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母を見送りました

それは、お正月が明けて…やっと母を訪ねていけた日、母が私を待っていました♪とばかりに、今年、庭で大豊作だった柚子でのジャム作りをリクエストされて、何年ぶりかに一緒に台所に立って
過ごした日でした。

今年の柚子は200個以上実っていたと思います。私たちやご近所にも散々配り終えて、最後の柚子たちでした。

大豊作の母の柚子


その日は、70個以上の皮を剥いたと思います。母は最後の絞るところだけ、椅子を用意して台所に入って貰いました。
普段は右手が不自由だったので、お箸使いもままならない状態でした。それでもその日は、力いっぱい柚子を搾ってくれて、逞しくさえ感じながら見ておりました。

私、母に「楽しい?」って聞いたんですよね。

そしたら「楽しくない(笑)」って戯けて笑っていました。

「えー!!(笑)私は楽しいよ〜♪」って返す私に母はしみじみとゆっくり言ったのですよ。

「あんたには、難儀ばかりかけて悪かったなぁって思って。柚子ジャムまで作らせなければ良かったわ〜。
こんなに大変になるって思わなかった〜」って。

だから私は「大丈夫だよ。手は疲れたけれど、全然平気!良かったよね、これ、無駄にしないで、みんなジャムにできて〜♪」って話したのです。
 

今思うと、これが、母とのしっかりしたやり取りの最後でした。
母からの最後のメッセージでした。



本当はその日、帰る予定だったんです。
でも結局、夜まで柚子仕事が終わらずに、もう一泊しようねって延泊を決めて、2人で夕飯を食べ始めてすぐでした。

穏やかに、隣りで食事をしていた母だったのに、それは、まるでロウソクの炎が急に消えてしまうかのように・・・

静かに優しく母の命が終わりました。

母の生涯の幕引きは、信じられないくらい一瞬でした。


私の最愛の母は、2人で柚子ジャムを作り終えて、いきなり光の世界へ行ってしまいました。
1月18日の夜でした。

また皆んなにも配って、私にも一瓶のみ。
貴重な母のジャム、大事に食べます^^


葬儀場が大変混んでいるとのことで、母を見送るその日まで、ありがたいことに10日もありました。
あまりにも突然すぎる別れでしたから、その後にゆっくり過ごせたことは、私にとっても本当に良かったです。


永遠の眠りについた母の姿は愛おしすぎて、葬儀のその日までずっとずっと眺めては触れて、抱きしめて過ごしました。

そして、母をしっかり見送ってまいりました。


今はまだ、あの母が、もうこの世に存在していないことを忘れて、電話しそうになったり、また、それを思うと寂しくてたまらない毎日です。


でも今は、その寂しさを数えるよりも、母が残してくれたメッセージを 受け取り数えながら、母の愛の深さを思い知らされ、ただただ、ありがとうと手を合わせています。

母のことを忍び、涙してくださる方々からのお話からもまた、改めて今、母という人の在り方や生き方を心に留めておきたい…と思わせていただけることに、娘として感謝でいっぱいです。


84歳にもなり、一人では出来なくなってきたことも多くて
「私の方がやってあげてる」って、そんな気持ちもありました。

でも。全く…とんでもなかったです。

母が私に最期の最期まで、与え続けてくれた“ 愛と感謝”は、深すぎました。

やはり、いつまでも永遠に、母が母で
私は、娘でしかなかったです。

敵わないなぁと思いました。


母は、突然の死を以って私にまた、深い愛と感謝を教えてくれたんだなぁ…と感じています。


先日、母の遺影に手を合わせながら
「私は貴女のようになりたいです」
「貴女のように生き、貴女のようにこの世を去りたいです」と伝えました。

母が毎日、日向ぼっこしていた玄関先にて


母は私のブレンドする和のフラワーエッセンスが大好きで、亡くなるその日も「新しいのを作って〜♪」って楽しみにしていました。
年末から摂っていたフラワーエッセンスをちょうどその最期の食事の時に、お茶に全て注いであげて飲ませてあげたんですよね。
今、私の手元には、母が最期に飲み干してくれた空のボトルがあります。
 

母は苦しむこともなく美しい凛とした姿のまま、人生を終えました。
羨ましいくらいの最期でした。


五十日祭(実家は神道です)まで、まだ日もあり、母の御霊は実家で霊璽(れいじ)に納められているそうですが、私はあの日からずっと、私の中に母を感じています。
 

奄美大島は、今、まさに
母の愛の象徴の フラワーエッセンス『緋寒桜』の季節です。

数年前に家族で行った時に撮影したもの



この度、ご縁あり2月6日の『奄美満月祭』のお手伝いが決まっておりましたので、倭巫女舞の皆さまを 緋寒桜満開の奄美へご案内する予定です。


見えない精霊たちのサポートも沢山いただきながら、光となり自由に動けるようになった母も携えて、私も奄美へ帰ります。

今、このタイミング…全てがここへ繋がっていたのだろう…と思わずにはいられません。


私も 緋寒桜にたっぷり癒されて、また戻って来たいと思います。

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