見出し画像

【 Mank 】 感想vol.009 @シネ・リーブル梅田② 20/11/25

20/米/シネスコ?/監督:デヴィッド・フィンチャー/撮影:エリック・メッサーシュミット

老いても尚、胸の内に光る、あのライムライト。あの輝きを、忘れないでおかないと。

『ゴーン・ガール』以来、6年振りのデヴィッド・フィンチャー作品。これは観ねばなるまい。Netflixでの配信を前提とした作品であるが、期間限定での映画館上映との事で、鑑賞。私はNetflix未加入であります。正直、前作の『ゴーン・ガール』はさして面白くなかった。更にその前の『ドラゴン・タトゥーの女』もしかり。こちらに関しては、せっかくなら無修正版を観ようと思い、わざわざ六本木の深夜上映に足を運んだ事が思い出される。懐かしい気持ちが蘇るが、作品は惨憺たるものであった。理由は知らねど、作品の発表ペースが遅くなっていた事は気に病んでいたので、今回の作品発表には一安心。ただ、Netflixというのが、解せないというか、寂しい思いもするが。

ストーリーについて。実在したハーマン・マンキウィッツが、如何にして映画史に残る名作『市民ケーン』の脚本を書き上げたのかを、その時代背景と共に描くと云うもの。

『市民ケーン』が制作された当時の映画がどういうものであったか。それを現代の技術で出来得る限り再現しているのが嬉しい。撮影はフィルムではなく、デジタルなのは仕方がないとして、音声はモノラルどセンター。このサウンドデザインにはグッときました。当然、色彩は黒白二階調。コントラストの付け方もよろしいかと。画角はスタンダードであれば申し分はなかったのだが、何故か疑似シネスコ。これはちょっとマイナスポイント。監督によれば、家庭のモニター環境に合わせた結果らしいけれども。全体に1930年代に作られた映画へのリスペクトが感じられて、好感が持てたのだが、でも、だったらやはり、Netflixではなくて、映画会社の配給で作れなかったのか?と思ってしまう。

デヴィッド・フィンチャーと云えば、毎回タイトルバックの作り方が特徴的だが、『Mank』も恰好がよろしかった。時代設定に則しているので、華美な演出ではないが、空中にぽっかりと浮かぶそのタイトルが、実に味わい深くて素敵であった。足し算ではなく、引き算の美学を感じたものです。

役者のセリフも現代の発語ではなく、しっかりと当時の言い回しを徹底して再現していた。確かに、やるならここ迄やらないと世界観が崩れてしまうものな。

細部への気配りを感じられて、非常に作り手側の愛情を汲み取れたのだが、じゃあ、「作品が面白かったのか?」と問われると、「うーん」と首を傾げてしまうのが本心。何を主題としているかが判然としないのだ。脚本家のハーマン・マンキウィッツの人となりを描いているのかと云うと、断片的な情報ばかりで、それ程個人の内面を映し出している訳でもないし、当時の映画業界を表していたのかというと、そうでもない。どっち付かずの状況の中、私を差し置いてどんどんと苛立ちを募らせるハーマン・マンキウィッツに、次第に距離を感じてしまい、途中から集中力が切れてしまった。これは事前にハーマン・マンキウィッツと云う人について、勉強してから観た方が良かったのかも知れない。そうすれば、もう少し楽しめたのかも。

何れにせよ、ゲイリー・オールドマンの渋さは、昔と変わらずそのままだ。近年は悪役が減ってしまったのが、非常に残念に思うので、また、『レオン』のスタンスフィールドの様な役を演じて貰いたいと切に願う。

フィンチャーさん、次こそ頼みます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?