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第二十一章 講演は大失敗

当時、通信販売系のダイレクトマーケティング理論が一部で注目を浴び、その理論と自分の広告事例を組み合わせ、小さな会社で小さな広告でも、広告文章次第で効果は何倍も上げられることを、聖心美容外科やFCC英会話やホームテックの広告事例を上げて説明した。

 初めての講演にしては、自分でもまあまあの出来だと思った。予想以上にエネルギッシュに話している自分というか、自分で自分の話に酔っている、良い意味で調子に乗っている、原稿もなしで話す言葉が次々に出てきた自分に驚いた。

 しかし、講演がうまく行った余韻に浸れたのも数日で、またウツ気分が到来。新規開拓の仕事はせず、既存クライアントから声がかかったら仕方なく出向くという、なんとも後ろ向きな姿勢で広告代理業の仕事をなんとかこなした。

 その合間に、講演も何回かやってみた。福岡大学の学生向け、青年会議所、流通研究会など、その大半は求人や販促広告の成功事例だった。まあまあ、なんとか詰まりながらも、毎回、講演らしい形にはなった。

講演にチャレンジして大失敗

 しかし、ある会合で出逢った専門学校の女性経営者の依頼でやった独立起業セミナー。これが大失敗した。これは大元のお金は国というか職安からで、失業者向けに独立起業セミナーを連続で25回ほどやることになった。

 金額は1回2時間前後で2万円くらいだったか。忘れたが。自信はなかったが、トライする価値は十分あると思い、カリキュラムを組んだ。形式は、前年にやっていた九州ベンチャー大学の特別コースと同じ。

 前半で実際に起業した経営者を招いて体験談を話してもらい、後半は、私が竹田ランチェスター理論に則って、商品戦略・地域戦略・客層戦略・営業戦略と話していく。つまり、実例と理論を相互に繰り返しながら講義するというもの。対象者は現在失業者で職安に通っている人で、かつ、独立起業に興味がある人。

 しかし、結論から言うと、毎回の講義に参加する人はドンドン減り、40名の教室に5名を割る日が続く。講義中もあきらかにウケていないのがわかり、全25回の内、半分も消化しない段階で俺の方から根を上げ、講義を辞退。惨めな敗北宣言だ。

 原因はいくつかある。最大の原因は、参加者を引きつける講義ができなかったこと。これに尽きる。いや、参加者は失業保険期間の延長が最大の目的で、起業自体には実は興味がなかった。つまらない講義、やる気のない生徒・・・大学の授業と同じだった・・・とは言いたくない。責任はこの私にあったのだ。

 参加者は多いときで10名程度で、少ないときは5名。今は同じような内容の講演を年間100回近くやっていて、原稿なしでもスラスラ行けるが、当時は原稿を読まないと講演が出来なかった。自分自身の体験談はOKだったが、ビジネス系の話はアドリブではダメだった。思い出しても顔が赤らむ。冷や汗が出た。

 毎回、講義の数日前からレジメを持って講義練習を事務所でやったが、結果は悲惨だった。意気込みは相当なものだったので、かつ、自分なりには事前準備もしっかりやったつもりだったので、この失敗は相当ショックだった。竹田先生の本を何回も読み、講演講義も何回も受け、理解していたつもりだったが、何も身に着いてはいなかった。そのこと自体もショックだった。

 さらに、将来はコンサルタントや講演家で食っていくという考えもチラとあったので、その道はとてもじゃないが自分には向かない、無理だと、大いに落胆した。それは即ち、自分の天職探しにも失敗したということだった。

 ただでさえウツなのに、この大敗北は完膚無きまでに私を打ちのめした。日々、夢遊病者のような感じで時が過ぎていく。今までの広告の仕事はなんとかこなし、なんとか最低限は食えたが、やりがいも将来性も見出せない。何とかせねばともがいた。

 自分の天職は何か。独立して5年が過ぎていたが、私は「アントレ」とか「ビジネスチャンス」などの起業本を読み漁った。何か自分に合う、できる、満足できる仕事がないか。 お客から呼ばれれば仕事に出たが、多くの時間は以前も経験したように、図書館や公園で人生本を読んだり、無為な時間が過ぎるのを待った。完全に青い鳥症候群というか、今の自分は本当の自分ではない。でも、何をやったらいいのかわからない。わからないから悩む。サラリーマンに戻るか?でも、何が向いているのかわからない。

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