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手放し

今回もツインレイ関連です。
『手放し』。パラパラッとヒントもらいにたまに先駆者さまが書かれた記事を(ただのデタラメ有料誘導記事とほんま悩んでた人が書いてるな~とを自分なりに見分けつつ)読んでいた中にあったワードです。

モノ捨てて、今まで積み重ねてきた社会の信用度も下がって、仕事も辞めて、人間関係も見直したりでこの不安な中あと何をすてりゃええねん、命か!?首でも吊ればいいんか?

荒ぶる日もあれば「さっさとしろよこのタコ🐙!!」っと相手を責める時もあり不安な時もあったりとした中で思っていた事。

断捨離や色々なものを解約・放棄などしていく中で、生きていくためには食糧は必要・保護したネコも大事。手放すのは命ではない。

手放さなくていいと思っているものこそ手放し必要なわけで。
そうなると私の中ではやはり2022年の冬に思った願いが浮かび上がったのですよ。
ちょっともううろ覚えでそのツイートもみつからないんですが。
「せめて年明けまではなんも知らないファンのままでいたかったな。」
これです。当時ものすごく動揺と戸惑いと葛藤と拒否とありましたからね。11月半ばから「ん?もしや」と思い始まり12月に新宿に居た時点ではすでにただの1ファンでいた今までの自分としてその場にいられなくなって愕然としていたので。

今までの私、これからもそうであると確信もって生きてきた私、生涯ファンの立場のまま終わろうとしていた私、20年以上そしてこれからも当然と思っていた心の支え太柱であったこれこそ今までの自分を最も構成してきたものだったんです。

今にして思えばツアー行けなくなるならコロコロ仕事辞めてたのとか、好きな割にはほとんどプレゼントとか手紙とかは贈らないでアンケートとか、周りからは話せば話すほどそこまで好きなのになんで博愛??の返しばかりで何でわからないんだろうと私も謎で。でも休むための協力はしてくれてたんですよね。何かけっこうプレミアムなLIVEとかでも意外と自名義で当たって行けてた。

頭の片隅にちょっとだけ残っている理知的な面で考えれば、ずっとファンの意識でいるのは流石に無理な事も感じ取ってはいたので誤魔化しが通用しなくなったのもあり。けっこう追い詰められないとここまで極限には考えられないのが人間でもあり。とはいえすでに用意されたチケットの分は「それはそれ」でやはり行けたりで。
そういうのはわかってはいるけれどやっぱ実際その流れになったりで。

そこまでして初めて『手放し』するものだという認識にはいるわけですよ。

途中にある家の中の片づけとかは、新しい生活とかに合わせていくためなのかな、とも思います。

節約再開した反面なぜだか豆乳飲むようになったり冷蔵庫からマヨネーズ消えたまんまなのに買わずにいるとかこれってなんか伏線仕込まれている感じがしたり。
身体には良い事なので別に構わないんですけれど。

「手放し」ってそもそも何を手放すんだろう、という疑問からはじまった中で色んなモノやお金を稼げる道や、ツインレイ云々の概念なんぞは元からずっと苦情いっとるわ、な中で自分の中で一番大切にしていてすてたくなかったものが「ファンであった自分」なのには大の納得という展開で(^_^;)

世の中ってうまく宇宙の段階からすでに出来あがっているものだとつくづく思いました。
タイミングよく見つけたとある記事がとても丁寧に「女性は1人で立てるけど男性は男を立てる、というでしょ。男は1人で立てないの、1人で立てる女性が立たせてあげるの。それぞれの役割があるんですよ。」という上品な文章のを読んだのもけっこう大きかったです。

女性一人でも社会に認められたい、収入ある女性になりたい、孤児や野良猫への寄附ができるまでにはなりたい。と〝あくまで1人で”にこだわっていた男性性非常に強めでいた私にとっては大変心に響く女性性のつよい貴人からの記事でした。

ツインレイ関連の記事って、経済的自立と精神的自立がとんがっている人はバランスよくするために徐々に丸くなり、自立心が足りない人はもう少し世の中に出てみようという自立を促したりしている記事が分かれている感じするんですよね。

働きましょう、というのと働かなくていいです、と二つあるのはタイプが分かれているからだと思います。相手にもよるだろうし。あくまで参考程度に(^^♪
本当に働かなくてもいいとおもうし、自分がやりたい職種があるならやっていていいんだし、チャリティ活動でもいいし。働くのなら自分自身の天職みつけてそれで無理とか苦痛を誤魔化さずに生き生きと働くことこそが重要だと思うよ。


それでも流石にそろそろこのストレスからの解放はされたいな~、とは思う日々でございます。痛みからの解放、ってやつですよ( ˘ω˘)

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