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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第134回 第102章 夏の朝はまだまだ暗い (前半)

 ここでもう一度冒頭部分を繰り返そう。
 夏の朝は暗いうちにすでに始まっている。
 ここまでいろいろな話題に触れているが、これらは全部回想であり、私の体は依然として暗い部屋の中で布団の中にあるのである。えー、何やってんの、あんた? だって、だーれも小判も今川焼きもくれないんだもん。ワンッ。
 思わず欠伸をしながら、やっとのことでまた薄目を開けてみようとするが(「ああ、だみだ。寝る前の殊勝な決意通り今すぐ起きてしまったりしたら、きっと午前中に寝不足でおっち(死)んでしまう」)、ふたたび力なく目を閉じ、さらに一層大きな欠伸が出て、鼻腔を通じて空気をたっぷりと肺胞に吸い込む。つい、またこのまま眠っちゃおうかな、とも思う。すでに、いろいろ思い出したり考えたりして脳が疲れてきている。
 この時の心境は、トランポリンでジムの天井に体が接触するほど思い切り高く宙に舞い、頂点に達する直前に体が仰向けで水平になるように姿勢を整えて、目を閉じて一切の警戒心を解いて重力に身を委ね、そのまま落下し始める感覚に似ている。成仏ってこういう感じなのかも知れない(「さいざんす」。経験者談)。逆に、天に召されるのなら、魂だけでなく肉体もこのまま空に向かって厳かに上昇して行くのだろうか。
「店長、天国一人入ります!」
(いちどは、おいで)。
 一度もそんなの見たことないなあ。飛行機に乗っていても、周囲に亡骸が三々五々静かな微笑みを湛えて上に向かっているところに出会ったためしがない。分かりましぇーん、そんな難問、私には。
 横になっていれば引き続き楽なままだし、転ぶ心配も皆無である(そらそーだ)。それに、ひょっとしたら次に目を覚ますまでのごく短い再睡眠の間にも、何か楽しい夢を見ることができるかもしれない。まさか、またサーベルで攻撃されることはないだろう。それに、何しろ時間が限られざるを得ないので、人一人の一生を振り返る走馬燈のような一大スペクタクルにはならず、せいぜい親戚が日高の大牧場で孫娘たちのためにペットとして飼ってやっているポニーのおやつ用イチゴ大福程度の分量にしかならないだろう。
「粒あんに包まれた、このお上品な酸味がたまりませんわぁ、あたし。十勝産の豆を使った和菓子はやっぱし美味ざんす」
 探照灯のように角度を絞った照明を再びカレンダーに当てて、女優と密かに清純なる交信を試みる。間違ってすぐ近くの別の顔に光の恩恵を分け与えないようにする。けしからんことに、刺身のつまでさえない、お呼びでない男の子(おのこ)が2人も写っている。しっしっ。美女たちの一行から「即」外れて、遠くどこかの海岸の崖っぷちまで前傾姿勢で全力で走って行って、そのまま海に落っこちなさいね。もしもあっしのコントロールが良かったら、ダーツを投げつけて各個撃破で「消して」やりたいのだが。
 声に出すのは必要もないし、小っ恥ずかしくもあるので、モールス信号化したメッセージを網膜上に電光掲示板のように走らせる。そのメッセージをひらがなに復号しておくと、
「い・っ・ぺ・ん・で・い・い・か・ら・、・せ・っ・し・ゃ・と・で・ー・と・し・て・く・だ・さ・れ」
「な・に・い・っ・て・ん・の、い・っ・ぱ・ん・じ・ん・の・く・せ・に。あ・ん・た・な・ん・か・ふ・ん・っ・!」
 かくして、人生の恒久的な危機にも関わらず脳天気なままの思考は、あっさりと拒絶の憂き目を見て、部屋の中はまた暗闇に戻る。
 私が今いるこの部屋は、医学書を置いて仕事に使っている書斎、その隣で美術関係のガラクタの詰まっている美術室と並んだ寝室である。生前父が使っていた部屋は、手を付けることが憚られて、亡くなった当時のまま何となく放置してある。廊下に父のスリッパを置いたままなので、それを見る瞬間、父がまだ夜遅くまで論文を執筆しているかの錯覚に陥る。ぎー。
「入る時はノックしなさい」
(裏声で、「お邪魔します」)。
 中学の途中で京都から札幌に移るってどういう感じだったのだろうか。父は私が父と同じ名門高校に合格したことも知らない。聞きたいこと、相談したいこと、報告したいこと、褒められたいことが、あれから、あの日から一杯あったんだよ、父さん。
 その寝室内の私だが、頭の中で脳細胞の多数決を取れば、圧倒的多数が睡魔に屈することに即座に賛成してしまうだろう。されど、いえいえ、ダメざんす。理性の塊のこの私がそんな安易な誘惑に負けてしまっては。西は平戸、室戸、神戸から、東は江戸(改め東京)、松戸、水戸に至る、雨戸を常用する日本主要部とは大いに異なり、北方の諸外国と冬期寒冷な気候の共通点の多いここ北海道では、夏の一日24時間の価値は冬の何倍も高いのである。冬には寒さのせいで到底できなかったり、できても著しく苦痛なことが、夏ならあっさりとできてしまう。その割にやらないんだけどね。再び寒くなっていってから臍を噛む反省(せ)猿。
「また今度温かくなってきたらやるさ」
 かくして、回転寿司の客の好みに合わなかった皿は無為に回り続け、あなたの計画は今世紀中には成し遂げられないであろう。

第102章 夏の朝はまだまだ暗い(後半)https://note.com/kayatan555/n/n0381a24ad95b に続く。(全175章まであります)。

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