見出し画像

美徳におぼれて三千里

 バックグラウンドを共有しなくても伝わってほしい気持ちは、日本人特有の国民性なのかな?それとも全人類の望み????
 きれいな言葉で言うと以心伝心ってやつだよね。こぞって求められる美徳の一つではないかなあとおもうのだ。

 わたしはお笑いが好きで、趣味の悪いことに、それを通して得たエッセンス-いわば奇特な調味料を会話中に織り込むことで快感を得ている節がある。
 それってたぶんけっこう酷なことである。なぜならば、そのときに無条件に相手方に求めてしまう事柄が発生するからだ。

・日々のお笑いに関する情報収集に努めていること
・それを生活に落とし込めていること

 この2点を踏まえた相手だと、バックグラウンドを説明することなく一言「クセがすごい!」と放つだけで仲間意識が芽生えるのだ。たったの6文字で。すごい、すごいよ。流行りの渦中にいる人たちは、このようにして繋がりはじめていくんだね。

 そして、本人にあたる千鳥のおにいさんたち以外の人がその言葉を使って笑いが起きる場合というのは、タイミングこそあれ「わ、それ知ってる!」という喜びも大きな割合を占めることが要因のひとつなのだ。

 ちなみに、相手方がなにも知らなくてすべった場合というのは無論その場で発言した人に責任があると思っているので、

「え、これ知らねーの!?それやばいよ!!」

って言ってくるようなひとが大っ嫌いである。
 わたしが知らないからすべったのではなく、おまえがウケると期待して勝手に放ったんだから、すべった責任はお前が取れ!!!聞き手側に押し付けるな!!!!と心と頭が怒りに染まるのだ。でも実際そんな人はそこまで会ったことはない。怒ってごめんね。

 

 とはいえ、知らないということに些末な悔しさは少なからずある。月2の頻度で会うメンヘラかわいこちゃんのインプットが、はちゃめちゃに早いのだ。重ねてアウトプットが的確なのだ。まじですてき。ずるいとさえ思う。これは才能。
 最近はシソンヌあいなぷぅについて愛を語られる日々である。その子は突然のアウトプットしたあとに決まって元ネタを説明してくれるし動画を教えてくれる。そのあとしばらくは2人でそればっかり言っている。ほぼ麻薬。JK当時くらいボキャブラリーが欠乏する。依存性の高いまどろみに流されて、そうしてまた二週間後に会ったりする。

 

 先ほど「伝わらなかったら、発信者が悪い」と主張したけど、それについて最近おもうことがある。

 この考え方は、バイトで塾講師やってたときに身につけたものだ。8年やってた。こう考えると、生徒がいくら分かってくれなくても全くイライラしないから便利だった。伝え方を変えればいいからだ。

 ただ、最近わたしが逆の立場になったとき、つまり説明を受ける側になったとき、喧嘩が勃発することが多発した。
言ってくれなきゃわかんないよ」ってこぼしたところで「察してよ」と言われた。相手の切実で独善的なヘルプミーが後頭部を殴ってきた。
 これはしばしばビジネス上でも問題になるものなんじゃないか(仕事してないけど)。もうそもそも、伝えるとか伝わるの範囲が発信者と受信者のどっちに責任があって、どっちのせいでうまくいかなかったのか、そういうのは最後の最後になってもどうも把握できない。あっ、会社の面接ってそのバックグラウンドの均一化が目的なのか。あー!くそ!


 ま、そういう納得できないものには、組織上の立場が弱くなるくらいの犠牲と引き換えに、強気に立ち向かっていけば良いものかもしれないが、それがね。もし。もし、自分がスパイだったらと考えると、果たしてそれは本当にそのままでいいのか、と思う。

 映画「キングスマン」、「グランドイリュージョン」を観てスパイになりてぇと憧れたのはここ数年の話だ。敵の思惑を裏切ってすべてを手の内におさめるのは本当に気持ちが良い。厳密にいうとグランドイリュージョンはスパイの話ではないんだけど、敵の裏をかくという意味では同様の意味を持ってるはずだ。

 もし、もしも、自分がスパイだったら。
教えてもらってなかったもん」っていう理由で命運を握らされたミッションが失敗していいものか。仲間が殺されていいものか。大事なものを失ってもいいものか。

 どうやらそれは、そういった他責論が通じる世界じゃないんだ。しかしお前そういう線で生きてねぇだろ、って聞こえる。自分自身がそう言ってる。でも、でもだよ。現実世界でだってさえ、わたしが知らんところで、知らん何かが、わたしの手の内の何かを脅かそうとしてるかもしれないじゃんか。
 それは何かもわからんじゃないか。発信者が全員、善意を持ってるとは限らないじゃないか。


 何かを受信するっていうアンテナを自分から折って、すべてを発信者任せにしてたらあぶないのかもしれない。殺されたくない大事な仲間のスパイから、どんな目線を送られるか、たったその一瞬の合図で、刻一刻と変わる現状をキャッチしたい。そして、もともと指示されてた行動を秒単位で変えていく、っていうカッコよすぎる生き様を、そんな人生を執り行っていきたい。うっわ、かっこよすぎ。

 強く生きるには、強く生きるためには、以心伝心の受け手側こそ力の入れどころなんだ。

 そんなことを思ったよ。スパイになって一生コリン・ファースを守りたい。ラブ!!!


 バックグラウンドを共有せずに理解しあうという美徳におぼれることと、おぼれないことの狭間でクロールの筋力を鍛えていきてえな。平泳ぎのほうが得意だけど。
 冷静に熱い心でそんな美徳の岸辺に住んでいきたい、岸辺に咲いた赤いスイートピーになりたい。


 はぁ、がんばろ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?