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大学院を修了しました

エフェクチュエ―ション実践サロン「スナック・レモネード」お手紙係り、谷口千鶴です。

昨日は大学院の修了式でした。

わーい!!

どうみても父兄ですけど、気にしない~

私なんか、「ふつうの人」が、大学院に行って笑われないかな

入学前はそんな風に思っていました。
従来の考え方にとらわれていたのですね。
「45歳にもなって進学するのはおかしい」
「ゆるキャリの私が大学院にいくのはおかしい」
などと考えていました。

入学してみると、確かに周りは、起業家や大企業の人が多くて、私みたいな「ふつうの人」でしかも女性はあまりいない世界でしたが、ゼロでもありませんでした。20年以上、九州の同じ会社でしか働いたことがないので、思いこみがずいぶんあったのだと思います。九州ってそもそも大学院があまりないので、そもそも普通のお母さんが行くようなところでもないのですが、関西や東京は大学も大学院も山ほどあるので、定年した後の人とか育児休暇中の人とか失業中(起業準備中?)の人などカラフルでした。ほんと、思いこみって何の役にもたちません。行ってみなければわからないことってたくさんあります。

昭和風良妻賢母の呪いもあった

学位取得で得られる効果が私の場合あまりに見えず、時間とお金を投入することにためらいもありました。
私はお母さんで妻で家族がいますから、母たるもの、お金や時間に余裕があれば、すべて子供のために遣わないといけないよね、という気持ちがありました。また、夫のお世話をしなければ外に出かけてはいけないと言われて育ったため、(夫にそんな要求をされたことは、一度もないのですが)勝手に思い込んでいました。

それでも「行ってみよう」と思ったのは、ストレングスのおかげ

ある時、あるストレングスコーチと世間話中にこう言われたんです。

「学習欲持ちの人って意味なく大学院に行きたがるんですよ」
「だって学習欲だから」

あまりに決めつけた言い方でしたが、私には、その言葉がストンと落ちました。

学習欲の人は仕方ない?(そうはいっていないけど、私の脳内ではそう変換されていました)

「そうか、ならば仕方がないな」「私は学習欲がトップ5にあるのだから」

するとね、するする繋がりました。

お金は、専門実践教育訓練給付金という制度を使えば負担が軽減されることがわかりました。
時間は、足りなくなれば辞めればいいや、と思いました。
もともと学位を取ることが目的でもないのです。家族にとんでもない負担をかけてまで行くようなところでもないなと思いながら、進みました。

今思えば、この決断のプロセスは、実にエフェクチュエ―ション的でした!

エフェクチュエ―ションでは、目的ではなく、まず手段なのです。
「~~~するために、~~~~~を準備する」ではないのです。
「~~~(手中の鳥)があるから~~~~~する」のです。

これを私のケースに当てはめると、A「会社で出世するために大学院に行く」ではなく、B「学習欲があるから進学する」でした。
その学習欲を手中の鳥にして、ひとまず動きました。すると、学費のことがわかりました。時間が無くなったらやめればいいやという考え方は、「許容可能な損失の原則」を使っていたな、と思います。

私は、大学院に行っても出世できる保証はありませんでしたので、Aの考えにとらわれていたら、一生大学院には行けなかったでしょう。
Bの視点に気づけたことがマインドシフトでした!

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