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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第149回 第115章 暗くても、寝てはいられない貴重な夏の朝

 繰り返しになるが、北海道に住んでいると、札幌圏で平均4ヶ月半を超える冬の間は寒さのために人間の活動水準全般が著しく低下している。至便かつ乗車無料の自転車にも乗れない。だから、雪も市街地の大部分で消えてしまい、暖かい日が増えてきて、連休明けの5月の3週間余の期間も、冷えた雨の後にひときわ強くなる紫青や気品溢れる純白のライラックの香りとともに毎年のことながら惜しいほど早く過ぎ去り、さらに6月に入って気温が25度を超えることも珍しくなくなってきている日々には、深更にまだ太陽が今日あたり出てくるのを忘れてしまうのではないかと思われるほど暗くても、とてもおとなしく寝てなんかいられない。
「そうだ、そうだ、おらも寝てなんかいられないぞ」
(詠み人知らずの共感発言)。
 と言って、起き出すにはまだひどく眠たい。
「そうだ、そうだ、おらも眠たくてたまんないぞ」
(同)。
 そこで、出奔癖を克服できないやどかりがあたりを窺うように暗闇の中で必死に目をこらす。出かける準備は昨夜(正確には今日に入っていたが)消灯する何時間も前に完了させてある。枕元から玄関まで、着たり持ったりする物を合理的な一本の動線に沿って全部並べ終えてある。ハノーファー市内に観光客の便宜を図って引かれている赤い線のように、その動線通りに移動して外に出て最後に鍵を4重にかければ、どこにでも出撃できる(何言ってんの? そんなバカなことやってないで、黙ってすっと出て行きなさい。ほんと、ばあーっかじゃないの、男子って?)。
 今日は仲間たちと大事な約束もしてあるし、うっかり睡魔のアリ地獄に引きずり戻されてまた眠ってしまっては、貴重な夏の人生を丸一日分台無しにしてしまうことになってまずいので、手を伸ばしてそっと布団から頭の方に手先から、手首、ひじ近くまでをおずおず出して、ペットボトルのブラックコーヒーを掴む。そう、無糖の方に手を伸ばしたつもりだった。もう十分暖かい季節に入っているのに動作がいまだに慎重すぎるのは、長い冬の間の容赦ない寒さの記憶とトラウマが消しようもなく脊髄を中心に、頭頂から尾てい骨の先端にまで染みついているためである。
 あなたは小学生の時、摂氏零下28.5度まで下がった朝に、窓ガラスにはいつものように薄く堅い氷の華が咲いていて、地表付近の風速が毎時19.2kmの白濁吹雪の中、片道2.5kmの区間を徒歩で学校まで通った経験があるだろうか。日により気温に多少の差はあれ、このような過酷な条件下で私は週5日間往復通学していたのだ。雪の結晶がワイパー付きサングラスの隙間から眼の表面にぶつかってくるのである。下校時にはきっとさらに気温が下がっている。
 これは私が生まれた札幌市でのことではなく、父が氷結川医大で研究をしていた道北でのことである。当時、家族は神楽岡(The Kagura Hills)に住んでいた。この丘陵一帯は一次林で環境が良く、明治政府が「北京」(ほっきょう)にすることを企図した後、離宮の設置を閣議決定した場所である(未実現)。美瑛付近までの土地が皇室御料地として編入された。あれ以上道北での生活が続いていたら、一家全員が肉体に深刻な損傷を受けたのではないだろうか。札幌の寒さはまだ「マイルド」であるが、旭川の寒さは「ワイルド」である。両都市の間にある深川の東西で、気候は質的に大いに異なっている。
「トンネルを抜けると底はマジ白かった」
 うまい具合に、900mlのだいたい4分の1ぐらいが残っているだけで、ボトルは軽く持ちやすくなっていた。蓋を勢いよく回すと超小型のカップラーメンのように回転しながら遠くに飛んでいってしまうこともあるので、気をつけてゆっくりと回す。利き手の手のひらとボトルの間に蓋を挟んでボトルを持ち上げて口まで持ってきて傾けた。ボトルは少し凹みかけていた。中身を口に含むと、乾ききっていた口腔に液体が入って行き渡っていき、見る間に渇きを癒すのと、その媒体がカフェインを含んでいるのとで、脳が他に誰もいない新雪の長い坂を滑り降りる橇のように活動を開始する。熱は感じさせないが強すぎる陽光の下、思わず顔に冷たい粉雪が当たってゆく感じがする。橇にブレーキはついていない。重力に引かれて有無を言わさず位置エネルギーの解消を目指すかのように、肉体が無分別なほどの加速度で滑り降りていく。慣性で頭が後ろに倒れそうになる。摩擦の少ない特権的な世界は素敵だ。
 温度も体に働きかける一要素だ。それぞれ昔縁のあった高円寺(住んでいた西荻も良かったが、ドイツ人とのハーフの友だちの実家があったため、何度も他の奴らも呼んで飲みに繰り出しては、そのうちに泊めてもらった。ありがと、おばちゃん。おじちゃん、麻雀もちっとうまくなってよ。この友人宅には、ホッケとじゃがいもと「めふん」を何回かお礼に送った)や北鎌倉(修行僧だったわけではない。まだ20代なのに絽に和傘の似合う女性がおったのじゃ)や神戸(あの暑さを除けば日本一魅力的な街やんか。まず老祥記に行ってみ。3個いくら、と書いてあるのに、「2個ね」とか「4個」などと注文するのが地元の人間の証拠。3の倍数ごとに大声で顔をしかめる客はいない)やエクス=アン=プロヴァンス(やっぱり南フランスが一番ほっとするずら。何つったって地中海。来週は運河ツアーでトゥールーズまで行って、飛行機組み立て工場の見学をさせてもらうずら。案内人はハンブルクから出向してきているドイツ人に当たるだろうか。こぴっと頑張って旅費を稼ぐずら)に再訪で短期滞在しているときには、液体の温度も高い。だが札幌では夏至を過ぎてもやや低めの温度に留まっている。この黒っぽい液体が、暗闇の中で唇から口内から喉から食道から胃までを浸してゆく。
 ところが、開けてしまったのは並べて置いてある微糖のボトルの方だった。間違ったのだ。枕から遠い緑茶の方を選んでおけば良かった。宇治の市販されていない玉露を自分で煎れてあるんどすえ。京都市どストライク洛中の親戚が毎年送ってくれはるんどすえ。うちからは、メロンと鮭と昆布を送ってるんどすえ。時々、かなり高めの北海道名産品を描いた絵手紙を送って寄越して、追加の貢ぎ物要求をそれとなくほのめかしてきはるんどすえ。この関係は朝貢か? うちらは連中の子分か? 家来か? 家臣か? 豊かな北海道をなめンなよ、われー。この一家からは、いまだに「なぜ蝦夷から上洛してきへんかったんどすドス? 好かん」とか言ってくる。京大に入らなかったのを恨みがましく咎めているのだ。オレには黒澤外語大が一番合ってたんだよう。生まれ育った北海道の暮らしに満足してるんだよう。
 もう、口の中、歯の間にわずかだが糖分が染み渡ってしまった。そのため、すぐに起き上がって歯を磨かなければならなくなってしまった。超音波電動歯ブラシは歯の表面がさっぱりしていいよう。半年ごとに通っている歯医者に行くと、歯ブラシの使い方を復習させられる。役立つ実用知識である。9等身の美人女優も歯を磨くことを笑顔と美声で勧めている。あの子に声を掛けられて勧められたら、理性がとろんと溶けてしまって、たとえ晴天微風、白發中(はく、はつ、ちゅん)、ローン! の好条件の下でも、指示に盲目的に従って、あえて胴体着陸でも何でもいたしてしまいそう。(アホでせう? こやつ)。
 腰痛にも心筋梗塞にもならないように、体脂肪率が10%を割っている引退を控えた太極拳の老師(ラオシ)のようにゆっくりと立ち上がる。そういえば『らんま1/2』の連載は終わったのか?(「古っ。今は公式には21世紀ということになっているざんす。いくつかの国々を除いて」)。終わってしまったのなら、『らんま2/3』でも出してくれんかのう。それが無理なら『3/4』でも(「ひつこいで、ジブン」)。他人の目を意識してヒップアップにしたいのなら、お尻の位置は手加減なしにうんと引き上げてランドセルぐらいの高さにまで持ってこなければならない。
 今夜はこの寺には誰も泊まりに来ていなかった。(オマエたち、変な起こし方はしないと約束するから、また飲みたくなったら泊まりに来いよ。酒と餌は自分で持って来てくれ。おいしいのあったら少しわけてちょーだいっ)。偶然、方角から判断して、函館本線の移設後の苗穂駅付近と思われるあたりから電気機関車の鳴らす汽笛が聞こえた。
 エレキ木魚なる代物があったら、いくつも立体的に並べてアンプをつなげて、本堂でジャズのオールナイトのライブセッションをすることができるだろう。音響効果が良いのだ、うちの寺は。客席の後ろには、うちに棲息する幽霊たちも勢揃いするだろう(冷房担当)。

第116章 朝の早よから車で来客 https://note.com/kayatan555/n/n2ee7b6f8e794 に続く。(全175章まであります)。

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