシュタイナー学校は、政府からも多額の補助金を得ていながら、教育内容は自由です。他の国に比べて、かなり、純粋にシュタイナー教育をしていると期待していました。たしかに、他の国に比べたらそうです。でも、結局は試験に翻弄されている・・・。

評価されることの利点

NZCSE(New Zealamd Certificate of Steiner Education)導入校のやり方と、一般の試験を取り入れているシュタイナー学校では「評価」の仕方が違います。

一般には、エポックノートや作品に、excellent, good などと先生が書き込むことはありますが、それは正式な評価にはなりません。学年の終わりに正式書類としてレポートが渡されますが、先生が文章で生徒の様子を書いたもの。先生の子どもをどれだけみてくれているのかということが伝わってくる、心に響くすばらしいレポートです。

ただし、ここには客観評価がありません。いいところもあるし、努力が必要なところもある。細かく書かれているけど、じゃあ、はっきり言って、総合的に、客観的に、どうなの?・・・ってことが全くわからない。

14才くらいまでは、それが大事だと思うのです。だいたい、1教科の成果を一つの数字で評価できるものでもない。

ただ、14才を越えたあたりから、子どもたちは外の世界とどう関わっていくのかが成長に大きく影響します。

特に男子。自分基準でなく、他の誰かがはっきりと判定してくれることによって自分の芯を作ります。だから、成績で点がはっきりわかる、級のある検定試験などで合格する、スポーツで結果を出すといったことが、励みになり、強い動機になります。

評価の問題点

ただ、動機づけになるからといって、資格試験とかテストとかなんでも受けさせればいいというわけではない。その評価のためにどんな学びをするのかというところは注意しなければいけません。内容が無意味なのに、評価を得るためだけに勉強をするのでは、時間の無駄。テストで点をとるためだけの努力や勉強では、テストが終わったところでおしまいです。だから、偏ったペーパーテストなどは、試験が終わったら忘れてしまいます。

その試験のためにする学びそのものの質がよくなければ、試験は通ったとしても、成長はしていないということになります。

それでは学ぶ意味がありません。

NZCSEの評価

NZCSEでは、シュタイナー学校の授業全てを観点にいれて評価をします。最終的に、ひとつひとつの教科それぞれに、最優秀、優秀、良、不合格というような総合評価が出ます。

評価対象は、作品、課題、プレゼンテーション、授業での貢献度など、すべてに及びます。授業で、興味深い発言をすることで、クラスのディスカッションが深まる・・・そんな貢献ができたかということも評価に加算されます。決して、「先生の質問に答えられたか?」ではないところも大事なポイントです。

つまり、授業に真剣に取り組むことが、評価につながります。

そして、決められた学習範囲があって、その内容を100%できれば100点という評価方法ではありません。その範囲をさらに深めていけば、さらに評価されるという仕組みです。

つまり、ここまでやっておけばOK・・・ではなくて、どこまででも深めていくことができ、それも評価してもらえる。

評価が動機に

私の息子たちの話ですが、今までのシュタイナー学校では、そこそこやっておけば先生に叱られるようなこともなく通り過ぎることができました。逆にどれだけ頑張っても、はっきりとした形で評価されることもありませんでした。

特に、「ギフテッド」の次男は、なんの努力もせず、「よくやっている」と思われるので手を抜きまくりでした。

今のシュタイナー学校で、次男は「全ての教科で最優秀をとる」と目標を定めました。成績について親は何も言っていないのですが。そして、今までにはみたことがない熱心さで取り組むようになりました。

特に、興味のない教科での変化が大きかった。息子は歴史に興味がないのです。シュタイナー学校で一通り学んできているので、私なんかより余程歴史を知っているのですが、興味がない。それでも、自分で決めた「全教科で最優秀をとる」という目標に向かって、真面目に取り組みました。

そして、こう言うのです。

「つまんないと思っていたことでも、真剣に取り組んでみると、その中に興味深いことが見えてくるんだね。」

ほんとにそうなのよ! だから、やってみなきゃわからない。だから、先生は、その「興味深いこと」に気づくまで生徒の活動を掻き立てなくてはいけない。でも、息子は、残念なことに、今まではそれに気づくまで真剣に取り組むことがなかった。

決して、今までのシュタイナー学校と、今のシュタイナー学校と比べて、今までの学校の授業内容が劣っていた・・・と言うわけではないと思うのです。たしかに、今の学校のほうが、純粋にシュタイナー教育ができるということで、より興味深い内容にはなっていると思います。でも、それ以上に、評価があるかないかの違いが大きいことは事実。

その違いが、これだけ人を変えるのだということを、我が息子たちはまざまざと見せつけてくれています。

努力を認めてもらえるって、嬉しいことですよね。それがはっきりと、正式に社会に通用する形で認めてもらえることはとても大事。大人だって、一生懸命仕事しても、何も評価してもらえなかったらやる気がうせます。その評価の形が、次の努力に結びつく評価であればもっと頑張ります。

ただし、繰り返しになりますが、評価が大事だからといって、安易にテストで点をつける・・・では意味がない。


今の学校が、学校での学びを最大限に生かしてくれる評価方法を実践してくれていることに、心から感謝するのです。


はあーーー、やっと息子が生き生きとしてきてほっとしたーー。(母の声)





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