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母になって、母を思う

息子に声をかけるとき、あ、これは母の言い方だなと思うことがよくある。

この間、ギャン泣きする息子を抱っこしながら「大丈夫だよ〜、●●は大丈夫なようにできてるからね」と言う言葉が思わず口から出てきた。
これは私の母の言葉だ。
子供のときから、本当によく言われてきた。

あなたは大丈夫だよ。大丈夫なようにできてるんだよ。

子供の頃の私は、「なにそれぇ?」って思っていた。大丈夫なようにできてるって、どういうこと?お母さん、神様じゃないのになんでそんなこと分かるの??

「大きくなあれ」もよく言われた。こういうのは、息子にそう言っている自分の声で思い出すのだ。
「大きくなってね」と母に言われた昔の私、「キノコ取ったマリオみたいに?」って母に聞いて、笑われた。そんなことを思い出した。

幸せな声かけをしてもらっていたな、と思う。
子育ては、貰ったものをこうして与えていくんだななんて思いつつ、母に思いを馳せる。

母の本人談だけど、私の母親の幼少期は寂しかった。家業を営む両親(私の祖父母)は毎日忙しく、田舎だったので周りに遊び相手も少なかった。そもそもオギャーと生まれたときから、母は自分が女の子であることに周囲からがっかりされていたという。

今でこそ祖父母と母の関係は良好だけれど、母から聞く「子供の頃の話」エピソードはどれも切なくて寂しい。

母は、私みたいに貰ったものを与えていたんじゃない。
貰ったものが自分の中に溜められていない状態で与えるというのは、もしかしたら今の私が想像するよりもずっとずっと、難しく大変なことだったのかもしれない。

昔、母が言っていた。「マイナスから0にするのってすごく大変。せめて子供達が0からスタートできるようにしてあげたい。それが子育ての目標」と。

言わんとすることの真意は、正直ちゃんとは分かっていないかもしれない。
でも、私なりの解釈では、母、目標達成である。0どころかプラスからの出発、めちゃくちゃ高い下駄を履かせてもらって私は人生を歩いているんじゃないかな。
その証拠に、私はマイナスを0にする苦労が、今でも全然分からないのだから。

私の子育ての目標は、いまだにフワフワしていて言葉にできない。

でも、息子とたくさん話してたくさん笑っていきたいと思う。そう思えないときが来ても、なるべく、努めて。私が母とそうしてきたように。なるべく高い下駄をプレゼントしてから、手を離して背中を見送りたいななんて、そんな風に思っている。

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