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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第98回 第79章 旧校舎視察 (前半)

 こうして私が代表者になったので、翌週の指定日にハマナス市役所まで出かけて行って、市の仕立てたマイクロバスに乗って現地説明会に参加した。実証実験用にメーカーから無償供与されていたのか、電気自動車を使っていた。音も振動もなしにいきなり発進して、直線的に加速して行くので調子が狂う。あへー。昔走っていた木炭バスならどんな乗り心地だっただろうか。どういうわけか、他に一人も参加者は現れなかった。まさか、車内にいたのに見えていなかったわけではないだろう。ということは、競争相手がひとりもいないということだろうか。それとも、プロはもっと賢くて、姿は現さずに競争者たちより例えば500円程度上回るだけの芸術的なまでに見事な入札をやってのけるのだろうか。もしそうなら諦めるしかない。
 この日、初めて物件を見ることができた。お目当ての元小学校の校舎は貧相で傷んでいるはずだとばかり覚悟して行ったのだが、鉄筋のそれなりに立派な建物に見えた。正門の横にイチョウの大木が1本あるが、海岸近くで風が強い割には、幹はほぼ鉛直上方に成長している。苗を植える時に、風上に傾けて植えておいてもこうはならなかっただろう。藤棚が崩れかけている。藤の根元は目視長径18センチぐらいの太さがある。ということは、100年ぐらい経っている可能性がある。開花の季節ではないので、花が薄紫の、それこそ藤色なのか、白なのかまでは分からない。グランドには50メートル走のトラック1本があり、廃校まで付近住民が楽しみにしていたはずの運動会もちゃんとできる広さがある。野球用バックネットは相当錆びてきていた。バスケットボールのできる広さの体育館まで附属しているが、プールはコンクリートが傷んでいて使い物にならない。
 本来は内覧は禁止であった。つまり、入札用物件の内部は見せてもらえないはずだったのだが、私ひとりしかいなかったためか、何か別の事情でもあったためか、校舎内部も特に急かされるでもなく見学させてもらえた。
 校長室前の振り子時計は止まったままだった。廃校になって久しいのにまだ動いていたら祟りか超小型核融合時計である。教室は2つ。一般教室と、理科室兼音楽室兼図工室である。本校から寄贈されてきていたのか、人体標本が2体も短い廊下に衛兵のように向かい合って置かれている。狛犬の代わりか。あの間を通って歩くのは恐怖の体験であろう。落札できたら早速校舎の外に出して厄介払いしてしまわなければならない。そうでないと、夜泊まれる日になっても、誰も怖がってトイレに行けなくなってしまう。農家が野菜や果物の無人販売所を設置していることがある。誰も監視していないのに、ちゃんと代金が支払われ、しかもお金が盗まれないのは驚異的なことである。(いやあ、お天道様がセンサー付き赤外線魚眼レンズでずっと見ておられますだ)。その例を見習って、学校前の歩道に2体とも置いて、「ご自由にお持ち下さい。おばあちゃんの使っていたようなねんねこで背負うと運びやすくなるし、目立ちません」(隠し帳簿収納用)とでも書いておこうか。誰も持って行かないだろうか。逆に、孝行息子のように心細やかな標本だったら、途中から「重たいでしょうわたし。交替しましょう。ここからはわたしがあなたを背負って歩きますから」なんて申し出たりして。校舎内に独りでに戻っていたら、校舎がなぜ格安で売り出しになっていたかの理由が判明するかも知れない。この見学時にメモを取って、帰宅後に文章を整理してあったので紹介しておく。

第79章 旧校舎視察(後半) https://note.com/kayatan555/n/n8067add1e1e9 に続く。(全175章まであります)。

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