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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第74回 第61章 どう対処する、まさかの事態 (前半)

 突然の事態に戸惑ってしまって、ボクは正常な判断能力を発揮できなかった。大手新聞社主催のある撮影会でのことであった。セシリアは真っ黒のサングラスをして、モデルをしていた。彼女は何を着てもよく似合う。目を隠していても、ボクにはすぐに彼女だと分かった。胸にタトゥーをしていたからである(ウソ)。そのタトゥーには(だから、ウソって言ってるでしょう)、「浄命」と書かれていた。シールか本彫りか見分けはつかなかった。出演の意図が掴みかねた。お金に困っているはずはないのだ。
 声をかけようかどうかでボクは迷った。まるで、手紙への返事を書きそびれているうちに、次第に肩身が狭くなって行くのに似た心境だった。人生の一大事件ではあったものの、結局直接目を合わせることも、言葉を交わすこともできなかった。
 あの場合(ばやい)、突然の強い地震だったんだからさあ、人助けしたんだからさあ、名前も知らない外人モデルの命を救ったんだからさあ、そのモデルから感謝のキスぐらいされるよ、それをいつまで怒ってるんだよう、と言いたかったが、そんなことを面と向かって言ってしまったら、今度はTMで済むかどうか。例えば、SKされたらおおごとでしょう。さて、ここで問題です。この文脈で、「SK」とは何を指すと考えられるでしょうか。
 (1) 処刑
 (2) 死刑
 (3) 私刑
 (4) 折檻
 解答: どれも当てはまる可能性がある。ちなみにKKなら極刑。滑稽なら良かったんだけどねえ。
 だが、その日の朝のテレビでは「迷ったら思い切って前に進んでみましょう」との運勢占いが出ていた。昼だって、学食でこれまで試したことのなかった品目を2品食べてみた(何それー。人物が小さいねえ)。片方はおいしかったが、若干高めに感じた。もう1品は失敗作に思えた。オレってこの程度の器か?
 その日は、葛西臨海公園が広々として気持ちが良いから、お前もいっぺん行って見ろよ、あのな、あそこでミミウィルスが見つかったんだってよ(へっ、何のことだ? ウィルスに耳が生えているのか?)、と以前から友だちから言われていたので、その近くで撮影会が開かれると知って、大学の授業後に行ってみたのであった。一回ぐらい撮影会というものを経験しておいてもいいだろうと考えたのだ。幸い、事前予約は不要だった。
 偶然続きでその会場内で久し振りにセシリアを見かけるという予想もしていなかった幸運に巡り会えたので、ためらいを振り切って、引き続き積極策に出ようと思った。SKが何を意味しようが構うもんか、人生には何も考えずに直感を信じて決然と行動すべき時がある(「ほんとにそれでいいのね、あなた?」)。この時がまさにそうだった。SK=速攻。ところが、寸前に斜め後ろから妨害が入った。聞き覚えのある声が聞こえた。
「おお、丸。お前も来てたのかよ。品行方正のような面してて、案外隅に置けないな。今日はよ、すげえ上玉が何人もいるぞ。番号聞き出せないかな。しつこくやりゃ、ひとりぐらいデートに漕ぎ着けることできるかもよ。そしたらよ、いやあ、この先は言えまへんて(よだれがじょろり)」
 あの「外人モデルを接写致すのが好き」と言っていた同じカメラ部の部員が、性懲りもなく参加券を買ってはあっちこっちの撮影会に出没していて、よりによって、その日の会場でもその下品な面(つら)を曝していたのである。せっかく意を決してセシリアに近付いて真剣に話をしようと思った矢先に腰を折られた。お前の首も折ってやりたい。ポキッ。こいつ、いつでもどうでもいい話しかしない。
「この間、夜中試験の準備していて、腹が減ったからインスタントラーメンを食べようとしたら部屋に切れていて、それなら確か素麺があったはずだと思い出して、茹でる時間が3分のだったかな、2分なら早くていいなと期待しながら棚から出そうとしたら、サイズの違う缶詰がどどっと落ちてきて、見たら赤貝や焼き鳥の缶まであったんで、これは脳がちょっとアルコールを欲している印だと思って」
 おい、頼む、オレは今それどころじゃないんだ。一生を分けるかも知れないんだ、この突然の再会が。

第61章 どう対処する、まさかの事態(後半) https://note.com/kayatan555/n/n270d49dad0cc に続く。(全175章まであります)。

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