休日の家

休日の家

 時々、グーグルマップのストリートビューで、行ってみたい外国や懐かしい場所をお散歩します。画面の中とはいえ、ちょっとだけ行ったような気になれて、息抜きに調度いいのです。
こないだ、ふと思いついて、15年ほど前に時々訪れていたとあるカフェに行ってみました。私がいる場所からは1200kmほど離れたところ。今、あそこはどうなってるのかなと、時々思い出しては気になっていたので。

 そのカフェは山奥の川沿いにひっそりとあって、当時70歳すぎの女性が、たったお一人で切り盛りしている、5〜6人も座れば一杯の小さなお店でした。元々はご夫婦で経営されていたんだけれど、私が通うようになる少し前にご主人が亡くなったとのことでした。

 お店の壁には油絵で描かれたご主人の肖像画が掛けられてありました。絵のサイズはF2号くらいだったでしょうか。
眼光鋭く威厳あるお顔の、絵の中のその人は、勲章をつけた燕尾服でも着せればまるで軍人さんのようでいて、彼が着ているのは赤いチェック柄のシャツ。首のボタンをはずした、ラフな格好でした。
その白髪の老人が、重厚な装飾の額縁の中からジッとこっちを見てる。
木と石の素朴な造りの小さなお店に、これはどうにも気になる存在で、店内どこに座っていても目が合うようでした。
私は絵を描きますし、こう鋭くジッと見られては、こちらもジッと見ずにはいられません。そして訊かずにいられませんでした。これはどなたですか。
それ以来、奥さんは、私が行くといつも静かにご主人の思い出を少しずつ、語ってくれるようになったのでした。

 奥さんは、背中が少し曲がり始めた小柄な細身に、男もののような白っぽい開衿シャツ、履き古したブルージーンズというような飾り気のないスタイルで、カウンターの向こうに立っておられました。
短くカットされた白髪の髪に、メイクはいつも赤い口紅だけ。
それは時々、皺に滲んで取れかかっていて、しかしそれすらもカッコいいと思わせる奥さんの「赤い口紅だけ」にはなにか心意気のような、迫力がありました。
それは、当時流行りのナチュラルメイクというのは名ばかりのフルメイク、ラメ入りグロスなど塗ったくっていた私には到底真似のできない、強い芯から発せられる、どこか近寄り難い魅力に満ちた迫力でした。威厳というのかしら。
つい見蕩れて凝視してしまう私に、奥さんはいつもやさしいゆっくりの口調で、静かに話してくれました。

 奥さんは、ジャズが好きだって仰ってました。
高齢になってからご主人と二人で行った旅行はアメリカ、ニューオリンズでジャズ三昧の日々を過ごしたって。絵の中のご主人を眺めながら、死ぬ前に私の夢を叶えてくれたんよね、と、愛おしそうに。
ファッションも、煙草も、みんなみんな、ご主人の影響だって。
「アウトロー」だった主人とのくらしは、子育ても何もかも生活のすべて、世間の常識とはだいぶ違ったもんでしたよ。でも確固たる信念のある人だった。そしてそのために自分で身体を動かす人だった。だからどんな時も信じてついて行けたんよ。って。
今この時を生きることが全て。今感じることが全て。
だから「どんな保険にも入ってくれんかった」と、笑いながらほんのちょっと恨み節。えー!?そこはやっぱり母親、女性ですもんね。実際のところそれは不安で大変だったでしょう?、とかなんとか…全然気の利いたことの言えない20代の私に、彼女はキッチリと答えてくれました。
「あの人が私に教えてくれたことはね、『本当に生きるってどういうことか』ぁいうこと。今、こうして一人になってみて、しみじみわかるんよ」
そう聞いた当時の私は「へーぇ…そっかぁ」なんて、薄っぺらい感嘆の声でテキトウなナルホド顔をしてしまったけれど、そんな私の中途半端な軽薄さを絵の中のご主人はまるでそこに本当にいるみたいに、深い皺の奥の目は全て見透かしいてるようにジッと見てくるもんで、なんだか…コーヒーで少し痺れた舌みたいな気分になったんでした。

 お店は、川べりの細い道沿い、山肌にほとんど張り付けたような、とても不思議なつくりの建物でした。
小さい棟がいくつか連なっていて、カフェはその一つの棟で営業されていました。その他の棟は、かつては何かのお店として使われていたようでしたが、私が行ってた時分に開かれていたのは、このカフェだけ。
部分的に個人に貸してる部屋もあるとかで、一度、いつも閉まってる扉が一つ、開いていたのでチラリ見ると中はガレージのようになっていましたっけ。
ガレージの中に置かれた大きなバイクの傍らで、中年の男の人がくわえ煙草でゆったり椅子に座って、すぐそばを流れる川の景色を眺めていました。
どの棟も基本は和風の木造民家のようなんだけど、どこか洋風で、絶妙にかわいい雰囲気で、年月を経て苔むした岩のように、あたりの自然にすっかり溶け込んで山と一体化したような風情がありました。
さらにすてきなことに、これらの建物はご主人によるセルフビルドで、石垣も建物も、すべてご主人が設計し、ゼロから手作りされたというエピソードに、「チルチンびと」を愛読する私は目をひんむいて驚き感嘆したのを憶えています。
私も一部屋、アトリエとしてお借りできないかなと、一時本気で検討したけれど、その後遠方へ引っ越すことになり、以来ずっと、あのカフェは思い出の中。

 奥さん、今もお元気かしら…
思えば、奥さんもあのカフェの一部みたいだった。
そんなことを思いながら15年後、画面の中で、記憶の中の道を辿って辿って見つけた「きっとここだ」と思う場所は、更地になっていました。
更地には、古い家屋に使われてたと思しき木材と、石垣が少しだけ。
あのすてきな、変わった建物は取り壊されて、河川土手の嵩上げ工事が行われたようでした。

 休日の家のコーヒーはネルドリップで、一杯一杯丁寧に時間をかけて淹れられます。
時にはお湯を湧かすところから。他のお客さんと注文がかち合っても、奥さんは決してペースを崩さず、淡々とした動作で、ぱたぱたしません。
だからお急ぎの方には向きませんけど、あんな山の奥のカフェにわざわざ来て、何を急ぐこともないですから、お客はみんなおとなしく待ってる。
コーヒーの濃厚な香りに包まれて、窓辺からの川のせせらぎ、鳥の声を、時間を忘れて楽しむ、待つ時間もなんとも言えず贅沢なものでした。
夕暮れ時、山から落ちてくる影の中に、お店の小さなランプがついた時などは、おとぎ話に出てくる小人の家ような不思議さでした。
あぁ、何ともなくくたびれて、いつの間にか固まった気持ちをほぐしに、たった今、あのカフェに行きたい。奥さんの顔が見たい。話が聴きたい。
でも、本当に、永遠に、思い出の中だけの場所になってしまったんだ。
グーグルマップの画面の前で、自分で淹れたいつもの薄いコーヒーをすすりながら、あのゴウゴウとかすかに空気が振動するような川の音を思い出していました。
こうしてみると、ちょっと変な感覚なんですが、なんでこんな山の中に人知れず、こんなすてきなお店があったんだろうって、なんだか不思議です。
遠い昔に見た夢を思い起こす時の感じに似てる。
あのカフェは、「休日の家」は、本当にあそこに実在したのかしら、って。
もう存在しないと思うと、余計に。

 だけど、年齢と共にだんだんおぼろになっていく、頼りない私の記憶の中で、口紅の赤の取れかけた奥さんの横顔、あの美しさだけはずっと鮮明にあって、いつの間にか四十を超えた今の私の日々の折々にふと、あの言葉と共に思い出されるのです。
『本当に生きるって、どういうことか』。



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