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【 エッシャー通りの赤いポスト 】 感想vol.074 @シアターセブン② 22/1/15

21/日/ビスタ/監督:園子温/脚本:園子温/撮影:鈴木雅也

私が園子温監督の作品を観たのは、地元の映画祭で上映された『0cm4』であったと記憶する。高校生の時だ。以来、その特徴的な名前も相まって、頭の中に残り続けてしまった。そこから、しばらく時が流れて『愛のむきだし』。これが決定的であった。セリフの語感が凄まじく、文学的な暴力に慄いたし、画面から迸る感情に、私は蹂躙された。だから本作もまた、観ない訳にはいかないのだ。ということで、観賞に至る。

ストーリーについて。映画界の若き天才、小林正監督。彼は新作映画『仮面』のために役者を募集していた。条件を特に設けず、演技経験のない素人でも参加可能であった。その知らせを受けた、暇を持て余した若者たち、大衆演劇調の芝居に興じる女子劇団員、小林正監督を愛して止まない「小林監督心中クラブ」のメンバー、俳優志望の夫を亡くした若き未亡人、言動の端々に狂気が混じる女、プロデューサーと癒着した有名女優などが応募し、その全てに会ってみたいという監督の意向の元、様々な出自と経歴の持ち主たちがオーディション会場に殺到した。ある晩、脚本作りに難航する監督の前に、かつての恋人が現れる。彼女は、私が書いてあげると言って、監督の傍に寄り添い続ける。監督は、原点回帰したい、映画作りの初期衝動を再び求めたい、という想いで準備を進めていたが、プロデューサーからの圧力で思い通りに進まない。果たして、『仮面』は完成することが出来るのか。

感情的で詩的なセリフ回しはいつも通り。カットの畳みかけによる状況描写もいつもと同じ。ただ、いつもと何かが違うのは、そこに写る俳優たちのギラつきだ。生身の人間が、スクリーンの中にいるのだ。これは俺なのだと思わせられる。登場人物の誰一人として、私と同じ境遇の人間はいないのだが、紛れもなく自分が画面の中に納まっていると感じられる。この感覚はなんなのだろうか。そうか、彼ら彼女らは懸命に生きているのだ。例えつまらない毎日だとしても、死ぬことを選ばずに生き続けているのだ。だから、彼は俺で、俺は彼女なのだ。愛があるのだ。時に傲慢で、時に繊細な愛が。だからこれは、愛の映画なのだ。『愛のむきだし』の群像劇版であったのだ。それに気付いた時、私は劇場の座席で小さく震えたのだ。誰かの物語に中に生きるのではなく、自分の物語の主役にならなければいけないのだ。

今作の役者たちは、園子温監督のワークショップに参加した人たちでキャスティングされている。なので、顔ぶれは見知らぬ人たちばかり。だからこそ、先入観がないので、役を役として受け入れ易い。その中で、際立っていたのがやはり、謎めいた安子という女を演じた、藤丸千という俳優であろう。そのエキセントリックな立ち振る舞いと、時に見せる儚い視線と表情に、終始目が離せなかった。もしかすると鳥居みゆきを意識したのか?とさえ思ってしまった。私は鳥居みゆきのファンで、彼女の単独ライブや主催劇団の公演にも何度か足を運んだことがあるので、勝手ながらに後継者が出てきてくれて嬉しいと思ってしまった。ただ、これは今作だけの役であった、彼女の今後の作品では、また違った印象を与えてくれることを願って筆を置きたい。幸せな時間であった。

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