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40過ぎだけど、もう一回アメリカの病棟に入ってみたくて長過ぎるブランクの後で復職してまた1年ですぐ辞めた話

というわけでタイトルで全部の内容言ってる。
私は若い頃、アメリカの看護科を卒業後、看護師免許を取得しました。

取得しつつも日本に帰国、アメリカ人と結婚して子供を産んで、育ててまた一人産んで
そんなこんなしながら「いつかまたアメリカの看護師として働きたい」と思いながら、その願いがしばらくは叶うことはなく、40を迎えてしまいました

なぜ、また働きたい!という気持ちが強くあったのか、
正直に言うと私は仕事というか労働が嫌いです
しなくていいならしたくない(正直すぎるやろ)
だけど、初めて働いた職場の人々がね
それはそれは私に良くしてくれたんです
こんな、大学出たての何にも分からない、本当にBSN持ってるんかコイツみたいな、英語もおぼつかなくて研修中には「こいつチェンジして!!!!!」て患者さんに言われたことあるような小娘をね 大事に大事に教えてくれてね
全然プレッシャーも圧もなく、私のプリセプターは二人いて、一人目はアフリカンアメリカン、そして二人目はフィリピン人だったんですが、本当にこの人達二人ともナイスで、それのお陰。他の人達もみんな優しかったんですよ。例えば、夜勤は大体朝の7時半までには上がるんですが、朝の6時半くらいに私が一人ワタワタしてた時にもスッと近づいてきて、「あとどれが残ってるの??これとこれとこれね、じゃこれやっとくから、この二つやっちゃいな、そんで皆で定時であがるのよ!!」みたいな。それはそれはやさしい世界。本当に。(多分私が出来てなさ過ぎて、みんな見るに見かねてたんだと思う)看護師って日本もアメリカも離職率高いんだよね。労働と給料が見合ってないと常々言われるほどには。だけど、アメリカの看護師たちは明るくてお互いに助け合って、ステップアップも自分次第でどんどんしていける。そういう世界を少しだけ見せて貰っていた、いつかの私は、卒業後一年間もらえるOPT期間中にうまくスポンサーを見つけることができず、職場を辞め、日本へ帰国する飛行機の、窓に映るダラスの街並みを見下ろしながら、いつかまたここに戻ってきて、働くんだ、、、。と、決意した という経緯があるのですよ 当時なんの計画もなかったけど。

で なんやかんやと日本に居て なんやかんやと仕事して 仕事してるうちにアメリカ人と結婚することになり、あーこの人本国に戻ることもあるやろ、と思ってたらなかなか戻るそぶりがない、え?おかしいな?と思ってたら、この男、日本が大大大大好きになっちゃってて、出来ればここで一生を終えたい、とかいう訳ですよ いやありがたい話なんだけど。子供も生まれて、子育てをするなら日本が絶対に安全だということでね。そこは彼が全く譲らない。それは間違いない。夫婦完全同意のもと、日本での子育てを満喫しました。3歳までは、しっかり向き合って子育てする、そうこうしていたら、もう一人欲しい、でラッキーにも生まれてくれて、また3歳までは、、、がはじまりました。


要するに私は、自分で自分にいろいろ言い訳をして、楽な方に流れて、夫の言葉に甘えて、ずっと過ごしてるなぁ~、、、と
10年ほどの間、漠然とそんな気持ちは持っていたんですよね。もちろんその時その時は夢中で過ごしていたけれども。
そうやって、結婚から随分と長い時間を経て、次の赴任地を決めるか、となった時に夫が言ったんですよ
「これまでずっと僕の希望する通りの赴任地へ引っ越ししてきて(都度私に確認してくれてたから一方的ではなかったんだけども)凄く感謝してる、次の勤務地はどこでも、あなたの好きなところにして良い」

こう言われてね、私が、アメリカ国内ならどこでも、てかもっかいRNで働きたいわって言ったところから、夫は「え、君働いてくれんの?マジ??じゃぁ是非やんなよずっと言ってたもんね!」と返してくれ、私も調子に乗り「うひょーアメリカ久しぶり~!もういっちょ頑張ってみっか~!」となったわけです。軽いノリ。

でね
およそ20年弱ぶりに、違う地域とはいえアメリカに住み始め、運転免許が取れ、長期に看護職を休んでいた人用のプログラム(RN Refresher courseっていうやつ)を探し、入って、半年弱そこで勉強しなおして、住んでる州の仮免許を取りました。上の子は学校に行って、下の子はデイケアに入りました。アメリカの保育料、高いのなんの。。私は、プログラムの前期は日中ずっと勉強。夕方子供を迎えに行き、夜は子供達のご飯とお風呂。そんな日々を過ごしました。私は頭がいい方じゃないから、テキストを読んでも講習を聴いても勉強内容が全く入ってこないのね。。だからひたすら紙に書いたけど、紙に書いても入ってこない。どうやったんだろうね。けど根性で何とかなりました。あと、住んだ町がど田舎だったので、必然的に復職プログラムはオンラインコースだったんだけど、プログラム後半から始まる実習先を自分で探すのがプログラムに入る前からの必須条件だったので、町の一番大きな病院に連絡して、断られて、断られても何回か聞いて、で最終的にプログラムの教授に話をつけて貰って、病院に受け入れてもらって。それでその病院の内科に、後半からの実習で12週間お世話になり、プログラムを終了したら仮免許から本免許?になるので、そのままそこの科に入職しました。
もうね、研修の時から気づいてた。ここ、めっちゃいい人ばっかり。ナースもPCAも。そんで若い人多い。皆美形。どういうこと??あと、男のナースの比率が上がっとる!!!!これは、地域性?それとも時代のせい?ともかく、実習の時から職場の雰囲気がよかったので、迷うことなく就職先もそこに決定しました。

ざっと書くとそんな感じで復職したんでした。私の復職を受け入れてくれた病院は、(州も違うからだけど)初めて働いた病院とは全く勝手が違ってて、色々戸惑うこともあったけど「まーーーほぼ20年前なら色々変わってきてるんだよね!」でやってました。それに誰に聞いても、ほぼ必ず助けてくれるし。教えてくれるし。ほぼ新卒のブランク有りのおばちゃんナースにも優しい病棟。素敵。だけど違う州から来たナースが口々に言うにはこの州ってか「この病院色々看護師に求めるもの多すぎ」らしいです。私はここで一からスタートしたから、これがスタンダードだと思ってたら後々楽かも。という気持ちでやってました。異様にトラベルナース率が高いんだよね。20年前、その存在は知っていても私が働いていた病棟では実際に見たことなかったから、20年の変化とはこういう事か、と驚いています。これも、地域によるのか?
中には、カップルや夫婦でトラベルナースしてたり。

働き始めも、かなり長い事休職してたからもはや新卒扱いでいいです、だからオリエンテーション手厚くして欲しいです!!と無理を言って、本来は8週間の所を12週間に延ばし、プリセプターについてもらいました。すまんのう。。。だっていきなりは怖いじゃない。ありがとう病院。私の給料安いから、これ位のお願いは聞いてもろてええじゃろ。。。

で、周りに聞きまくって助けてもらいまくって、迷惑かけつつも少しずつ、色々スキルも再習得し、新入りのナースに少し教えたりもする、そんな半年が過ぎようとしていた頃ですよ

夫「なんか次の勤務先に行けって」

、、、、、

、、、、
マジか

え私一年しかできないの????こんだけ頑張って????? 


と、ざっと書いて思ったけど
もったいなさすぎるんですよね。
復職にかけたお金と時間に対して、対価が見合ってない。
だけどね 転勤族の皆さん これが現実の世界なんです。
やっと慣れたと思ったら次の地へ
やっと、子供に友達もできて楽しそう、と思ったら次の地へ。
そういう人生だからしゃーない。
切り替えていかないと。
一年しか働かなかったとはいえ、
ここで私が得たものは大きいです。私が学んだことはですね
1.何歳になっても馬力を出そうと思ったらなんとか出せる
2.しかし年齢行ってると体力が落ちてるから意外と体が辛い
3.でも年齢行ってるからか、患者にすんごい怒鳴られ方しても割と「おうおうやってんなァ」位でスンとしてられるし、患者さんが症状悪化した場合もすぐチャージナースに報告して、分からんなりにチャージナースの言う事聞いて動けるのと、ICU送りになってもパニックにならず淡々と動けて、DNRの看取りの時も粛々と、メンタル的にはそこまでダメージ食らわない

こんなところですね。

こんだけ出来たんだから、次のとこ行っても、もしくは数年後にまたアメリカに戻ってこれた場合も、ナース出来そうな気がします。また、最初からやり直しだけど。万年新卒扱い。


さて、次の赴任地に移動すると伝えてきた夫は、続けてこうも言いました
「俺、、、ここに残って残りの仕事年数を全うして、リタイアして、ここで住むのも良いと思うんだけど、その案についてはどう?」
私「いや無理それは無理」
夫「俺はこの土地が大好きなんだよ」
私「そらここで残りたいやろアンタ毎日毎日羽伸ばしまくりやもんなビール飲んで仲間と毎週末出かけて山行ってキャンプして全然楽しめてないねんこっちは仕事オフの三日あってもただひたすら寝て休んでたらまた仕事の日なんよ、え、次行くのどこになった??」
夫「、、、スペインに決まったで」
私「スペイン??よっしゃ行こ!!!!私まだヨーロッパ行ったことないんや!!もう、一生に何回行ける?つーか住める??住めんやろ、行くしかないやろこのタイミングでも」
夫「、、、君が行きたいなら、行こうか」


私、あんだけ勿体無いや何や文句言ってたやん、と。
皆さん、スペインに住めるってね、言われてみてくださいよ
答えはハイ行きますしかないでしょ。そんなもん、キャリアなんて後で何とでもなる!!


ということでね、
そんな深い理由とかもなしに、ただ単に、
夫が転勤になるので一年で辞めました。
転勤無しで、リタイヤして、この地に一生住もうか、って夫に提案された時、即座にいや無理、となったので
私はキャリアが第一というわけではなくて、ただもう一回仕事というものをやってみたかっただけ。それだけなんだなと、気づきもしました。手に職を持つって、やっぱり素晴らしい事でした。ここまでやらせてくれてありがとう夫よ。


でもやっぱ次のレジュメに書くときに格好がつかないから一年間は働かせて欲しい!と、お願いをして、ギリギリ1年だけ、働くことに成功しました。職場の皆さん、良い人で、離れがたくて、この土地自体は好きになれないのに人々が優しくて人懐こくて、人々のせいで私の気持ちが揺れたりしたことも、正直ありました。
また戻ってきてね。私を助けてくれてありがとう、と目に涙を浮かべてくれた新卒のキャンディス、こちらこそありがとう。忘れんからな。。。君も頑張るんやで。。。なんと心の美しい子や。。。


そして今絶賛無職。
仕事、本当に仕事してたのかな自分、、、と、不思議な気分になります。。無職の期間のが長いから。
楽しかったな。身体は辛かったけど。もっと、体力つけよう。


この日記のうまい締めくくりが考え付かない。。。
そうだなあ

いつ死ぬか分からないから、やりたいと思ったことは兎に角やっとこう、ですね。あと、ありがとう家族、次の土地でも楽しもう!!!ですね。


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