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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第99回 第79章 旧校舎視察 (後半)

「並べられている机のサイズが微笑ましい。小学生って、こんなに体が小さかったのか。自分がまるでガリバーになった気分だ。主教室の左側面は窓であり、西に向いているため日本海が全面的に目に入る。日の出も夕焼けもきれいだろう。後から追加されたであろう耐震強化用鉄骨が剥き出しでX型に交差しており邪魔である。上には埃が溜まっていた。床は木組みで、教室の右横と後ろに棚があった。後ろの方の棚は正方形の升に切ってあり、その上のコルクを薄く貼った壁には習字が画鋲で飾られていた。だが、書かれているのはおかしな文字列ばかりである。
 めんたんぴん がまいずみぶんこう 小一 あゆかわはなぢ
 入れ歯のエレガンスでがんす 小三 草川草草
 明けない夜 小四 長隧道闇子
 敗訴れまでよ 小六 蛇柳龍尾
 どういう指導をしていたんだ、この学校は。教室内の黒板の上には、今月の「めあて」として、『あたらしいことに ちょうせんする』と書かれていた。黒板の横のフェルト面には連絡プリントが画鋲で留められている。紙は変色している。リグニンということばを思い出した。黒板の右端には、上から日付(寛仁四年九月三日とある。この場合、九月はながつきと読む)、日直の名前が二人分チョークで書かれており、黒板消しの上にはまだ少しチョークの跡が見えた。小型の棚で壁に取り付けられていたはずの黒板消しクリーナーは外されていてなく、教室の前方と廊下の角には、ガラス戸付きの書類収納棚があった。中はさすがに空である。怨念は籠もっていたかも知れない。児童の机の中には何やら箱が見える。置き忘れたのだろうか。廊下に面した掲示欄には絵がまだ掲示されており、絵の下にはひらがな書きの児童名が残っていた。壁を全部被うほどの絵はない。それほど児童数の減っていた小規模校だったのだろう。これらの絵は、最後の運動会の風景を題材にしたものであった。キャプション付きである。それらによると、玉入れをする禿げているのに揉み上げだけは黒々としている人物は校長先生(脇ちょんまげ)であり、その老母が持ってきたおはぎを極端にデフォルメした絵も側にあった。別の教室に入るドアの横は天井から床まで透明なガラスが嵌め込まれている。
 校舎の中には、中身の少し残っている米びつや、干からびた味噌、乾燥した人参、納豆のパック、黒ずんだ梅干し、辣油などの調味料の乗ったままの食卓や、掛け布団、古新聞や綿のはみ出たちゃんちゃんこ、片方の靴下、「短靴」(このことばに反応される方は、すでにたいていお孫さんがいらっしゃる)、お玉、ラーメンどんぶり、役所からの何かの通知書の封筒、等々が散乱しており、この分校が、ある年度末に全校を感謝清掃してから正式に閉校式をして校歌斉唱とともに幕を閉じた、というより、まるで借金で首の回らなくなった一家が夜逃げしていった跡であるかのような感じが濃厚にした。まさかとは思うが、あり得ないことでもなかった。
 体育館の壁の高めの位置に校歌の歌詞と楽譜が残されていた。歌詞は筆で書いたのではなく、木彫りのレリーフになっていた。恐らく保護者の誰かが学校に申し出て制作し、寄贈したものであろう。材質はイチイ(北海道ではオンコという)のようで、時の流れで木の油分が滲み出してきていたのか表面の木目が柔らかそうに見える。小さな節が抜けて、『め』と『ぬ』が判別できなくなっている。この校歌のさわりの部分を記録しておく。
  Decrescendo senza vigore. 
 ああ、赤蛙小学校 蝦蟇出水分校おーおーおー
 怪我をしたなら 蝦蟇の脂
 時々光るよ 四六の蝦蟇が
 緑に光るよ 蝦蟇の目玉
 まっかに伸びるよ 蝦蟇の舌が
 蝦蟇んできない 冬の寒さ
 蝦蟇ん強いよ 懸垂ごっこ
 Free care 買わず飛び込む 万引き犯
 蝦蟇出水 がまいーずみ
 吾等が母校ううう どろん どろーん
 恨みます うらみます 裏見ます?
 われらが暗き運命 どろん どろーん
 (以下3番まであるが省略)」
 (メモはここまで)。
 念には念を入れて、その数日後、もう一度、今度は仲間たち数人を連れて追加調査に行った。不動産の入手は、何十年もの負担を抱え込むことであり、例え邪魔になって所有権を放棄しようとしても、そのような制度は存在していない。売るか、相続させるかしかないのである。恐らく違法だったのだろうが、実はドローンを飛ばして上空から校舎や敷地の動画と静止画像の両方を撮影してみた。操縦ミスで窓ガラスを割ったりしてはぶち壊しであったので、慎重に操縦した。敵に渡すな大事なXXXン。実験段階で市販はされていない超小型モスキートタイプのドローン「くーんくーん」号も放って使ってみた。クシャミをする瞬間の爺様の口の前を飛行すると、叩き落とされかねない軽さであるが、飛行経路の障害物が大きくなければ、一般家庭サイズの煙突からこっそり建物の内部に侵入撮影することまで可能なのである。
「おはよーございます」
 すると、鳥の巣の跡や、ネズミの糞、蜘蛛の巣の映像の後に、すっぽりとコークスストーブの中に入り込んでしまった。はい、それまでよ。これは、あまりにも設備が古かったようである。

第80章 石狩湾北沿岸に自前の艇庫を確保せよ(前半) https://note.com/kayatan555/n/n0d961ce2e9b0 に続く。(全175章まであります)。

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