私の経験@中学編

 こんにちは!!7月ですね!我が家では月初、家じゅうの補充類、スポンジや歯ブラシやらを新しくする日です。冷蔵庫の簡単なふき取り、洗濯機の掃除などもします。プラスして月曜日は息子のプレイマット、トイレの掃除。。

 月初と月曜日が重なると掃除で1日が終わります。気持ちよく過ごすためにしかたありません^^

 今日は私が経験したことをお話できたらなと思います。
もしかしたら不愉快に感じる場面も出てくるかもしれません。少しでもそう思われましたら読まないでください。ただ、私はこの経験により、今の旦那さんとの良好な関係を築けてると感じていますし、今の私を作ったのも、
いろんな経験をして乗り越えたからと感じています。

 別に書かなくてもいいことかもしれませんが、文として残せる良い機会なので。
 不愉快に感じたことをコメントで書いていただくことは、望んでおりませんのでご了承ください。スルーしていただいてだいじょうぶですよ^^

とにかく1番(勉強はできなかったけど得意を伸ばす)

 私が通った中学校は、気を抜いて転んだらそのまま坂の下まで転がっていってしまうのでは?と思うほどの坂道でした。家からの距離はそんなに遠くはないです。私は徒歩で通学していました。

 中学時代の私と言ったら、とにかく1番を目指していました。執着していたといっても過言ではない。とにかく目立ちたい!そんな女の子でした。

 今思えば、何もできなくてプライドだけ高い。そんな状態でよくやったよね。。
そんな風に感じています。結果的には楽しい中学生活でしたよ。

 私の家族はとにかく喧嘩ばかりでした。お父さんと呼ばれる人は「大工の親方」さんで、仕事が終わると日本酒を浴びるほど飲んでいたと思います。
お酒を出すタイミング、おつまみが出ていない、おかずがまずいなど、漫画のように毎日怒鳴り散らしていました。家族が食事するさいも、平気でたばこを吸い、お酒を飲んで、絡んできます。本当に嫌でした。

 「大工さんが嫌い、悪い」と言っているわけではありません。むしろ尊敬してますし、暑い中、外でのお仕事をされていて、本当に素敵なお仕事だと思います。ですが、当時はそんな心の余裕はありませんでした。

 そんな中、私は計画するわけです。「一刻も早く自立して家を出よう」。
この家から出るにはどうしたらいいか、かかわらずにい生きていけないか。
中学生ながらそんなことばかり、思っていました。

 お風呂の中で、今好きなこと、できることを考えて芸能系のお仕事に就こう。そう、思い立ちました。当時「SMAP」さん出ている番組をよく見ていて、芸能に興味があったんです。

 目標が決まったらとにかく「目立つことをしよう、人の前に立つ練習をしよう」と、発表会やクラス委員、人の前に立つことや、みんながやりたがらないことまで、なんでもやりました!!
 
 音楽と美術が好きだったので、とにかく成績も1番。
とにかく目立つ!!それ一択です。

お前の部屋は豚小屋だ

 一方家に帰ると、今でも思い出すと心を「きゅ~」と締め付ける、親に言われた衝撃的な一言があります。私の部屋にノックもなしにいきなり入ってきてこう言うんです。

「なんでこんなに汚いんだ?お前の部屋は豚小屋か?」

 へ??片付いているし、ゴミがちらかっているわけでもありません。
まあ、服は1,2着落ちていたかもしれないし、今で言う「推しグッツ」はたくさんあったかもしれません。
混乱しました。これ以上、掃除の仕方もわからなければ、なんの用で私の部屋に入ってきたかも全くわかりません。それだけ言い放って出ていきました。

 「他人から見たら汚いのかな。。」明日、物を減らしてみようと決意!!
次の日学校から帰って部屋の前に立つと誰かが部屋にいるような、、
めちゃくちゃ怖かったです!!強盗とかだったら嫌じゃないですか!!
でも、安心してください。それは違います。

 意を決して勢いよく扉を開くと、私が昨日ゴミ箱に捨てたはずの手紙を、親が拾って読んでいました。最低だと思いました。血の気が引いていきました。親への少しばかりの信頼も、崩れていきました。おおげさ??いえいえ。親しき中にも礼儀あり。人が捨てたものを拾って読んではいけません。その時強く思いました。。

「この家にいたくないな。」

 それでも自分を保てたのはやりたいことがあったから。目標って大事ですよ~!!
毎日家に帰れば怒鳴り声の嵐、学校では負けん気を振りかざし生きていました。ちなみに音楽のお仕事を目指していたので、親が喧嘩中は爆音で音楽を流し「何しているの!!!」と、何度も怒られました。ご近所迷惑ですよね。。ほんと。ごめんなさい。

音楽コンクールでは全校生徒の前で指揮者、伴奏を。

 そのうちピアノも習うようになりました。合唱コンクールがあることを知り、伴奏者に選ばれたかったからです。
必ず1人しか選ばれない。その一枠を勝ち取りたかったですし、選ばれたら自信にもつながるだろうと思いました。

 もちろん選ばれました。というか、誰も立候補はしませんでした。私だけでした。ラッキー!!そのあと、指揮者も立候補しました。2,3曲学年で歌ったと思います。その中で伴奏、指揮者を両方努めました。今思うと恥ずかしいです。

 家にいる時間もすべてピアノの時間に費やすことができましたし、指揮の練習で、何度も爆音で音源聞いて楽譜をみて、、結構忙しくしていたおかげで、両親の喧嘩も気にならなくなっていました。


「いつだって乗り越えられる程度の問題が起こる」

 鬱陶しいほどの中学時代でしたが、案外楽しく過ごせたんです。私が高校を卒業するころには、両親は離婚していました。それはまた別のお話で。

 中学は自分の性格と、若さゆえの勢いに本当に助けられました。不器用ながら、よく生きていたと思います。鬱にならなくてよかったです。
絶対周りから見たら私、変な人。。。
でもいいんです。私が楽しかったので。当時は「きっと時間が解決する、いつかこの状況は終わる」「終わらせる!」って唱えてましたけど乗り越えました!!

 大人になって、あの壮絶な毎日があったから、今を感謝できるし周りを大切に出来ます。不器用さは変わっていないのですが、何か問題が起きた時に

[乗り越えられる程度の問題が起こる]

そう思えるので、結果、私には必要な時間でしたし、経験でした。
心からそう、思います。

 ここにたどり着かれた方、最後まで読んでいただきありがとうございました。お疲れさまでした。
一か月書くチャレンジ7日目。まずは一週間!!

 明日もぜひ、kayobosiのページに遊びに来てください^^
明日もいい日になりますように


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