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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第113回 第87章 七輪を前に (2/3)

 小さいながらも体育館があるのは素晴らしい条件である。この中にはヨット数艇を運び込んである。天井が高いので、マストを外さずに、そのまま艇を中に置いておける。まだまだスペースにたっぷり余力がある。大きな方のヨットも、外国の王族が乗るような巨大な船体に比べればメザシ程度の代物に過ぎない。台車の自走化は今後の課題だ。
 かつてこのジムでは小学生たちが体育の授業を受け、入学式や卒業式が執り行われ、来賓の退屈極まりない挨拶が述べられ、休み時間や放課後には走り回る子どもたちの姿があったのだろう。見上げると、鉄骨の間にドッジボールが1つ挟まっていた。これは落札時未確認動産として市役所に届け出る必要はあるのだろうか。それとも盗撮用の機材だろうか。明日別の場所に引っかかっていたら、祟りでござろう。ボク恐ーい。
 教室には黒板があるので、チョークを持って授業ごっこをしてみたりしてバカみたいである。
「これがベンゼン環です。ケクレ構造のエピソードは知ってますね。化学史は読んでいて面白いですね。英語で読む方が分かりやすいですね。残念ながら、名詞の単数・複数が日本語では分かりませんからね。でも、化学だけじゃなく、全部の科目が日本語で勉強できるのは素晴らしい条件ですね。いくら英語ができても、母語での思考能力には敵いませんですからね。世界中でそういう国は少ないんですよ」
 この旧分校の敷地は変形で、海岸に一番近い場所は、波打ち際からわずか8メートルしか離れていない。海岸自体は国有地である。仲間たちと相談して、艇庫の名前は日本語を正式として、「風と波と空と」に決めた。ドイツ語ではWind, Wellen und Himmel(ヴィント ヴェレン ウント ヒンメル)、フランス語ではLe Vent, les vagues et le ciel(ル ヴァン レ ヴァーグ エ ル スィエル)である。うちの寺務長さんをおだてて、冬の間(農閑期)にヒッコリーか何かの厚い板にこの艇庫名を彫ってもらう予定である。この艇庫から4キロほどしか離れていない近くに母校のクラブハウスがあるが、なるべく顔は出さないようにしている。私は10年以上も前に4単位を取っただけの教授に対して愛想笑いをして御意などと言いたくない。私は外様の人生で結構である。何しろ、その人物の手術の手際の悪さは伝説となっているほどである。むしろ何もしない方が患者さんが生きていられる期間が長くなりそうである。
 考えてみればおかしな話なのだが、以前は、艇庫だけでなく、我々のヨットにも何となく誰も名前を付けていなかったのだ。だが、これは日本では普通のことである。大学構内の道にだって名前は1つも付けられていないではないか。このことについて、ドイツ人の准教授が「あなたたちは、通りや広場の名前なしに、自分の物理的ないし地理的位置をどう認識・定義・記録・報告しているのですか。私には到底理解できない態度です。私に任せていただけるなら、学園の理念、歴史、主要な教授の業績を顕彰する観点から、学内の長さ3メートルの『通り』まで全部命名の候補をご提案できますが。学長先生はどうお考えですか?」と批判した。何も不思議はないんですよ。主語を明示しないことが基本の日本語を使っているからでさあ。
 しかし、艇庫に命名をしたのだから、その中に納める船にも名前をつけるのが自然だ、と我々は考えた。そこで話し合った結果、船底のフジツボを刮げ落とし、合わせてペンキも塗り直すたびに船名も変える、つまり、年に少なくとも1回は船の名前を付け替えるということに決した。これに関して、我々の排他的なヨットクラブ定款に次の追加規定を設けることになった。
(定款本体の立案および監修は私の兄がしゃしゃり出てやってしまった。特に誰も反対しなかった。別にいいけどさあ)。

第87章 七輪を前に(3/3) https://note.com/kayatan555/n/n83ef2b089431 に続く。(全175章まであります)。

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