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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第75回 第61章 どう対処する、まさかの事態 (後半)

 多くの人間には自分自身の醜い振る舞いが見えない。
「ねえ、キミ。日本語分かるよね」
 接写男はデリカシーを欠くアングルでにじり寄っていった。セシリアの肌から80センチ、40センチ、20センチ、10センチまで近づき、そして最後は2センチまで迫って撮影しようとした。人間の骨格からしてあり得ない姿勢になっている。執念とは恐ろしいものである。
 すると、それまでずっと大理石の彫刻のように身動きもしていなかったセシリアは、男のナポレオンフィッシュのように前に突き出したひたいを片手で押し止めて、サングラスをもう片方の手の指先で外して長い髪を揺らしながら勢いよく立ち上がり、「おうりゃー!」と叫びながら、この男の股間をハイヒールの尖った先で強烈に蹴り上げたのである!
 ああ、奥さん今の見てました? この正義、義挙、ホーホケキョ。
“Yes!” 
「ああ、右と左に泣き別れ」(主語は何ざんしょ)。
 付近は拍手喝采となった。
「やれー、やれー、もっとやれー!」
 セシリアは英雄になった。近くにいたカメラオタクたちも騒ぎを聞いて押し寄せてきてセシリアの写真を撮り始めた。目覚めたらすぐにシャッターを押せる体制を取る、これが連中の処世訓である。シャッターチャンスは常にあるからだ。ボクと同じ学年のこの蹴られた学生は、フロアに転がって、唸りながら股間を押さえて目をきつくしかめて苦悶の表情である。だが、誰も助けようとしない。こんな奴、しょせん赤の他人だもんね。ガードマンが別のコーナーから2人走ってきて、計4人で不届き者がセシリアの体に触れないように警棒で威嚇した。あのたぶん樫を使っている棒で力一杯頭を叩かれたら、即死するかも知れない。声援は続いた。
「いいぞ、エロ男をつまみ出せ!」
「そーだ、そーだ!」
 しばらくその現場は騒然としていたが、野次馬は新たな事態が起きないので飽きたのか、そのうちに静まっていった。会場は広く、他にもモデルは何人も揃っていた。何かのキャンペーンガールと束の間お喋りができるだけで儲けものではないか。まさか蹴り上げられたりはしないだろう。セシリアはこうして数分して群衆の大部分が少しずつ別のブースに移って行ってから、元のポーズに戻って座った。それなのに、まだ数人がハエのようにしつこくセシリアの回りに留まって写真を撮り続けた。この騒ぎの後に入場してきたらしい顔もあり、全員邪魔であるが、いずれも排除不能である。ボクに特権があるわけではなかったからだ。それでも言いたい、シッシッ。
 ボクは、あとわずか数秒でセシリアに声をかけられる絶好の位置まで達していたのに、この騒ぎで完全にタイミングを潰されてしまった。恋愛は飴細工でもありガラス細工でもあるのだ。ざいく、さいく、小細工、不細工、連想ゲームって昔あったな。そこな駄洒落男よ、どこさ行く?
 セシリアはすぐ近くにいる人間がボクだときっとこのキックの前から分かっていたはずだが、話しかけてくることはなかった。ボクも何となく口がこわばってしまって、もっと近寄ってその目を覗き込むこともなく、挨拶を交わすこともなく、ざわめきの中、間の悪さに耐え切れずに会場の出口に向かってしまった。一生を分ける気の弱さだった。いっそボクまで蹴りを入れられてしまえば良かったのかも知れない。これは何と愚劣な言い草か。蹴りじゃなくて、そりを入れられたらどんな髪型に変わるだろうか。性格まで変わってしまうだろうか。
「ちーっす、あっざーす」
(こっちの方が人生楽に生きられるかも知れない)。
 床にはまだ接写男が転がっていた。入場者は自然な足取りでこの障害物を避けて歩いている。こいつはこれでも懲りずにまたすっくと立ち上がって元気にエロ追究の道を歩いて行くんだろうな。でも、案外こういう奴こそが人生で成功を収めるのかも知れないな。人気のニュースキャスターとかになって。
「やりきれない事件でしたね。他人の痛みに鈍感な人々が増えているように感じるのは私だけでしょうか。では、次のニュースです」
 一歩一歩、「戻れ」「戻って話をしろ」「戻るんだ浄」「今ならまだ間に合う」「何のために剣道の訓練を受けたんだ、人生ここぞという瞬間を見極めて捨て身で突進できるようにするためだろう」という内心の声が心臓に突き刺さった。しかし、ボクはロボットのように左手と左足を一緒に動かして進み続けた。いっそ電池が切れて生命停止した方が気が楽だった。
 カラーの高すぎるフロックコートを着せられたように、ついに振り返ることはできなかった。オレを情けない軟弱男と呼びたければ呼べ。人生そううまくは行かないのだ。会場を出ると、沢山の人々が蠢いていた。それぞれの人生が歩いていた。ボクは何をしに東京まで出てきていたのだろうか。深い後悔が残った。
 大学ではボクはドイツ語の実力が学年でトップと評されるようになっていた。学業にのめり込んで、能力ぎりぎりの努力を傾けていた。時々、昔実家の柳行李に入っていた祖父のドイツ時代の手袋、マフラー、重たすぎる外套とナフタリンの臭いを思い出していた。冬の伯林(ベルリン)のにおいだ。まだ体が小さかった子ども時代、兄と私は、この行李の蓋を被って畳の上を擦って歩くダンゴ虫遊びをしたのであった。その外套も随分昔に処分してしまったはずだ。写真は撮って残してあるだろうが。
 Medizin修行のその血を受けて
 我もまた歩み続けん
 ドイツ、都々逸、勁い国
 艱難苦難を乗り越えて
 いつもしっかり立ち直る
 学生生活の一続きの事件が薄れていった。その後、彼女との件は、結核の石灰化部分のように何年も体内に残ってしまった。霧は晴れても心はくぐもって行った。滌除できない我が青春の日々よ。
 だが、セシリアの内心は違っていた。このことは、うんと後になってから分かったのだが。
「あら、私もちゃんとあなただと分かってたわよ。人生は長丁場よ。ほんの何ヶ月単位で考えないでね。わたし別に諦めたわけじゃないんで、あなたのこと。あの夜、うちの部の部長に断りを入れないであなたと六本木に行っちゃったんで、その後部の例会にも合コンにも何となく出にくくなったから、撮影会ならカメラ部のあなたが出てくるかも知れないと踏んでのことよ。あの時だって、余計な事件が起きて私も迷っているうちにあなたに話しかけられなかっただけよ。あなたも医者になるって言ってるから、これからどこかでまた接触する可能性が残っているでしょ。まだ夢は続くわ。自殺だけはしないでいてね」

第62章 東京を350万人都市(un intermezzo)に https://note.com/kayatan555/n/n07e72db5f87f に続く。(全175章まであります)。

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