「メンやば本かじり」美しい世界編
メンタルがやばいときは、本をひとかじり、第一二回である。
お前、どうしたんだ。急に数を数えられるようになったのかい? と、川勢を心配してくださる方もいるかもしれない。
安心してください、算数装備、全裸です!
今回も通常蛇行運転だ。そもそも、本当に一二回かどうかもあやしい。
でも、確かめない!
この時点で、「ああ、この人、情緒不安定なんだな」と察していただけただろう。ありがとう。
関係ないが、「その年齢でやばいって言葉を使っている語彙力のなさ、やばいですね」と先日、会社の若い子に言われた。でも大丈夫。あたい、負けない。
なぜなら、メンタルがやばいとき(そしてめげずに「やばい」を使う)の現実逃避方法を知っているからだ。
メンタルゲージをがっすがす削られたときは、美しい世界へ逃避行するにかぎる。私は美しいものが好きだ。
本は、そこにある言葉と、想像力でどこまでも理想の美の世界を敷衍させていくことができる。
というわけで、今日紹介したいのは、誰もが知っているノーベル文学賞作家、ガルシア=マルケス。『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(河出文庫)に掲載されている「光は水に似る」から。
九歳のトトと七歳のジョエルは、クリスマスに両親へおねだりをする。何が欲しいかといえば、オール付きのボートだ。
カルタヘナは、南米コロンビア北岸の港町だそうだ。正式名称をカルタヘナ・デ・インディアスといい、同国でもっとも観光客の多い都市、らしい。(Skyticketホームページより)
一方、現在トトたちの家族が暮らしているのは、はマドリード。マドリードは観光地として有名なので、ご存知の方も多いかもしれないが、海に面していない。
では、トトたちはボートをどうする気なのか。
部屋までボートを運んだ彼らは、両親が映画を見るために出かけたあと、行動を起こす。なんと、明かりがついたままの電球を割ってしまうのだ。
さあ、あなたも部屋の明かりを消して──。
光の波に揺れる、その景色を想像し瞼を閉じると、金色の波が暗闇のなかで揺蕩うのが見えてはこないか。次第に玲瓏たる音も耳のなかで滑らかに転がり、ああ、いつの間にか光の海に浮かぶボートに同乗させてもらっているではないか。
美しい、あまりに美しい。
ただ、光だけの世界では綺麗どころか、目を開くことすらできない。光を包む影があるからこそ、光は輝く。自分が光という美に見惚れている間にも、いや、そういうときだからこそ、悲しみに暮れる人、痛みに耐える人いる、そこを思い出してみてほしい。ガルシア=マルケスの「光は水に似る」も、光だけでは終わらない。
なぜ、美しさに感動しているときに、そんなことを考えなければならないのか。せっかくの美しい世界を壊さないでほしい──そう思う人もいるかもしれない。私も昔はそう思ったときもあった。だが、光をその影は、もしかしたら、いつかのあなたの心なのかもしれないのだから。
■書籍データ
『ガルシア=マルケス中短篇傑作選』(河出文庫)
ガブリエル・ガルシア=マルケス 著 野谷文昭=編訳
難易度★★★☆☆ 解題、編訳者解説、あとがきを読んでから読み直しするのもまたいい。
今回紹介した「光は水に似る」以外にも、「聖女」もまた美しく仄暗い影を抱えた素晴らしい作品だ。いや、「大佐に手紙は来ない」も、「火曜日のシエスタ」も、「ついにその日が)も、「巨大な翼をもつひどく年老いた男」も、どれもこれもここに収録されている作品は、素晴らしい。
実は今回かなり迷った美しい一節が「聖女」にあり、ここに残しておく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?