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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第23回 第20章 入学直後のクラブ選び

 その年、桜の開花は例年より1日遅れた。これが3月27日だった。江戸も東京も園芸の街である。やけに愛想のいい営業スマイルの不動産屋の紹介で初めて住むことになった、鎌倉時代に建った(ウソ)、建物全体を藤が密に覆っていて夏にはこれに朝顔が加わるアパート、コーポ幽玄四暗刻(Yuugen Suuankou)から西荻窪駅に行く途中の家に咲いていたピンクの花は、ハナズオウ(花蘇芳、Chinese redbud)というのだそうであった。葉もまん丸に近いハート型であった。上京・入学直後の高揚感、緊張感とともに、この花の色と香りが強く記憶に刻まれている。
 4月に入り、大学の入学式、オリエンテーションがあり、黒外大生としての目の回るような日々が始まった。オレ、勉強ちゃんとやっていけるだろうか。それに、あれほど多くのクラブや同好会から一斉に新歓攻勢を受けると、どこかに入っておかなければ4年間孤立した学生生活を送ることになってしまうのではないか、と深刻に悩まざるを得なかった。他の大学に入っていた高校時代、中学時代の友だちや知り合いのほとんどがどこかのクラブに入っていた。結局ボクはカメラ部に入った。写真部とは別である。
 思いもかけない経過で入部申込書に名前を書かされてしまってはいたのだが、気が進まないまま数回の例会に出席してみると、部内はまったく場違いでもない雰囲気だった。威圧的な態度を取る先輩はひとりもいなかった。それはかえって不運なことだった。パワハラで辞めざるを得ませんでした、という口実が立てられなかったからだ。それで、本当は一番入りたかったテニス部の入部説明会に大幅に遅刻してしまった一生を分ける後悔は灰色の思いで忘れようと努めることにした。こうして、一回入ったクラブをすぐ辞めると申し出る勇気が出せないまま、それでもカメラや写真に興味がないわけではなかったので、なるべく早めに気を取り直して、撮影や現像の技術も身に付けながら色々な被写体の写真を撮ってみたいと思ったのだ。都内に限らず、ちょっと遠出をして、薄幸な踊り子との出会いを求めて伊豆の山歩きもしてみたかった。
(そこな小粋な旅行き衣のお侍様、伊豆こへ?)。
 新入部員のひとりにそう話したところ、そいつは、「オレ、中等教育学校で硬式テニス部やりよったけんど、練習相当きつかったぞ。別にクラブに入らなくたって、どっかのコート借りてガールフレンドとぽんぽんボールを打てばいいじゃないか。気楽に単純に考えろよ。それに、カメラ部って言ったら何と言っても撮影会でしょ。ええクラブなんぞ、ここは。拙者は外人モデルを接写いたすのが好き」とエロい目をして言った。この両目には、モデルが傍らから登場して踊るぱらぱらマンガのような情景が上演されそうだった。
 そしてあの日が来た。5月21日だった。医師の父がまだ生きていた小学5年生の誕生日からつけている日記のその日の分の記述は多めになった。別のクラブに入るか、どこのクラブにも入っていなかったら、あの出会いはまずあり得なかっただろう。
 私は大学からうんと離れた都心サテライト近くの水道橋で開かれたクラブ合同の2回目のコンパに顔を出した。それまでに健康診断があり、身長は1年間で2.4センチ伸び、受験勉強中に少し下がっていた視力は高2の9月の数値3.14に回復していた(ウソ)。その後、猛勉強の割には目は悪くなって行かなかった。その夕方は、我々の他、医大2校を含む計7大学から参加者が数名ずつ来ていた。様々な能力に秀でた面々であった。後にこの日の出席者の中からプロの写真家が1人生まれた。
「へえー、まさかね」

第21章 クラブ主催の合コン https://note.com/kayatan555/n/n1a70f9933640 に続く。(全175章まであります)。

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