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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第180回 第146章 古いインク、新しい文字

 今自分自身が医師になっている私は、その頃の父の立場に身を置いて考えてみようとする。論文の著者名として、京都大学医学部助手丸原浄の助ン(医博)と印刷されることになるのだ。鼻血ブー(谷岡ヤスジ)どころの興奮では済まないだろう。その後昇進できれば、最終的には京都大学医学部教授丸原浄の助ン(医博)まで行くことになるのだ。しかしだね、札幌そして広く北海道で暮らす気楽さは、医学界での名誉と引き替えにできるだろうかねえ。答えは出しにくくなるが、結局は、あてくし、地元札幌市の勤務医で十分結構でございますよう、と辞退することに落ち着くだろう。それに、(大東京までも含む)「地方」と京の都とでは、街の格が違い過ぎるように思われてならないのだ。そんな緊張を強いられる日常生活に、私なら到底馴染めないだろう。
 セシリアの父をどう呼べば良いかまだ妙案は見つからないでいる。Thank you for joining our family, my son. Just call me Dave.(わたしたちの家族の一員になってくれてありがとう、わが息子よ。オレのことは気楽にデーブって呼んでくれよな)とは言われているが、侍の気性としては二の足を踏まざるを得ないでござる。さあ、どーする。いっそデブちゃんと呼ぼうか、推定脂肪率10%を切っているのに。この家族写真と札幌の写真を合成して拡大家族写真を作成した。写真の中では全員が笑顔である。
「父さん、オレ横浜出身のこのコと結婚するよ。こうすれば、みんな一緒だよ」
 婚姻届は、御簾の奥に控えたお琴、尺八、津軽三味線の演奏の下(「はっ!」)、セシリアが片方の肩を剥き出しにして任侠の姐姿でサイコロを振った結果(入ります! 英才教育生きてます!)、ボクらの新居を管轄する札幌市ライラッ区役所ではなく横浜市中区役所に提出することになった。
 私は、父が論文の署名用に使っていた祖父の遺品の万年筆に、戦前のドイツで生産されたインクの最後の数滴の一部をつけて署名した。インクは底にDeutsches Reichという文字の浮き出たガラス瓶に入っていた。インクは数十年の間に少しずつ化学変化をしていたはずなので、祖父が書いた時点とは色が少しずれていただろう。ブラックではなく、限りなく暗闇の色に近いブルーブラックである。残りは蒸散を抑えて保存しておかなければならない。生まれてくるであろうセシリアと私の子が結婚する時にまた、ペン先を湿らせることになるのだから。
 セシリアは横浜居住初代が英国から携えてきていたペンを使った。インクは古式に則り牛の角に入れてあった。
「お前はどこの牛の角じゃ?」
 手首には、学生時代のままの真四角の時計が見える。ペン先とペン先を合わせて、「いざ、尋常に勝負」。
(あなたまさかわたしに勝つつもりじゃないでしょうね?)。

第147章 再び旭ヶ丘へ Nochmal nach Asahigaoka; À nouveau à Asahigaoka; Till Asahigaoka igen; 再次前往旭丘 https://note.com/kayatan555/n/n1da21ccfbcca に続く。(全175章まであります)。

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