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「ちょうど良い塩梅」が分からない

料理が上手な人、得意な人ほど、調味料は目分量である。
と私は思っています。

友達と3人で話していたとき、私以外の2人が「醤油も砂糖も目分量だから、どんなに家族に好評なものが作れても再現できない」と笑っていて、なんて格好いいスタンスなんだと羨ましくなりました。

私は完全に計量派です。レシピの「※調味料は合わせておく」は忠実に合わせておくし、「少々」や「適量」にあたふたしなくなったのもつい最近のことです。

だから「これ美味しい」と言われたら同じ料理をだいたい再現することができるし、むしろ自分から「ねえこれ美味しい?」と聞いてすぐさまレパートリーに加えようとします。そんなにいくつもレシピを把握できないから。

応用がきかないのです。冒険ができないのです。ひらめき力が圧倒的に足りていないのです。
だから「私はズボラだから目分量なんだ〜」なんて笑う友達が、私には眩しくて仕方ありません。

料理以外のこともそうだな。
と、最近ふと思いました。

この間の仕事中、ミーティングの終わりに、(あ、私なんか媚びてる)と思うことがありました。

あんまり詳しくない仕事の話だったので、議論にいまいちちゃんと着いていけず、うまく言えないけれどミーティング中の私はなんか媚びていました。話の内容よりもミーティングの雰囲気、周りの顔色が気になって、「この会議の中で自分がどう見えているか」ということを変に気にしている自分がいました。

めっちゃダサい。と自覚しつつ、でも、私には正直、ちょうど良い塩梅が分かりません。
「媚びること」と「周りに目を配ること」の境界線はどこにあるのか。

私が周りを気にしてキョロキョロすることは、ダサいときがあるのは間違いないけれど、この性格がある意味美徳に転じる瞬間だって、ないわけではないと思うのです。

それ以外にも。
ちょうど良い甘え方が分からず、いい格好をして抱え込んでパンクするところとか。
そのくせ身近な人に対しては、例えば不満なことがあったとき、正直に伝えるべきことと胸にしまっておくべきことの境界を見失いがちなところとか。
「大事に使うこと」と「ケチケチ使うこと」の違いがよく分かっていないところとか。
がんばりどころと力の抜きどころの思想が毎日コロコロ変わるところとか。

たぶん、「バランスの取り方」のスタンスみたいなものが曖昧なのだと思います。
というか、自分のスタイルがちゃんと決まっていないから、バランス取り方の正解を求めて結局フワフワしているような。

昔からそういうところはあったけれど、なんだか最近その傾向が顕著だなあと思って少し考えてみたら、思い当たるのがインスタでした。

暇さえあれば開いてしまうSNS。特にインスタは、おすすめに出てくる投稿を延々見てしまいます。
ミニマムな生き方。自分らしく働くこと。美と健康とセンスの良いインテリア。

素敵! こんなふうに暮らしたい、働きたい、考えたい。そんな羨望の気持ちは自分の指針を持つことへの一助になると思っていたのに、実際は心の何かを曇らせているような、ふとそんな感覚になったのです。

素敵だな、こんなふうになりたいな、羨ましいな。そういうものにスマホひとつで触れることで、私は色々な人たちの色々なスタイルにあちこち目移りして、どんどんバランスを失っているような気がしました。
軸がないのに、両手いっぱいに無料でもらえるサンプルを抱えてグラグラしているみたいな。

もちろんインスタが悪いわけではなく、上手に情報を仕入れて良い感じに使っている人もたくさんいると思いますし、私も良い影響を受けているところもあると思うのですが、なーんか迷走しているな、と自分で自覚したときにそんなことを感じたのでした。

とはいえ、スマホを開けばなんとなくSNSを見てしまう癖はなかなか治らないし、これがストレス解消になっている部分もあるので、「よし、デジタルデトックスじゃ!」とはなかなかいかないのですが。笑

せっかく自覚したからには、もう少し自分と対話する時間も大切にして、私なりの、私だけの「良い塩梅」をちゃんと見つけたいと、そんなことを思いました。

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