街区公園①-赤とんぼ
喫茶「紅沌貌(あかとんぼ)」のガラス扉を開けて、カウベルをカランと鳴らし、沢田智則が胸板を見せつけるように、制服のシャツをはだけさせて入って来る。
「お待たせっす、青野君。今日は、道場の先輩で、青野君に会いたいって人連れてきたんだけど・・・」
「なんでアンタがいるんだよ」
テーブルに座った青野春彦が、沢田の連れと睨みあう。
「おいコラ、それが先輩に対する態度か」
喫茶「紅沌貌」に、緊張が走るが、たまたま他に客は居なかった。
「あれ、知り合いだったんですか、ま、ちょっと座りましょうよ」
沢田が取り成して落ち着かせるが、春彦は不満を隠さない。
そんな春彦をそっちのけにして、「有森さんは何飲みます」「スイマセーン、アイスコーヒーと、アイスティーお願いしまーす」と、軽快なリズムでも踏むように、カウンターに声を掛けて注文をし、場を落ち着かせた。春彦には大人すぎる沢田が鼻に付いた。
「そうゆうトコだぜ沢田ちゃんよ」
「てゆうか、どうゆう知り合いなんですか、お二人は」
「あ、知り合いじゃねえし」と、そっぽを向く。
「青野は中学の後輩だよ」沢田の連れの有森が話し出す。
「え、じゃあ二人とも市外からなんですか」
「ああ、俺は高校からだけどな。青野は中学の一年で転校したっていうか、する羽目になったっていうかなあ」有森が含みを持たせて春彦に投げかける。
「は、ただの転校でしょうが」
「なになに、何すか」沢田が興味津々で乗り出してくる。
「いやいや、青野はこの通りだから、ピカピカの一年坊から生意気でさあ、入学当初から目立っててよお。当然、シメとけってなるだろ」
有森が、短く刈り上げたリーゼントを撫でつける。
「生意気そうですよねえ、俺の後輩じゃなくて良かったよ」
沢田がチャチャを入れ、春彦が、フザケンなと、むくれる。
「いや、ホントそうなんだよ。こっちもさあ、この間まで小学生だったガキなんて本気で相手してられねえからよ、ちょっと、口で脅しときゃ大人しくすると思うだろ、今よりナリも小さかったからな。コイツは5人で囲んでるのに怯みもしない、それどころか、突っ掛かって来やがって、仕方ねえから殴ったんだよ、鉄拳制裁のつもりで。それで大人しくなるどころか、この野郎が、殴り返して来やがったんだよ」
「はは、やりますねえ2年前の青野君」
「笑えないって、スイッチ入ったみたいに殴り掛かって来やがって、もう、ついこの前まで小学生だったガキの喧嘩じゃないのよ、慣れてんだよ。中坊なんてさ、力の差が出るから、俺ら2年の中でも殴り合いの喧嘩なんてした事無いやつ多かったよ。どちらかが一方的になる事の方が多かっただろ。俺だって空手やってたから多少の自信はあったけど、喧嘩であんなに殴られたの初めてじゃないかな」
「うわあ、強烈っすね」
「けどよ、こっちは先輩で呼び出した方だしよ、絶対に負ける訳にいかねえだろ、焦るぜ。実際ヤバくってよ、囲んでた連中も最初は呆気に取られてたけど、いよいよ見かねて手を出したんだよ」
「5人掛かりって事ですか」
沢田が春彦に目を向けると、頬杖をついてそっぽを向いていたが、気付いて「んだよ」と悪態をついた。
「後輩にやられる恥より、5人掛かりの恥をとったんだけどよ、それでも身体が動かなくなるまで抵抗してきやがって、結局は、こっちもヤラレて2人しか残ってなかったよ。とんでもねえガキだったよ」
「それで青野君は大人しくなったんですか」
「なると思うか」
「いや、思わない」沢田ががぶりを振る。
「それからが大変だったよ。もう、ほぼ毎日やって来やがってよ、毎日ケンカだよ。よほど5人でシメたのが許せなかったのか、こっちの何人かは怪我してもう謝ったっていうし、何とか踏ん張ってたんだよ。でもまあ、どうにもダセエのはこっちだったしな、最初の喧嘩の時ほどエキサイトしなかったし、何よりしつこくて、勝っても負けても、謝るまで終わらねえのよ」
「しつこいっすねえ」沢田が他人事で楽し気に笑う。
「まあ、結局は『悪かった』って言っちまったんだけど、言ってすっきりしたよ、付け回される心配も無くなったからな」
一気に喋った有森がアイスコーヒーを流し込んで喉を潤す。
「一件落着で、仲良くならないまでも、いがみ合う事は無くなった訳ですよね、なんで、青野君はこんななんすか」
「あ、何がこんなだ」
「そのまま終われば良かったけどな、だいぶ派手にやってたから3年に話が届いちまってな、『悪かった』じゃ済まなくなった。2年の俺らもヤキ入れられて、3年が青野のクラスに乗り込んだんだ。けど、たまたま青野がフケてて居なかった、そしたらバックレただの、連帯責任だの、クラスの男を片っ端から殴り倒しやがった、真面目な生徒も関係なくな。一年生でつっぱってる奴なんてそんなにいないよ、夏休み辺りからちょっと出てきたけど、先輩、ましてや3年に盾突く奴なんていないだろ普通は、青野が異常なんだよ」
「誰が異常だ、コラ」
「まあ、コイツは激怒したよ。朝の学活の最中に殴った3年教室に乗り込んでいって、病院送りにしちまったんだよ。駆けつけた教師に引き剝がされるまで殴り続けたってな」
「うわあ、えぐいなあ」
沢田が、青野の拳を思い出して顔を歪める。
「一年の中ではちょっとしたヒーローだよ、2年にも伝わる勢いだったな。でも、3年が黙ってる訳もなくて、一年の生徒は可哀そうな事になってたな。そうなると、手のひら返すように青野批判が始まった。3年のやる事は青野のせいだってな『はやく謝ってこい』だの、『お前がやられろ』とかな、針のムシロだよ」
「いやあ、腹立ちますね」
「まあ、一般の生徒にはいい迷惑だからな。青野はまた乗り込もうとしてたんだけど、教師が下校までぴったり張り付いててな、これ以上問題起こされてたまるかってな。でも、一、二年のちょっと悪い連中は青野批判じゃなかった、青野ばっかりに良い恰好させられないって、気合入れて、一、二年と3年の対立になっていったんだよ。そのうち大きく衝突して、何人か怪我人が出る程の大きな喧嘩になった。警察沙汰にもなったから、けっこう問題になってよ、その場に青野は居なかったけど、青野が責任取らされて転校する羽目になったんだよ」
「へえ、それで青野君は横浜に来ることになった訳だ」
「あれで3年は大人しくなったし、俺らは下剋上したって事で株が上がったからな、一人だけ貧乏クジ引かされたのが気に入らなくて噛みついてくるんだろ」
鼻で笑う有森に、春彦が噛みつく。
「おい、おしゃべり先輩、適当言ってんじゃねえ。俺が転校したのは祖父ちゃんが死んで年内には引っ越す予定があったんだよ。教師がうるせえから、それをちょっと早めただけだっつーの」
「それを転校させられたって言うんじゃないの」
「それに、俺がコロス予定だった奴をテメエらが、俺のケンカ取りやがって」
口を尖らせて文句を言う。まるで子供のようだ。
「うわ、急にちっさい」沢田も呆れる。
小さい灰皿に敷かれたコーヒー粉にタバコを押し付けて消す。細い煙が揺れながら立ち昇って消える。
「で、なんでこのおしゃべり先輩と、沢田ちゃんが一緒なわけ、わざわざ昔話しで俺をイラつかせに来たんじゃないんだろ」
「そうなんですよ、この前、青野くんをヤッた連中」
「ヤラレてねーよ」
「まあまあ、青野君に言われて、その連中の事とか、UMA絡みの事を、道場の高校生に聞いてたら有森さんに声かけられて、UMAって、青野春彦の事かって」
「UMAってなんだよ、話題にするんじゃねえよ」
相変わらず口を尖らせた春彦が話しの腰を折る。
「いや、前のカツアゲの時みたいにUMA絡んでないかなって。話早いんですよ、名刺みたいでけっこう情報もらえるんですよ」
「どんな情報だよ」
「UMAとかってガキが生意気だとか、どこの誰々がコロスって言ってたとか、所詮は中坊だろワンパンだよとか」
「なんだと、コラ」
大声を上げて飛び跳ねて席を立つ。カウンターのマスターと目が会って、気を付けしてペコリと頭を下げる
。
「前からよく聞くのが、カツアゲされたって話ですけど、前のと違って地元じゃないから分からないって言ってたんだけど、最近の話しだと、早淵高の奴がいたとか、まあ、ちょっと離れてるけど、そこまで遠くないですよね。それに『UMA潰す』って言ってたのも早淵高の奴だって。まあ、他にもいっぱいいるんでしょうけど。そういう訳で、早淵高校の有森さんに来てもらったんですよ」
春彦が顔を上げ沢田を見て、有森の顔を見る。
「ウチもクラス多いから、全員分かる訳じゃないけど、心当たりのあるクズは何人か知ってる。もうちょっと特徴とか無いのか」
「特徴ねえ・・・デカ頭に茶髪、あと不意打ち野郎」
「もうちょっと無いですか、あと、不意打ちは見た目の特徴じゃないし、背格好とか、体系とか」
「そう言っても沢田ちゃんよー・・・じゃあ、今から行けばいいじゃん、ビリヤード場。いるかもよ。そうだ、そうしよう」
思い立って、春彦が立ち上がる。つられて、沢田と有森も立ってテーブルがガタリと揺れる。
「ちよっと、何回か行ったけど居なかったですよね」
「今日は居るかもよ、そろそろ出て来るころだろ」
「俺も、わざわざ来て、昔話しだけで帰れねえな」
「二人とも、アクティブっすね」
沢田が両てのひらを揺らす。
「何それ、新しい漫画?」
マスターに「ごちそうさまっす」と、声を掛け、ガラス扉を押して三人が続けて店を出ると、扉のカウベルがカランカランと鳴らした。
店のある地下から出ると、夏の陽射しが容赦なく降り注ぐ。
「今日、暑くないですか、マジでいくの」
「なに、沢田ちゃん嫌なの」
今年は冷夏って聞いたけど、やっぱり暑い日ちゃんともある。
「嫌じゃねえけど、暑くて・・・そういえば『赤とんぼ』って暑さに弱いんですよね、夏は山の上に行くんだって」
「なにお前、昆虫博士?」
「いや、やっぱり、海行きてえな~」
抜けるような青い空のちょっと遠くに、もくもくと入道雲が出ている。
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