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観劇ヲタが有村麻央の親愛度10コミュ開けてぶっ刺された話

タイトル通り有村麻央の親愛度10までのコミュのネタバレがあります。


前提

私はアイマスシリーズをやるのは学マスがはじめてです。
そして記事タイトルで舞台ヲタを名乗ってるけど、ぶっちゃけヲタってほど浸かってもない(んだがわかりやすさ重視でつけました。)

なお有村麻央を最初のSSRに選んだのは、曲や見た目が好きなアイドルが多すぎて最初のプロデュースを誰にするか決めかねていたときに、

有村麻央プロフィール


「あっ、趣味が同じだ!」
となったからというかなり軽いノリでした。

以下、クソ長いんだが言いたいことは「親愛度コミュ10」の項目に詰まってるので、ぶっちゃけそこまで飛ばしても全然OKです。

マジで死ぬほどクソ長いので全部ちゃんと読まなくて良いよ。

1)有村麻央の親愛度コミュを読む

コミュ9までの内容

麻央の親愛度コミュ9話まで、話の筋立て自体は以下のような感じになるのかなと思いました。
(あんまり要せてない点には目をつぶってください。)

--
子供の頃、ミュージカルで見た王子様役のスターに憧れた麻央は、劇団に入り少年役の子役として成功したものの、成長によって王子様のような外見ではなくなった事で「お払い箱」になった

理想とかけ離れていく自分の外見を受け止められず、王子様のイメージにそぐわない行動は徹底的に避けることで理想の姿を演じ続け、
「可愛いアイドルになれ」という他のプロデューサーたちのプロデュースを退け続けてきたが、無理に演じ続けていたので空回りしていた。
(本人もそれは薄々感じていた)

今までと違って自分の理想を知った上でプロデュースを申し入れたPの申し出を受け入れた麻央は、どうしてかっこいいアイドルに憧れたのかと問われる。[3話]

歌劇団のスターに憧れたこと、見た目が変わっても"カッコいい自分"を守ったままトップアイドルになりたい思いを語るが、
Pは「あなたが憧れたかっこよさは外見で左右されるものなのか」と問い、子役時代の麻央が魅力的だったのは「ありのままのあなたが、かっこよかった」からだと語る。[3話]

そして今の麻央が自分の変化から目を背けるために王子様を演じている事を指摘し、
麻央が「客観的に見て可愛い」事実を認めるよう促した上で、[3話]
「(かっこいいアイドルになるという)理想を捨てる必要はない」「あなた自身のことを好きになってください」「自分のことを嫌いな人はアイドルになれない」と助言し、
麻央の「可憐な姿に秘められた、気高さ、凛々しさ、カッコよさ」を引き出せば、「可愛いとカッコいいを兼ね備えた無敵の王子様系アイドル」になれると断言する。[4話]

Pとの会話後、今までは避けていたスカートに挑戦したり[5話]、
ヘアスタイルを変えてみたり[6話]と新しいことにチャレンジをはじめ、
"王子様を演じる"こと以外にも意識を向けた事で、アイドルとして真剣に楽曲にも向き合えるようになる。[7話]

新しい自分のステージ衣装のデザインを考案することになった麻央は、自分らしさとは何かに悩み[7話]、
これまでの自分とは正反対の"可愛いが詰まった場所"であるメイドカフェを訪れる。[8話]

そこで"可愛い"にプライド持って接客しているメイドたちの姿を見て、今までの自分は理想を演じることに必死でお客さんを楽しませる事が抜けていたと反省。
さらに悪質な客に絡まれたメイドを助ける事で自分らしさのヒントを得る。[8話]

そして、"自分らしさ"の答えであるライブ衣装を着て参戦し、「可愛らしい外見」に反する「芯の通ったかっこいい歌声」を武器にライブを成功させ、変わっていく自分を受け入れて好きになる。[9話]

最初からカッコよかった有村麻央

そもそもPが麻央をプロデュースしようとしたきっかけは「麻央が人を助けているところを見かけたから」、つまり麻央の精神性なんですよね。

親愛度コミュ2話
親愛度コミュ9話

そして麻央をリトルプリンスと言って慕う後輩たちも、だいたい助けられたりしたことで麻央に惚れているように見えるし、親愛度コミュ2話のことねも「ロリ可愛い外見なのに、(中身は)イケメンで〜」と言っている。

親愛度コミュ2話
親愛度コミュ2話

麻央は「見た目が王子様っぽいわけじゃない」キャラなので、別に少年のような格好で登場した見テクレだけで「キャー♡麻央様〜♡」みたいな扱いは作中では受けてなくて、ただひたすら王子様のような言動で助けてくれるスパダリっぷりによって女を惚れさせ、本人も知らないうちにファンクラブまでこさえていると受け取って良いと思う。

同時に、アイドルとしての能力面でも「芯の強い歌声」は無理に"可愛い"に寄せずに、ギャップとして武器にすることで可愛いさとかっこよさを両立させましょうという話になっている。

親愛度コミュ7話

「どう頑張っても見た目は可愛いのは変えられないのに、それを否定し続けて自分を嫌いなままだとアイドルにはなれない」が、
「だからと言って無理して可愛いを演じても、無理して王子様を演じているのと実質的に何も変わらない」ので、
「逆に内面にはカッコいいところが多分にあるんだから、無理につくらなくても自然体にしてればカッコイイんだよというのを周りにわかってもらえるようにみせる」
というのが本コミュにおけるPの方針なんだろうなと思います。

麻央が出した答え

そうして麻央が考えた衣装はメタ的にはPerfumeが元ネタなのではと言われていますが、
確かにPerfumeって可愛い見た目からのテクノ調の音楽と技巧的なダンスのかっこよさ、という感じなので、麻央の目指すところとしてしっくり来る感じはありますね。

親愛度コミュ9話

そして「ゆるふわ系の可愛い見た目」「内に秘めたかっこよさ」のふたつの説得力は、もう「ライブを見て感じろ」という構成なのだと思う。

つまりライブを見たプレイヤーが麻央のカッコよさに納得できるかの問題。

9話までのまとめ

まとめると麻央のコミュは、
1話から4話までが麻央の現状把握と今後の方針決定、
5話から8話までが、麻央が今まで避けていた「可愛い」に向き合い変化を受け入れていく過程、
9話が最終的に出した結論、という事になると思う。

麻央コミュについて「可愛いを受け入れる過程がふわふわしててよくわからない」みたいな意見が散見されるが、
個人的に1から10まで通しで読んだらふわふわどころかだいぶ具体的では?となったのだが、

個人的な憶測を言うと親愛度コミュって基本プロデュースしながら開いてくものなので他のサポートコミュやプロデュースコミュのやりとりと混ざって混乱しているのでは……?
というのと、
麻央の場合は「理想のかっこいい姿になりたい」というのがまずあったために理想から遠く感じていた「可愛い」を拒絶していたのであって、
性別違和や純粋に嗜好として女性的な格好が嫌いという好き嫌いとは違うんだけど、前者よりは後者の方が共感性があるので伝わらなかったのでは?
というのと、
これはもう読み手が「目に見える外見やわかりやすい能力ではない、内に秘めた本来の魅力」が指すものを飲み込めるような経験があるかにかかってる部分があるためじゃないかなという感じがする。
(他作の話だが「人が光るところを見た事がないと東ゆうの言っている事がわからない」みたいな…)

2)有村麻央の解釈をする

王子様みたいな格好の理由

読む限り、麻央は単に男装が好きな女子とか、男装でないと違和感を感じてしまう女性ではないんですよね。

麻央は、女性的な服のデザイン自体が趣味ではないから着たくないのではない。

麻央の理想は、「王子様役のスター」から始まっている。

親愛度コミュ3話

だけど成長によって理想の姿ではいられなくなったために、日常生活含めて「自分は王子様でなくてはならない」と過度の自負をして、"理想の姿にそぐわないと考えるもの"は避けるようになった。

ブラックじゃないコーヒーとか。
甘いものとか。
スカートのような、いわゆる女性的な服装とか。

「王子様」みたいな姿を理想としているのに、自分の可愛い外見と、それに付随する可愛い売りを押し付けられる事に対する抵抗と反発から、「女性的なもの」を避けるようになった結果が今の麻央である。

「女だからピンクね!」されまくった女がピンク嫌いになる現象に似てると思うんだけど、
そもそもそういう理由でピンクを蛇蝎の如く嫌うのも、他人がかけた呪いにバッチリかかって自己意思じゃないものに振り回されてしまっていてあまり健全ではないと思うんだが、

麻央の男の子みたいな格好(正確には"そういう格好以外をしたがらない状態")も、
だから実はあまりポジティブで主体的な動機で行われたものとは言えないのだと思う。

最初は純粋に憧れてカッコイイ格好をしていたのかもしれない。
しかし今の彼女は自分の服装について「せめてもの意地」と言っており、これこそが自分の理想の姿!と胸を張っているわけではない
(というか、「無理に演じていたし、そういう無理して空回ってる自分も好きではない」ことは再三本人が言っている)

親愛度コミュ4話
親愛度コミュ9話

それでも彼女が男の子のような格好をしているのは、
身長が低くて可愛い見た目で、「ちんちくりんで全然カッコいいって感じじゃない」素の自分が嫌いで、
それだと王子様みたいにカッコよくはなれないと思っているから。

親愛度コミュ4話

逆に言えば、もしもそういういわゆる女性らしいデザインや可愛らしい外見が「カッコよさ」を邪魔しないなら嫌う理由はないわけで、Pが示したのはそういう道だった。

嫌いな自分の容姿を変えなくてもカッコいいアイドルになれるという可能性を提示されたからこそ、麻央は乗ってくるのだ。

親愛度コミュ4話

そしてボーイッシュ/マニッシュな格好をしても自分はもう男の子には見えないという事実をフラットに認識して、
いままで避けていたような服を試着してみたり、髪型を変えたり、
メイド喫茶に行って「可愛いことにプライドを持って、お客さんを楽しませている」事に気づいたり、

親愛度コミュ8話

そういう過程で「カッコいい」「王子様」に比べてどうしても否定してしまっていた「可愛い」の価値を認められるようになった。

ピンクの例えで言えば、ピンクを押し付けられて嫌がっていた人が、「ピンクでも自分らしくあれる」「ピンクも良い色だよね」と思えるようになるまでの過程がコミュ5話〜8話なのかなと思いました。

親愛度コミュ5話

元子役

ここからはだいぶ私の経験込みのナラティブ増し増しになるんだが、
麻央のコミュを読む時に個人的にどうしても連想してしまうものがある。

それは、「麻央が元子役で、かつ男役(という言葉は使われていないが、意識されているのは明白)に憧れていた」という点。

そもそも麻央は最初から「王子様みたいなアイドルになりたい!」と思って未経験から初星に入学してきた、新進気鋭の新人アイドル志望ではない。

麻央は一度、子役として成功している。
それも、本人が理想とする「王子様みたいな少年役」をやる子役として。
映像(CM)までやってるのでけっこう売れっ子だったのだと思う。

ツイッターでもちょっとつぶやいたんだけど、
ここで舞台をよく見る身としては、まず子役も男役もやれる期間は限られてるってことを連想したんですよね。

「ずっと子役」という存在は不老不死でもなければあり得ない。
なので成長した後も役者を続けるなら、うまく大人役に転身できるかがかなりその後を左右することになる。
男役ジェンヌも、卒業後に舞台を続ける場合は基本的に女性役をやることになる人が多い。

つまり両方とも、役者を続けるために何らかの形で方向転換はする事になる。

上記2例はかなりわかりやすいが、ただなんらかの表現者は多かれ少なかれそういう面があるものだと思う。

若い時からずっと同じキャラで、同じ売り出し方で、ずっと同じことをやり続けられる人。

いなくはないんだろうし、何名か具体的な名前も浮かぶけどもちろんそんな人ばかりではない。
(というか、そういう風に見える人も裏ではチャレンジと努力を重ねていたりするし、歳を重ねてからも若い頃と同じ事をやり続けるならむしろそのための努力と変化が必要だと思う)

イケメン俳優も若手女優もいつか中高年役になるし、作風が全く変化しないバンドも滅多にない。
そう、

人間は必ず変わる

麻央は最初から理想を否定されて何者にもなれなかった者ではなく、一度理想の自分を手に入れ、そして成長という避けられない変化によってそれを失った人間なんですよね。

一度成功したからこそ、過去の自分のままでいたくて、それにしがみついている。
諦めきれずに、言うなれば劇団子役時代の延長戦をアイドルでやろうとしていた。

親愛度コミュ7話

しかし生きていれば肉体的な変化、環境的な変化、その他諸々の変化は避けられず、「ずっと変わらない」はありえない。

麻央が素の自分に向き合わず、つまりはその魅力にも気づかず、変化することを受け入れず、
「自分は昔の子役時代のように、いついかなるときも完璧な理想の王子様でいなくてはならない」という思いを持ち続けているかぎり、
例え少年のような格好のままトップアイドルになろうが、中性的な容姿だろうが、背が180センチに伸びようが、加齢やライフステージの変化のような出来事とともにいつか挫折は訪れただろうと思う。
なぜなら自分の変化を受け入れられない状態なのは同じだから。

人は変わるからこそ、変化に対応する必要が出てくる。

「変化に対応する」と「ありのままの自分で」は一見して矛盾するようにも思えるが、しかし変化すること自体は自然なことでもあるからこそ、自らに訪れる変化をありのまま受け入れること。
それが麻央のコミュの主題になっているのだと思う。

親愛度コミュ10話

ここまでめちゃくちゃ長くなってしまったが、そもそもタイトルの通り、このnoteを書いたのは親愛度10のコミュを読んだからだった。

コミュ10話で麻央は、ホラー映画をPと見に行く。
(余談だけどこの時の麻央の私服はパンツスタイルとスカートを融合させたようなプリーツスカート付ショートパンツになっていて象徴的である)

実はホラーが苦手な麻央がPに頼ってまでそんな映画を観に行った理由は、麻央のかつての憧れのスターが、母親役で出演していたから。

親愛度コミュ10話

「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………」

って感じでした。

確かにどこかのコミュで憧れの人がいるみたいな話は出てたけど、そうか、女優転向した歌劇のスターだったのか。

確かに、宝塚でも男役が退団後、女性役をやることに少なからず複雑な気持ちになるファンは多いと思う。
本人たちも少なからず今までとの違いに悩み葛藤する事になるしファンも然り。

私個人の話をするならば、私は特に宝塚が観劇の出発点だったわけでもなく、宝塚だけにどっぷり漬かってるわけでもないので、言っちゃ何だが傷はけっこう浅い方なんだが、そうじゃない人ももちろんいるし、男役という存在が好きなので退団したら追わないよという人もいる。

それはそれでそういう推し方なので良いと思うんだが、ただ麻央の場合はちょっと拒絶の仕方が大きい。

それはたぶん、麻央が単なるファンではなく、そのスターに憧れて、目指して、そのスターのようになろうとしていたから。
追うべき背中が突如として"理想の王子様"から外れてしまって、失望して、裏切られたように感じたんだろう。

ただ宝塚は極端にわかりやすい例なだけで、歌手やアイドル、役者、YouTuber、Vtuber、作家などその他の色々な職業にも似たような事はあるんじゃないかと思うんですよね。

今までファンだった役者やアーティストが方針転換した。
そこで追うのをやめるにしろ、追い続けるにしろ、ファンはそのとき必ず問いを突きつけられることになる。

「自分はこの人のどこが、何が好きだったのか?」

それが「容姿、歌唱力、ダンスのうまさーー外にわかりやすく見える能力」であれば、それが損なわれたらファンは離れていくかもしれない。
だけどそうではなく、その人自体の魅力を伝えられれば、変化してもファンはきっと受け入れてくれるのではないか。

親愛度コミュ4話


そして麻央は、そうした「変化しても変わらない、ありのままの魅力」はファンに伝わるのだという事を、かつての憧れの人の現在の姿を目にする事で、自分自身の身をもって知ることができた。

親愛度コミュ10話

「王子様じゃなくなっても、あの人はカッコイイままでした」

きっと私以外にもどこかに首がもげるほど頷いている人がいるんじゃないかと思う。

確かに麻央の子役時代のように、
ジェンヌの男役時代のように、
卒業したアイドルのグループ時代のように、
ミドル俳優の若かりし時代のように、
もう絶対に戻れない自分というのは存在する。

でもそれは悲劇的なばかりではなく、変化することを受け入れて自分を見つめ直すことで次のステージに進むきっかけでもある。

なにより、麻央の憧れのスターのように、そうしてきた人たちが麻央のいる世界にはたくさんいる。

だから、かつて失望した憧れの人は、麻央の行く道を先に行った先人であり、再び麻央にとっての「ああなりたい」という憧れであり目標となった。

親愛度コミュ10話

麻央の出した結論としては9話で終わらせても問題なかったように思うが、
オチとして憧れの原点に回帰するこの10話がでてきたせいで私は脳を灼かれましたとさ。

おわり
24.07.06



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