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日記(20200402)

「Action Comics」#900の回には、スーパーマンがアメリカ市民権を放棄しようとするシーンが描かれている。邪悪に貢献することは正義ではない、というスーパーマンは事故(崩壊した星から、選んでいないアメリカに墜落)による移民だ。今日それを思い出していた。

僕は成人してから十数年、国公立大授業料引き上げ、憲法改正、派遣労働の規制緩和、原発事故、色んな最高裁判決、色んなテーマで目立った「国がおかしいと思う」「権力を私物にしてると思う」に、ゆるい冊子や紙を作ったりしてきた。

そういうことって、あまりたくさんの人がやることじゃないけど、僕らは学校で歴史を勉強して「島原の乱」も「95か条の論題」も知ってる。他の色んな国で、それぞれどれぐらいレジスタンスやプロテストが一般人の間でありふれているのかも見ることができる。だから僕も別に変だと思わずに、生きている場所が良くなってほしいという願いでやっていた。

で、もちろんそういうことって、相対的に弱い立場、小さい環境悪化でも生活にダメージを受ける人や、そういう人たちだけに押し付けずに応援しようって人から順に行動するものだ。日本ではそういう人を変人扱いしたり政治的過ぎるって扱いをする人が、以前は本当に多かった。

十数年間、僕の周りの友達は結構、一緒にやろうと頒布を手伝ってくれたり、一緒に公的な組織の活動に参加してくれたりした。知り合いでも、冷ややかな目というよりは、「やりたいんだったら良いと思うよ」みたいな感じが多かった。僕もあくまで自分の日常を大事にして、自分の時間の数%、税金みたいなもんだと思って「公共のために選挙以外で何ができるか」って考えながら生活してきた。それを普通にやっている人が多い社会をネットで見たりして、とてもいい雰囲気に思えたから。

だけど日本の世間には、デモや声を上げることに対して、馬鹿にしたり冷たい人が多すぎると個人的に感じた。今僕らが当たり前に頼っている権利の多くが、先人の抗議や申し立てで成立したものなのに。十数年も、テーマによっては脅迫や嫌がらせも受けながら、そんなこと続けられるだろうか。

人間は、この世界の「お客さん」ではない。メンバーだ。政府はお父さんではない。「お金や決定は全部お父さんに任せて、私たちは我慢や工夫でがんまりましょう、いつかお父さんがV字回復・一発逆転、きめてくれますよ」ではない。全員がある程度頭脳なのだ。

2011年の4月に、「原子力発電の基礎知識」「原子力発電への想像力」という2つのアプリを出した。2005年頃から原発の「誘致」という形式に興味があって、すでに資料を作っていたので、漫画にするだけですぐ描けた。

しばらくアプリストアのカテゴリ1位をとったけど、担当の人と話し合ってリリースのときから無料で広告も入れていない。だから作業費とサーバー代やライセンス料分の赤字だった。

内容も発電のメカニズムや、主張の薄いぬるい内容だったが、それでも大量の冷たい雰囲気を味わった。一生忘れない。その逆も一生忘れないです、ありがとうございました。

昨日公開された「ウンターグルンド」の最新話、2011年のことを思い出した、という話でした。興味のある人だけで良いんです。

(おわり)