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ラジオと音楽

私は音楽も好きです。
ジャンルは別け隔て無く雑食です。新旧問わず。
ただ、主に洋楽が中心です。


常々、ラジオを聴いていて思う事といえば、音楽に特化したラジオが、かなり下火になっている事。

私個人の意見で言えば、音楽をひたすらに垂れ流す番組がもっとあってもいいのでは無いかと思うのだ。


Twitterを眺めていると、そういった曲を流す事に対してネガティブな発言をする人がいるが、それはあまりにも暴論で、ただ単にその人が好きなラジオが「トーク」のラジオであり、曲を流す行為自体を否定するのは、いかがなものか。


TVが普及するまでの大衆メディアとしてのラジオと音楽は非常に親和性が高く、文字で表現できないからこそ、ストレートに魅力が伝わるという、非常に良い宣伝媒体だったと思うし、所謂、DJというのも「ディスク」ジョッキーな訳だし。

時代といえばそれまでですが、ただ私は、もう一つラジオで曲を流す利点があると考えている。
それは「選択できない不自由」です。
(TVでも同じではあるが)

昨今はタイムパフォーマンスやらでエンタメを消費する時代なので、好き嫌いを即時に判断して他コンテンツに好き勝手移動できるのだけれども、私はその弊害として「極端な偏食」になる気がしてならない。

こと、音楽で言えば、スルメ的に聴けば聴くほど…とか、最初は嫌いだったけど、聴いてるうちに…という体験をした人は少なくないと思う。
しかし、それができるのは、あくまで選曲の自由を自分が握っていない時に限っての話。

だからこそ、ラジオから半強制的に流れてくる曲が、もしかすると、あなたの人生において大事な一曲になるかも知れない。そう思うのです。


実は、この考えは、昔お付き合いのあった方からの影響で、それまでは私もジャンル等の所謂ブランドにこだわった聴き方ばかりだったのですが、その方は広く浅くというか、こだわり無く「自分の好きな曲」を聴いていました。
その方に、趣味は?と聞くと、「テレビかラジオを付けておくこと」と言ったのだ。
理由は「強制的に情報がやって来るから」という事だった。

更に深く話を聞くと、前述のような意図に繋がるのだが、凝り性の自分にとっては目からウロコで、自分の姿勢が恥ずかしくなった。

そりゃ、知識があったほうが楽しめるコンテンツもあるが、元来、エンタメは自分が楽しくなくちゃいけない。
だからこそ、前情報や作者なんかのバイアスを一切かけずに、純粋に作品を受け止めるには、今の時代、強制的でないといけないのでは?と思うようになった。

何でもかんでも選べる時代だからこそ、この贅沢に依存し過ぎて、楽しむ事すらもマニュアライズされてしまっていないか?と自問自答している。


なので、私としては選曲者の思いや意図が乗った音楽番組がゴールデンタイムに流れるようになり盛り上がれば、また音楽業界も多種多様に活発になるんじゃないかなぁと考えているのです。

皆さんも是非、ただ流れてくる音楽に耳を傾けてみるという時間を意識していただければと願う。


※余談※
昔、ミッドナイトビートルズという深夜にビートルズだけ延々と流す番組があった。

CMとアイキャッチ意外は終始曲。解説も無し。
そして何よりもビートルズの楽曲が一回の放送で、(活動)前期・中期・後期の楽曲がランダムかのように立て続けに流れるのだ。

このめちゃくちゃな選曲の謎は、数週間聴いて判明した。

いたってシンプルに、全オリジナルアルバムから一曲ずつを順番に流すのだ。
例えば、1枚目の1曲目→2枚目の1曲目→3枚目の1曲目…といった具合に。

しかし、そうなると全アルバムが同じ曲数ではないので、どこかで辻褄が合わなくなる。

心配ご無用。そしたらそのアルバムはまた1曲目に戻るのです。

どうです、このAIでもやらなさそうなパワープレイ。
痺れるでしょう。
この法則性を発見した時は誰かに言いたくて言いたくてたまらなかったのですが、誰も聴いていなかったので、今日までずっと心に留めていました。

やっとスッキリしました。

劇終


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