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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第62回 第50章 ミカン転がる四暗刻 (後半)

 ところが、肝心のその付き合っていた女の子は同じ受験校の中で実に全部で3人の男子と「分断」交際をしていて、この気の毒な男子生徒に隠したまま、都内からは到底通えない距離の街にある別の某難関大学に願書を出して現役で入ってしまった。その大学の正門横には、4人目の男、それもうんと年上の男が待っていたのであった。赤バラの大きな花束を左手にぶら下げ、右手はジャケットの右ポケットに入れている。何かを掴んでいるようだ。
「遅いで、ジブン」
「何ですか。生徒と付き合っていいと思ってたんですか、せんせ」
「そんな顔すなて。ビジンが台無しやで。お前のスカラベ占い当たって、こっちの准教授にスカウトされたんやからええやないか。年の差かて、そのうち目立たなくなるで。きっとお前の方が姐さん女房に見えるようになるんやないか。これ受け取りや」
 傷心のまま東京に残ったこの理系クラスにいた男子学生が入学後間もない時期に大学構内を歩いていると、後ろから呼び止められた。女の子の声であった。
「おっす、めっす、キッス!」
(ゲッ)。
 聞き覚えのある声だった。脳の奥底の古い記憶がバネのように外に弾き出されてきた。
「ぶっす、かっす、げっす!」
 と、瞬時に昔のやり取りを思い出して返事をした。このスペイン語専攻の学生は、老朽化した公団住宅を3軒接続して一軒扱いした区画を親が購入した住まいに住んでいた。細長い廊下化したベランダの一番端の部分にテントを2つ立てて、その中でいとこたちやはとこたちと昼も夜も夏休みの何日かを過ごしたことがあった。コンクリートにペグは刺せないので、強力接着テープを使った。4日目の朝起きると、カラスか何かの糞で帆布は汚れていた。
 声をかけてきたこの子は、当時から親戚中でも一番気が強いとの評判だった。その後、中学、高校と進んでも、男と一緒に歩いているところを見かけたことのある親戚も知り合いも一人もいなかった(それとも歩かずに走っていたのか? 「キミとデートすると疲れるなあ」なんて)。受験ノイローゼのせいか、高校1年の途中から時々ウィスキーのポケット瓶を密かに買っては勉強部屋で飲んでいた。そんな事情を知らない東京のはとこは、隣を歩いていた別の女子学生の方をちらっと見たが、そのコに別に話しかけはしなかった。名門大学ほど、初対面の新入生同士、自分の無知を覚られまいとして相手を過剰に警戒して寡黙になる傾向がある。そのうちしっかりバレるのに。
 学生のひとり暮らしの場は、親の目が届かないため、他人が訪ねて行くといろいろなことが見つかる。それぞれの部屋で、酒屋からビール瓶のプラスチックケースを盗んできて逆さまに並べてベッドに仕立てていたり、いくつも並べた水槽と水槽の間で変形歩道橋を被せたように繋いだ連絡パイプを通って熱帯魚が行き来していたり、床がマンガで完全にうずたかく埋まっていたり(掃除に着手するためには勇気が必要となる。さまざまな「発見」があるため、考古学者になったような気分になる)、壁際に座布団を20枚以上重ねてひとり牢名主になっていたり、床から天井まで重ねた透明ケースにフィギュアを入れていたり、紅茶の乾燥したティーバッグが天井にたくさん張り付いて紙がひらひらしていたりする奴がいる一方、これらとは逆に本人の普段の学内でのイメージと違って、突然訪ねて行ったのに見事に掃除が行き届いていて見直す相手がいたりで、興味は尽きない。東京は気温が高いので、部屋の中の小さな鉢やプランターに熱帯や亜熱帯の珍しい植物を植えている奴もいる。
「これ、モミジガサみたいだけど違うな。何の葉っぱ?」
「何だろうな?」
「えっ、自分で知らないのか?」
「だって、カノジョが持ってきた種を植えてみたら芽が出てきたんだ」
(まさか)。

第51章 腹いせ酒の女子学生 https://note.com/kayatan555/n/nee8b8ca2f0b2 に続く。(全175章まであります)。

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