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【 偶然と想像 】 感想vol.076 @シネ・ヌーヴォ 22/1/18

21/日/ビスタ/監督:濱口竜介/脚本:濱口竜介/撮影:飯岡幸子

『ドライブ・マイ・カー』が各方面で絶賛されている濱口竜介監督の最新作。観ずにはを得まいと、劇場へと寒風吹きすさぶ夜道を急ぐのであった。

本作は、第一話『魔法(よりもっと不確か)』、第二話『扉は開けたままで』、第三話『もう一度』の3本の短編によって構成されている。冒頭、濱口監督が、観客に対してお礼を述べる映像が差し込まれていた。人見知りなのか、カメラを直視できずに、おずおずと喋るその表情と仕草にやられる。本当の天才というものは、得てして自己評価が低いものである、と私は思っている。スポーツ選手は大言壮語をしても、結果が出せればそれでいいのだ。そうでなくとも、パフォーマンスとなるので、さして問題はない。濱口監督は芸術家である。自身の言葉で語る必要はない。映画で伝わる事が本望なのだ。ベラベラとしゃべる自尊心の塊の様な監督よりも、彼の様な人間こそ信頼に値するのだ。

本作『偶然と想像』は、濱口作品の真骨頂とも呼べる、濃密な会話劇に酔い痴れることができる。
画面構成としては単調であるので、そういったものを好まない方には、延々と続くセリフのやり取りに、些か退屈さを覚えるかも知れない。だが、これが病みつきになるので、そう言わずに濱口作品を追いかけて頂きたいものである。

第一話『魔法(よりもっと不確か)』について。
モデルの芽衣子とヘアスタイルのつぐみは仲の良い友達。ある日、撮影現場を共にした彼女たちは、同じタクシーに乗り込み帰宅する。つぐみから、魔法がかかったかの様に相性の良い男性と出会ったという惚気話を聞かされる芽衣子。話を聞くうちに、芽衣子はその男性の正体が思い浮かぶ。つぐみが先に下車すると、芽衣子は来た道を戻り、ある場所へと向かうのであった。というストーリー。
この話の中に、濱口監督の実体験が何処まで反映されているのかは分からない。タイトル通り、想像だけで創造したのかも知れない。束縛する者と束縛される者。束縛したくないが、束縛してしまい、束縛から逃れたいが、束縛されたいと願っている者。誰しもが抱えるジレンマというものを、短い時間の中に凝縮し、濃縮されたセリフが吐き出され続ける。天晴であるよ。
一点気になったのは、ラストの喫茶店のシーンで、フィックスからのクイックズームという撮影スタイルが取られていたのだが、これまでの濱口作品では観られなかったものであり、おやっ?と思ってしまった。映画の中に傍観者の存在が急激に顕現してしまい、観客のテンションが落ちてしまうのでは?と危惧したのだ。動きとしてもちょっとチープな印象になってしまうし。

第二話『扉は開けたままで』について。
主婦となった後に、大学へと進学した奈緒。彼女の周りには友達がいなかったが、同級生で唯一、佐々木だけが話のできる間柄であった。本来であれば彼は、前年に卒業してアナウンサーとして就職していたはずであったが、出席日数が足りないことを理由に、教授の瀬川に単位の取得を認めて貰えなかった過去がある。その恨みを晴らすべく佐々木は、瀬川に色仕掛けをするように奈緒を差し向ける。というストーリー。
渋川清彦は濱口監督の大学院時代の作品である『PASSION』にも出演していた。規模を問わずに、実に良い作品を選んでいると思う役者である。
物語としては、朴訥なフランス語の大学教授が、女性の前では中学生の様に初心であるという可笑し味に満ちた話で、何だか少し照れてしまった。
劇中で朗読される小説の一部分は、濱口監督が書かれたものなのだろうが、確かに文学賞を受賞する作品に出てきそうな文体を選んでおり、本当に頭の良い人なんだなぁ、と感服させられる。濱口監督が小説を刊行するのなら、絶対に買ってしまうし、読書好きな私としては、書いて頂きたいものだ。
最後は奈緒のうっかりから、とんでもないオチに繋がるというのも、短編ならではの表現であり、言わずもがなの良作であった。

第三話『もう一度』について。
高校の同窓会に参加するために仙台へとやってきた夏子。翌日東京へ戻る為に駅へと向かうと、エスカレーターであやと擦れ違う。お互いの顔を見るや、驚きを隠せない両者。当然訪れた20年振りの再会に興奮を隠しきれない。あやの家へと向かい昔話に花を咲かせる夏子であったが、少しずつお互いの認識がずれている事に気付く。というストーリー。
河井青葉と占部房子を知ったのも、濱口監督作品でのことであった。こうしてみると、影響を受けたことの多さに驚きを隠せない。これが偶然の力というものなのだろうか。
確かにそうなのだ。ふっと、昔あんな事あったなぁと思い返した時に、でも誰だっけ?と、顔は覚えているが、名前を忘れてしまった人がいるというものは。
物語の特性上、舞台が仙台である必要はないのだけれど、何故だか仙台なら起こりそうというのが、不思議。これは岩井俊二監督作の『ラストレター』を観たせいかしら。
二人の会話から、見た事も会った事もないクラスメイトの姿が、私の脳内に浮かび上がり、スカートを翻して渡り廊下を駆け抜けて行く。時間としては過去となってしまったものも、想い出の中では永遠に現在なのである。

予期せぬから偶然。ないからこそ想像。人生の中で幾たびも起こり得ることである。これからも、そうしたものに期待しながら生きて行きたいし、濱口監督の映画を観続けて行きたい。

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