『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第115回 第88章 夏はいつからいつまで
それぞれが今や医師、歯科医師、薬剤師となった我々は、昔とは異なり自由時間の確保が至難の技となってしまい、それ以上に肉体・精神の疲労から、浜に集まっても、艇庫から船を出して実際にリギンやシュラウドをしてマストをしっかり支えて海に繰り出すことはうんと少なくなっている。代わりに、学生時代の厳しかった部活を振り返っては、浜や、校舎の中で酒を飲みながらお喋りを続けている。酒が一滴でも入ってしまったら決して艤装をしてはいけない。1箇所のミスであなたは死ぬ危険があるからだ。酔っての溺死は悲惨だろう。
札幌の我が家の広い敷地には、毎年豆リンゴと菓子胡桃とサクランボの生る庭がある。例外的に恵まれた環境である。以前はサクランボは1本だけでは受粉がうまく行かなかったため、うちでも品種違いの2本を植えてある。いずれも実が大きくなる。その後、1本でも実の生る品種が売られるようになったので、1本追加したところである。さらに改良が進んでいけば、今よりずっと大きなサクランボを仏壇に置けるようになるかも知れない。車2台程度の面積でも自分で自由にできる土地を手に入れることができたら、サクランボの苗を植えておくといい。毎年夏の幸せが逓増していく。なぜならサクランボは食べられる宝石だからだ。6月から7月にかけて、たくさんの実が色づいてきて、「うふふのふ」と笑みを抑えることができなくなる。子どもが生まれたり、小学校に入学したタイミングで記念植樹している家庭も少なくないのではないだろうか。
「あの年に植えておいて良かったわーん」
(植えたあの人、今いずこ)。
病院の方が午後4時15分からのシフトの日に、一本歯下駄を履いて庭に出てみる。2本の幹の周りをそれぞれ一回りして、枝や葉に隠れていた赤い実を体を捩りながら取って、その場で次々と食べては種を口から水平に撃ち出す。庭のある贅沢だぜ。見上げると、高い枝に青空に映えてまだ黄緑の小さな実がざっと250個以上は見える。
夏はいいよな、時間よ止まれ。
はい、止まりました(ウソ)。
アケビの手編みの籠にはまだ80粒ほど残っている。落とさないようにそっと家の中に戻ろうとすると、折悪しく近所の水泳教室のジュニアクラスの子どもたちが、紅潮した頬で、生乾きの髪を風に曝しながらインストラクターたちに連れられてうちの前の歩道に現れた。何度かこの顔ぶれを2丁先のログハウスのアイスクリーム屋で見かけたことがあった。プールサイドでのしりとりで先生の方が負けると(「ン?」)、ダブルのアイスを奢らされるルールのようであった。子どもたちは全員若い(そらそーだ)。
髪の毛が黒松の盆栽を玉散らしにしたかのように偏って生えている年配の泳法指導者がけしかける。
「みんな、ここサクランボがあるんだよ」
(また余計なことを)。
「えー、さくらんぼがあるの? おいしいんだよ、さくらんぼって」
男の子がひとり私をじっと見詰めたので、後で食べようと思っていた実を全部この子らにやってしまった。
「種は飲んじゃダメだよ。この庭に吐き出しなさい」
「うんっ!」
「プッ」
「プッ」
「どうもすいませんねえ」
(あんたのせいだぞ)。
やれやれ、次の収穫は来週になるな。それでもこの子たちから「おいしいね!」と笑顔が返ってきた。まあ、いいけどさ。女の子の声が聞こえた。
「またくるね!」
(げっ、もう来なくていいよ)。
明るい日差しの下、植物が盛んに生長する豊穣な季節が続く。しかし、そのうちに今年もまた気温はある日に頂点に達してしまい(あたしももう若くないわね。あんたのせいよ)、そこから後はそろりそろりと下がって行く。高かったリンゴの値段が突然一気に下がり、スーパーに柿が並び、体育の日が近付き、あれま、もう年賀状の宣伝が始まってしまったわさ。こうして毎年嵐のように日々が過ぎ去って行く。10月と11月の間にもう1ヶ月、木曜日と金曜日に間にもう1曜日入れませんか。
エスカレーターで上がる(ウソ)2階の書斎のドアにぶら下げてある手術の予定表を引っ繰り返して見えないようにして室内に入って(裏側は魔術の予定。うわっはははは)、海の基地の鍵を再び事務机の中に戻し、スマホに来年の海開きの予定を吹き込む。
「20XX年4月27日 明日用の餌、酒を買いに行くこと。鍵をポーチに入れること。旭川から何人来られるか確認すること。厚生、赤十字」
これで、来年の雪解け後もまだ生きていれば、また春以降の短くない「夏」の生活を再開することができる。そう、一般人の常識を共有しないボクらは、まだ肌寒い時分から海に集まるのだ。これは今はまだ例外的な生き方であるが、そのうち、より多くの人々も享受できるようになるだろう。エクスパット(定住外国人)も含めて。
その夏は札幌周辺では何月何日に始まるのだろうか。
それは、経験則上、布団の中が生暖かいと感じられ始めた初日から数えて平均100日後である。それまでの間に何度か冬の悪あがき、揺り戻し、春の進展遅滞ないし逆行があるはずだ。
学生時代のまださほど古くない記憶と、現在の医師としての制約の多い日々の経験が脳裏で交錯する。人生のモンタージュ、いいとこ取りができたらどんなに素晴らしいだろう。
では、夏とは何月何日までをいうのだろうか。
毎年4月下旬になるともう仲間同士海に集まっては艇庫周辺で流木を集めてバーベキューを囲み、ビールやワインを飲む生活を再開するぼくらは、この問いを口にするのが何とはなしにはばかられて、秋がそのうち次第に忍び寄ってくる潜在的恐慌に内心びくびくしながら束の間の気温の高さを楽しんでいる。しかし、そうした日々が今年もついに過ぎ去ってしまうと、もうお互いに会えなくなって、海を除外した街中でのキャリアのみの生活に戻っていく。夏の間中、海辺でいがらっぽい煙を吸っていたリュックは秋晴れの日を選んで洗い、庭に出して天日干しする。流木や炭の出した煙やバーベキューのにおいが消えて、ビンテージジーンズのような味わいになっていく。だが、さらに進んでダメージジーンズのようにすることはできない。中に入れたパソコンやスマホを落としてしまう。このリュックを車の後部座席に乗せての出勤が続く。診療中にふと気付けば、海を見なくなってから2〜3週間はあっという間に過ぎ去ってしまっている。毎年こうして気温が下がって行き、ボクら仲間たちはお互いに電話さえかけそびれて季節の喫水線を割り込んで、秋からさらに冬に潜り込んでゆく。
いったん冬になってしまえば、それはそれで別に極端に苦しい生活があるわけでもない。だが、まだ気温が高めで浜に行っていられる日々には、日焼けしたバミューダパンツをはいて、君が笑顔でプレゼントしてくれたマンガの刺繍入りのTシャツを、もう生地がどうしようもなく傷んできているのにそれ以外は着られなくなっていつも着ている。そんな毎日が楽しくて、その日々だけのために生きている気がして夏の1日1日を迎えている。ところが、日が陰ってきて、職場の、学校の、社会の雰囲気が先に進んでいってしまっている。
たとえば、9月第1週の最終日7日が夏の終わりだと誰かが決めてしまえば、翌日から後はもう秋なのだ。そう認めなければならなくなってしまう。
仮にその日付を10月7日とさらに1ヵ月延ばしてみたところで、秋は必ずやってきてしまう。秋は死を意味する冬の前段階であり、その予行演習である。風の冷たさが違う。空の青さ、高さが夏とはどことなく違い、しかも陽射しが何とはなしに柔らかく、そう、おとなしくなってしまっている。空をいくら見つめて願っても、今年も暑い夏はもう終わってしまったのだね。
だから、こうして毎年変わることなく、同じ問いを過去を振り返る形でしか発することができない。
「夏は何月何日までだったのだろうか」
いつか、知らない夏は終わってしまっていた。
海辺でなら、すぐそばにいたどれかの笑顔に訊ねてみることもできただろう問い、そのくせ本当は誰ひとり口にはできなかったその問いを、今度は他に誰もいないひとりの部屋で、夏の写真を繰り返して見詰めながら口にしてみる。
いつ最後に君の笑顔を見ただろうか。笑い声を聴いただろうか。その一瞬だけのためにぼくは生まれてきたのだった。君が笑顔で話しかける。ぼくが話しかけても、答えてくれたり、聞こえないふりをしていたり。でも、また笑顔が戻ってきている。
夏色の笑顔が遠ざかって行き、どこに君がいるのか、何をしているのか分からなくなってしまっている。君は誰か違う相手にあの日々と同じ、それとも違う笑顔を見せているのだろうか。君はこのぼくのあの笑顔を覚えているだろうか。
鼻梁を滑り落ちる熱い汗。すべては、いつ過ぎ去ってしまったのか今となってはわからない遠く、短く、しかし快適に暑かった夏の日々のことだ。あのころは誰も意識も予想もしていなかったが、振り返れば、あの夏がぼくらが野放しに自由だった一生で最後の夏となった。潮の匂い、熱い砂浜、眩しい太陽が観念化していく。
波打ち際に忍び寄る影。その影はぼくらの車から少しずつ、しかし戻ることなく確実に海岸に近づいていって、海の上に移り、ぼくらは家路を目指す。すっかり空中を覆った暗闇は、次の日の出まで薄らがない。そして朝だ。この手つかずの新しい1日は君とぼくとをふたたび結びつけてくれるだろうか。
いつ夏が来て、いつ去っていったか知らぬ間に、ぼくは冷えた風の中でひとり生きている。いつ君が来て、いつ去って、再びいつまたやってくるのか分からないままぼくは死んでいく。
第89章 達筆の代償(前半) https://note.com/kayatan555/n/nc1116660ad60 に続く。(全175章まであります)。
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