日記(20201116)

使ってるwebサービスの運営会社が、社会的な不誠実(だと自分が感じること)をやっているのを知って、がっかりする、ということがある。

ソーシャルメディアの会社なんかはしょっちゅうひどい話を聞くし、実際にそれをひどいことだと認識しない(表明を出さない)で終わることも多い。

何を使って何をやるかというのは、たしかにちょっと気をつけたいことではある。というのも、例えば「飲んでるジュースの製造会社の親会社が軍需産業で儲けていて、どこかの空爆に自分が加担してるような気分になるので、これからは買わないようにしよう」とかとはちょっと違う気がする。

というか、不買みたいなことを決心することにはそれぞれ違いがあって、たとえば労働環境や動物実験など、製造工程が自分の思いと矛盾するから、とか、さっきのジュースの例みたいに、売上がどういうものにいくからとか、それらでも色々違いがある。

まあでもとにかく、ソーシャルメディアとかブログサービスとかに、自分がユーザーとして写真や文章を貼っていて、その同じサービス内の画面で、同じ写真や文章というフォーマットで社会的に不誠実だなって感じることが展開されてると、気持ちとして「うっ」となる感じが僕は強いかもしれない。

単に「買う」「消費する」という形だけじゃなくて、ファッションみたいに「装備して自己表現の1つとして利用する」とかだと、その製造・販売をおこなってる人たちがどういう人たちなのかは、ちょっと関係が強い感じする。で、「そのwebサービスで思いや考えを書く」とかも、そういう関係が強い感じがする。

とにかく毎度思うのは結局、どこかの会社や何かの製品(やサービス)に自分の生活が極度に依存した状態はあんまり嫌だな、ということだ。グーグルのサービスを使わないように思う日が、明日来るかもしれないけど、そういうこともあるよねと思っていたい。グーグルだって、そう思われてたほうが、健全に仕事頑張れるよねと思う。

で、健全に頑張れるよね、とか、そういうことが二の次、三の次、リスト外になるぐらいビジョンや売上?に余裕がない組織や会社や国が、世の中にはある。そういう組織や会社や国は、見ていればすぐ分かるし、ギリギリそういう状態から「そういう状態じゃない状態」に戻っていくこともある。

なにかwebサービスを使い始めたり、アカウントを作る時に、「利用規約に同意します」みたいなのをチェック入れるけど、あれみたいな感じで、どんなものを始めるときにも、心の中で、「嫌だなと思うことが続いて、距離取りたくなったら、いつでもやめます、アカウント消します」みたいなチェックもしておきます僕は。

(おわり)