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何者でもない私が、何者かになるためには

まずはじめに申し上げておきますが。
私は「何者でもない」ことが悪いとは思っていません。

仕事において何者かである人だけが価値があるような、
そうでない人はまるで価値がないと見下してもいいというような、
そんな風潮は好きではありません。

全員が必ずしも、何者かになる必要はないと考えています。
何者でもない人間が集まっているのが社会なんですから。

ただ、仕事において何者かである人が有利です。
人の上に立つこともできるでしょうし、より収入が得られるというのも事実です。
もちろん、その構図を否定するつもりはありません。
理にかなっています。何者でもない人間を束ねる何者は必要ですから。

また、有利なだけでなく、人生の大半の時間を占める「仕事」において何者かになれるというのは、おおきな充実感を得られるでしょう。


私でも、何者かになれる?


では、トータルパラメーターが低く、社会でちょっと生きにくいステ振りされてる私でも、中年になったいまさらですが、仕事において何者かになることは可能なのでしょうか?

「10年後、君に仕事はあるのか?」という本の紹介記事の中に、何者かになるためのメソッドとして、「100万人に1人」の存在になる方法を藤原和博さんが書かれていました。

「100万人に1人」の存在になりましょう。
まず、ある分野で集中して仕事をして、100人に1人の希少性を確保しましょう。
次に、違う分野で仕事をして100人に1人の希少性を確保できれば、もう掛け算すれば1万人に1人の希少性を確保できたことになります。

また、最初のステップである100人に1人になるために、下記のようにおっしゃっています。

1つの仕事をマスターするのに、人間は一般的に1万時間かかると言われています。その根拠はマルコム・グラッドウェル著『天才! 成功する人々の法則』(講談社)などの本に譲りますが、
どの国でも義務教育がだいたい10年、1万時間であることからも論証されるように思います。


い……いちまんじかん……

途方もない感じがします……。が、ちょっと計算してみましょう。

仕事にしてしまえば、1日8時間は取り組んでいることになります。
年間休日を120日と仮定すると、1年間で1,960時間
10,000時間には、5年くらいで達する計算です。

ちなみに、毎日終電で帰る感じの休日出勤当たり前なブラック企業だったら、3年くらいで到達できます。

更にこう書かれています。

逆に言えば、1万時間取り組めば誰でもその仕事をマスターできるから、
その分野で100人に1人くらいの希少性は得られることになります。


ノー残業で勤務中だけ取り組んでいたとしても、5年で100人に1人になれるってことでしょうか。
勤務中はきちんと仕事に向き合うのが条件でしょうけれど。


本当に誰でも100人に1人には、なれるのですか?


さて私はどうなのか?

私は、webデザインの分野では20,000時間はとっくに超えているのに、100人に1人のwebデザイナーになんてなれてないと思い、
誰でもなれることすらできない自分の能力の低さに絶望しかけたのですが、
親しい人から
「その分野における100人に1人じゃなくて、さまざまな分野にいる人間全部集めた100人に1人ではないのか?」
と助言いただいて、理解しました。


記事にもそう書いてありました。

仮に営業の仕事を集中して10年続ければ、いろんな人がいる集団のなかでは、営業ができるという意味において100人に1人の存在にはなれるということです。

よく読みましょう。

そう考えたら、100人に1人には、なれてるかもしれません!
ちょっと自信がわいてきました。


今ある100人に1人に、何をかけ合わせればいいのか?


では、今ある100人に1人に、何をかけ合わせればいいのでしょうか。

幸か不幸かもともと多趣味だった私は、興味あるものはとてもたくさんあります。

ちなみに。
仕事ではなく趣味としてやった場合の計算をしてみます。
1日2時間、月に4日お休みするスケジュールの取り組みだと、
なんと15年以上かかる計算になります。

そもそも、このメソッドはこれからキャリアプランを立てる若い人に向けられたものなので、趣味として計算するのはちょっと違うのですが……。
しかし、この計算から分かったことは、

どう考えても、圧倒的に、仕事としてやった方が、いいに決まってる!

ということです。

しかし、新しい分野を仕事にするとはとても困難です。
若いならともなく、ある程度の年齢の未経験者を雇う企業は少ないでしょう。

となると、10,000時間やってきたことと「少し関わりのある」分野がいいのかもしれません。

先日、以前勤めていた会社の元社員Hさんと、久しぶりに会った際にも、同じようなアドバイスをいただきました。
私のスキルを知ったうえでのことなので、かなり具体的に。

それは、これまで「できたら強い」とはわかっていたものの、メイン業務がディレクションだったのでやらずにいました。
今となっては、ディレクター業よりもクリエイティブ業の割合が増えたので、今後活かせることが見込まれます。

努力の方向が見えてきました。


よく言われる「特化しろ」の意味


SNSやセミナーなどで、生き残るためには「特化しろ」とよく言われます。

中には「ひとつのプロフェッショナルになれ」という意味で言っている人がいます。
「例えば、デザインならこの人!みたいな人になれ!」という感じに。

私もはじめはそう受け取っていました。
私のように「何でもできる」が「中途半端」とネガティブなイメージをもってしまい、自分がとても中途半端にみえて仕方なかったのです。

しかし、記事にも下記のようにかかれています。

オリンピックのメダリストではなく、「オリンピックのメダリスト級」というところがミソなんです。


おそらく「特化しろ」の本来の意味は、
メダリストではなく「メダリスト級の希少性」という意味だったのかもしれません。

決して「デザインならこの人!」というようなメダリストの意味ではなく、
「〇〇業界のデザインがわかる、アプリ作れる人!」のような、掛け合わせの特化。

そう考えたら、もしかすると私は、すでに3つの掛け合わせはできているのかもしれません。

しかし、それでも私は自分を「中途半端」と評価してしまいます。

それはきっと、長年の長時間労働による弊害からインプットアウトプットを怠っていたため「100人に1人」がだんだんと「50人に1人」くらいに、相対的にダウンをしてしまっているのでしょう。

元社員Hさんにいただいた的確なアドバイスは、掛け合わせにもなるし、相対的にダウンした部分を引き上げることもできる、スペシャルなアドバイスだったんだなと改めて感謝しています。

こんな私でも、何者になれなくても、何者かに近づくことができるかもしれないという希望が湧いてきました。




冒頭にも申し上げた通り、
必ずしも、何者かにならなければならないとは思ってないです。

もしかしたら、とても大切に思ってくれてる人から見れば、私はすでに何者かになっているのかもしれません。
それはそれでとても幸せです。

しかし。

先の投稿「多趣味から無趣味へ…。「趣味はなんですか?」と聞かれた時。」にも書いたように。

仕事として生き残るためだけでなく、

仕事に関しては以前の熱意を取り戻したい。
そして、その先にある充実感を得て、せめて自分で自分のことをつまらない者だと思うことから脱却したいと、今は思うのです。

そのためにも、いい掛け算になるよう努力していきたいと思います。


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