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擬態


アンバランス


僕は今、金欠である。また、貧血らしい。そう自分でも認識できるほどに、起き抜けで見た鏡に映る自分の顔は日に日に真っ青になっていて体がだるい。スマホに打ち込むのでさえ億劫になる。顔色が悪い、体がだるい、疲れやすい、動悸がする、めまいがする、息切れがする…………。検索した症状に全て当てはまった。学校とバイトの両立で多忙を極め、部活も卒業し本当なら僕は勉強しなくてはならない身である。最近までバドミントン部に入っていた。笑える程に弱小で初戦敗退。真面目に練習した覚えが数えるほどしかなかったのだから当然の結果である。引退後、しばらくは遊び呆けていたメンバーたちも流石に学校再開して、受験を控えている事に気づき、焦りを覚えたのか最近は一緒に遊ぶことも無くなった。しかし、僕はタコ少女のライブに行けるほどの財力持ち合わせていないため、この二学期を犠牲にしなくてはならない。タコ少女とは僕の推しているアイドルグループである。三年前、高校受験の頃に孤独に感じていた。その時初めて出会い、自分以上に頑張っているも励ましてくれる存在のおかげで立ち止まらずに背中を押してもらえた。しかし当時は誰も知らないばかりか散々馬鹿にされた。今も部活のメンバーやクラスメイトには馬鹿にされる運命が見えているため公言していない。中でもセンターのyouはダンスのキレはもちろんのこと、特に歌声が素晴らしい。ーこんな調子なのだから一瞬できた彼女に思い切って公言した時、推しは女が推すものだ、男が推してるのは気持ちが悪いと言われ、一週間と持たずに別れた。後悔など微塵もない。あの女はタコ少女を真っ向否定してきた。推しをディスるやつなんてこちらから。おことわりだ。この事で確信した。彼女なんて要らない。人に理解されようなんて思わなくていい、と。付き合ったところでなんの得にもならなかったのだから。何本目かのエナジードリンクを無理に流し込んでしまい、近くのゴミ箱へ投げ入れる。あとわずか、数センチメートルのところで届かなかった。周囲には同じような空缶がごろついている。時計を見やり、急いで用意してふらつく足に鞭を打ちバイト先へと続く道を走る。

バイト先への道をまだ走っている。遅刻を確信するも、電話をかける余裕さえない。今は足を動かすだけで精一杯である。いつもは感じないほど距離が遠く感じる。後で謝れば許してもらえるだろう。また、バイト先のオーナーと親に面識があり、特別に紹介してもらった。
そのオーナーと沢先輩のみの小さなイタリアンレストランーPolpoーだ。polpoはイタリア語でタコの意味らしい。看板メニューはタコのアクアパッツァ。オーナーの槙さんがタコに魅せられてタコのイタリアン料理店を二年前営業した。坂の上に位置するのもあってそこまで手が回らないほど忙しいわけではない。しばらくすると坂の頂上が見えてきた。日差しがぎらつき、肌を焼く。風は少しも吹きやしないが、足を回すうちに通り過ぎた風を感じる。何度目かのため息と共に暑いとつぶやく。蝉がぐわんぐわん言わせていてより一層熱を倍増させているようだ。雲ひとつない青空の下、もう目の前というところで視界は暗転し、身体が崩れ落ちた。蝉の声がフェードアウトする。そして、ごろついた人形のように野垂れると静止した。コンクリートの上で皮膚が溶けるようだ。鉄板の上で意識が遠のく。ふんわりと優しい香りが漂う女性の声が微かに耳の周りでして朧げな中でも鮮明に印象に残り、そのまま事切れ余韻に浸っていた。

ーまどろみの中、冷気が顔の表皮に当たるのを感じる。身体には力は入らないものの、陶器の当たる音とピアノの聴き馴染んだ旋律が流れる。目を開けようにも瞼がペンチで挟まれたようにびくともしない。諦め、従うまま更に落ちた。
意識を取り戻し、起きあがろうとすると痛みが響く。鈍痛がジンジンと反響し次第に骨の髄まで到達した。おかげで完全に意識は取り戻した。目を恐る恐る開けるとオーナーの顔が目の前にあった。
「あぁ、良かったわ。遥、もう起きないのかと思っちゃった。ごめんなさいね、ちょっと力を込めすぎちゃったかもしれない。代わりの氷持ってくるわね。」ぶたれたらしい。
「あんた、やっぱり最近頑張りすぎちゃったのよ。今日は休みなさい。」
顔の良さ、スペックの高さに反して俗に言うオネエ言葉を使う見慣れたオーナーの槙さんの顔を認識して安堵感が広がる。疲労感が少しだけ軽減されたように感じるのは気のせいなのだろうか。厨房へ戻る姿を認めた。手には氷と茶封筒を手にして向かってくる。徐ろに往復の交通代の入った見慣れた茶封筒を差し出され、されるがままに受け取ると背中を押される。不意に後ろを向くも押す力がどんどん強くなり、気づけば目の前にミントグリーンよりも薄い、謎の水色と緑を薄めたくらいのアンティーク調のドアが近づく。
「待ってください。働かせてくださいよ。」
ガタイの良い、男から追い出そうとされている。
「ごめんなさい、無理する人はお断りよ。理由は知らないけれど、とてもお金を必要としている事は知っているわ。だけど、今日はダメ。疲れているんでしょ?あと、休んでも今日のバイト代は入ってるから安心してね。」
ここは折れることにした。トボトボ帰ろうとする。すると、今日の賄いらしきものが入った袋と一緒に「連絡しなさい」とメモを渡された。
「道であなたを拾ってくれた方よ。ここまであなた、私が言うのもなんだけれど男一人、相応の重量あるだろうに担いで連れてきてくれたの。感謝なさい。可愛いボブ髪が素敵な子よ。」 
思うところがあるのか不適な笑みを浮かべ、ウインクして見送ってくれた。袋と連絡先を手渡し、揶揄うように告げた。僕よりも背格好の高い槙さんに言われるのはお門違いだと思ったが、口にはしなかった。

帰り道、薄暗くなった夕暮れ道を下る。日は既に落ち、眼下には幻想的な風景が広がっている。黄昏れるには最高のロケーションだ。少しぬるい柔らかな風が流れる。頬を撫で、家の方へと行ってしまう。思い出し、連絡先の書かれたメモの切れ端を眺める。家に着いて連絡しようと後回しにした。

家に辿り着く。その後、布団に吸い込まれ、あの時休んだにも関わらず、気絶するように寝た。結局連絡することは忘れてしまっていた。朝になり、起きる頃にはバイト時間一時間前になっていた。昨日しっかり寝たからか、だるさはすっかりなくなっていた。しっかりと食事を摂り、思い出して連絡を入れる。コールばかりで出ない。メモを手帳に挟み、支度をする。今日はゆとりを持って着くことができるように家を出た。

茹だるような暑さはない。昨日とは打って変わって曇天。茹だるほどではないものの、気持ちの悪い温風が吹く。少し湿っているようにも感じる。そういえば天気予報によると南から台風が近づいているらしい。ちょうど店に着く頃傘を忘れたことに気がついた。今日は時間帯によっては走る羽目になるかもしれない。四時間後に降らないことを願う。店に入ると槙さんと沢先輩がいた。この人は最近就活だとかで顔を出すことが少ない。来るには来るが、シフトは入れていないと言う方が自然だろう。顔を出す時は決まって第一次選考が通った時だ。今日もそうなのだろう。しかしいつもと様子が違う気がする。服装もいつものスウェットみたいなのではなく、スーツ姿だ。店内にはピークタイムが過ぎて、顔馴染みの常連客ばかりが集まっている。
「もしかして、辞める?」
微かな空気感を察知し、思ったことを口にしていた。会話の中で明らかに浮いていたし、ちょっぴり悲しそうにも見える。ー何も状況を飲み込めてないくせに失礼なことを口走ってしまった。我に帰ると、発した言葉に対して後悔の念が押し寄せてきた。そこまで大きな声ではなかったものの、近くにいた本人と槙さんくらいにはギリギリ届いてしまう大きさだったことに至る。聞こえていない事を祈った。周りからすると何気ない会話のように感じるかもしれないが、僕としては気にしてしまう。過敏であるし、どうでも良いことでさえ深く考え込むタチであるのは昔からだ。しかし彼女は気にする様子はなくニヤリと笑みを浮かべると体を大の字にして息を蓄えた。反射的に耳をおさえる。
「ご報告であります!この度、私、沢詩音は二次面接通りました!」
慣れない堅苦しい言葉を使い、のりのついたスーツに身を包んだ彼女の声が咄嗟に塞いだはずの耳に指の隙間を目掛けて入ってくる。来春には東京へ一人暮らしをするという。時々大雑把で、明るくて、どうしようもない、アクティブな彼女らしい光景だ。周りでは歓声が沸いている。オーナーは厨房から巨大なホールケーキを持ってきた。テーブルには花々やパスタ、サラダなどが豪華に並べられている。ここでひとつ疑問に思った。しかし、今出すと白けてしまいそうで怖くて心に留め置いた。周りを見渡すと常連の中に見慣れない顔があった。見たことはないが、何処かで見たことがあるような懐かしい、愛おしい顔だ。誰か常連さんの娘さんなのだろうと思い、考えるのをやめた。僕よりも少し若く、高校入りたてくらいなのだろう。同世代の若者が来ることはそう滅多になく、親近感が湧いた。基本は中年のおっさんかオーナーの友達くらいだ。滅多に新規がくるなんてことはない。新規かつ若い。あとで話しかけよう、そう決心した。
お開きが近づいた頃、少し余裕ができたので話しかけようと周りを見渡すが、見当たらない。仕方なく、沢先輩と話すために姿を探す。程なくして見つかった。厨房にいた。
「何処を受けられたのですか?」
何度も尋ねてきたこの質問を再度投げかける。
「徳衛館。印刷業界でブイブイ言わせてるところ。私さ、今まで小説書いてきたじゃない?遅咲きだったから就活時期にまで響いてしまったけど、少しは売れてたから知ってはいたみたい。まさか通るなんて思いもしなかった。」
沢先輩は大学卒業後、小説家を志し、二年間執筆していたが、さすがに飽きたらしく大人しく就活をすることになった。二年がやはり大きいらしく、基本一次止まり。今回は二次通過の報告が来たからパーティというわけだ。つまり、饒舌に喋っているが、二次面接合格なのだ。恐らく彼女は受かった喜びで三次試験があるということを忘れてもう合格していると勘違いしているのだろう。そしてまわりもそんな本人の様子からわかっていない。もしくは僕のように気づいていても諌めるだけの勇気のないだけだろう。勇気なんてない。黙って見過ごすしかない。いくらか談笑して落ち着いた頃、時間的にもお開きの時間が近づいていた。
宴が終わり、もう一度参加者の中からあの子を見つけようとあたりを見渡すが見当たらない。話しかけることなく、いなくなってしまった。


ギクシャク


今日から惰性でゴロゴロとする生活を再開する。今週はお盆休業のため、バイトがない。その記念すべき一日目なのである。体を壊しつつもバイトを結構きつめに入れたことが功を奏してライブ分のお金は集まった。あとは現地でグッズを得るための資金のみとなっていた。一万円ほどは欲しい。お盆明けも忙しくなりそうだ。そのためにも有意義に休もう。しかし、今日は予定がある。柚本先輩の買い物に付き合わなくてはならない。集合場所である駅まで走って出かけた。持ち物は念入りにチェックしたのもあり、忘れ物なんてなさそうだ。待ち合わせには十分前につきそうでホッとする。何せ、初めて先輩と二人きりで遊ぶのだからテンションがいつもより高くなっている。集合から五分後、額に汗を浮かべた先輩が見えた。
「待った?申し訳ない。」
と息の上がった声で言われ、少しドキッとする。返事をしようと顔を上げるともう歩き始めている先輩の背中があった。

もう何軒目だろうか。回り初めてまだ二時間も経っていないだろう。一人で来る買い物と他人と来る買い物はこんなにも違うのか。先輩は取捨選択を瞬時に見分けながら店内へ突き進んでいく。歩き疲れ、人酔いした僕はベンチに腰掛け休んでいた。人混みに飲み込まれながらも懸命に逆方向へ向かう人影が。その子に関係なしに傾れ込んでくる様子を眺めながらいつのまにかその子に同情し、感情移入していた。周りが見えなくなっていく。何処かで見たことがある顔だが、思い出せない。何処だったろうか。考えているとその子の顔が歪んでいた。少し進んだら押し返され、少しでも足を出すタイミングが遅れたら進めない。汗と熱の立ち込める都会の道の上をマクロに眺めていたことで見つけた発見にほくそ笑む。いつの間にか先輩の求めていたものは揃ったようだ。その場を後にした。

先輩が奢ってくれるというので小洒落たカフェに入った。先輩はエスプレッソ、僕は抹茶オーレを頼んだ。沈黙が流れる。異様に長く感じた。
「立花くんはさ、小説よむ?」
不意に聞かれ、回答に困る。ただのはい・いいえ、一かゼロの単なる簡単な問題なのだが、東大レベルの問題を一瞬で証明するように求められているような心地だ。無言でただ押し黙っていると、先輩は申し訳なさそうに笑った。元から気まずかった空気がもっとどんよりとしてしまった気がした。ここにはそこまで長居せずに気まずい雰囲気のままお開きとなった。


帰り道


帰り道。まだ、昼過ぎなのが笑える。折角憧れだった沢先輩に誘われた。なのに、その機会を無駄にしてしまった。挙げ句の果てに先輩に不快な思いをさせてしまった。最悪だ。
帰り際に家で飲もうとエナドリを数本ぶら下げたビニール袋が少し揺れる。
それに逃げるようにして去ったのも絶対に気づかれていることだろう。近くに女郎花の咲き乱れる河川敷がある。不甲斐無い自分を投げ打つように横たわった。少し離れた隣には長髪の女性が体操座りで腰掛けている。少し明るめに染めた髪にワンポイントチェリー色が内側に添えられている。髪の間から覗く小さめの鼻は見かけたことがあるように感じる。…………なわけないよね。ふと思い起こされる女性がいたが、理性が激しく首を横に振る。
「ここの夕日、とても綺麗なんですよ。」
その女性は沈んだ夕日の向こうを見つめながらつぶやいた。黒のパーカーを羽織り、身体を小さく埋めている。
「いつもここへ?」
聞き取れるかギリギリの、か細い声だったが、どうにも独り言のようには思えず、社交話を続けるべき様子だった。
フードを脱ぎ去り、こちらを凍てつく目で見てきた。メガネの底から伺える目からは感情の機微が一切感じられない。
「あなた、疲れているの?話聞くよ?ここじゃなんだし、公園に行った方がいいかしら。」
周りを指す。ちびっこ達が楽しそうに戯れている。反対に彼女の見開かれた目は深く、黒い。そして美しい。全て見透かされているような目を直視できずに少し下を向く。少し躊躇うが、手を引かれてされるがままついていった。小さなベンチに腰掛ける。沈黙が流れる。表通りの車の音が鳴る。街灯が何度かちかついた時、話しかけられた。か細いながらもどこか凛としている。尚も無言を貫くも覗き込まれ見えた微笑みから抱え込み、凍った心を溶かしていった。氷は溶け出したら、止まらない。曝け出したい欲求に駆られ、素直にならざるを得なかった。
「……てなことが会ったんですよ。もう、やってらんない。」
一度絆されると一気に崩れた。今日の出来事の全容を話す。エナジードリンクに手をかける。煽るように流し込むも思った以上に口に入らなかった。大量に買い込んだはずだったが、いつの間にかなくなっていた。それでも勢いよく、飲み込む。頷いてくれたおかげで、というかこの人には何か俺に安息の地をもたらしてくれる。ふかふかの洗い立ての布団に包み込まれている感覚と似ており、荒ぶりすさんだ心に沁みる。心が落ち着いたのはあの時以来だ。
「あの、何処かで会いました?もしかして、タコ娘のyou(ヨウ)?……人間違いですよね、急にすみません。」
取り留め、聞く必要のない要件でもあるし、何よりこんな場所にyouがいるはずなんてない。また、俺はこの世界の誰よりも一ファンとして顔を何度も見て自負があるし、この子は髪型も黒子も、目の形だってyouと比べると少し違和感が残る。しかし、笑い方は明らかに同じで鼻の形だって一緒だ。
「っき、きっと気のせい、人違いだと思いますよッ!」
肩をびくつかせ、明らかに動揺している。しかし反論している以上、違うのかも知れない。
また、何か触れて欲しくないのもあるのだろう。終わったものだと深く考えないことにした。

 
 夜も更けていく。彼女もまた、近所に住んでいるらしい。他愛無い話に盛り上がり結構長い時間話していた。
少しハスキーな声でお淑やかな言葉を使う姿がいじらしい。俺も現在彼女に惹かれているように他の人もまた惹かれているのかもしれない。
「立花さんはどちらの高校へ通われているの?」
ある橙の小さな花がちらついて街頭に照らされて煌めいている。髪におち、髪飾りのようになっていて綺麗だ。街灯がスポットライトの代わりとなり、より魅力的に映える。今まで気にしていなかった白いワンピースでより花嫁を彷彿とさせる。鼻にふんわりと香りが届いた。秋のまだ生ぬるい風に溶ける甘い香りが辺りに広がる。
「荻丘高校ですね、あまり治安はいいとはいえないかもですけど……。」
二年前、共学になったため男女比率が異常な事になっている。久しぶりに女性と話した事で感覚がおかしくなっている。いつの間にか夕暮れ頃の不満は消えて安らかな気持ちが心の中に広がっている。どこか欲す魅力を持つ彼女だからこそ、打ち明ける事が出来た。彼女に話すと心洗われ憎しみだとか、後悔だとかの不浄な感情なぞもう沸き起こらないように感ぜられた。まさに女神様、聖母マリア、と形容したくなるほどに美しく、清廉だ。みている自分でさえも清々しくなる。
「そうなんだ。私、杉撫高校。近くだから分かるはず……女子校だから出来ても彼女しか居ない。彼氏欲しいな。」
別れたばかりなんだ、とはにかむ笑顔が微笑ましい。如何にも年下である。杉撫高校は県内でも頭の良い、所謂お嬢様学校だ。そんな高校に通っている彼女が現在お隣が居ない事実を知った瞬間、沸き立つように喜びに満ち溢れる。ずっと先まで妄想が広がり、どんな事があろうともこの笑顔を守ってみせる、必ず幸せにすると決心し、着地した。決意の先に罠にかかったかのように感じ、身体をびくつかせる。闇の中、絡まって引き摺り込まれる様子が脳内で短い間の中でコマ送り再生されている。底まで悪寒が広がって、しかしその悪寒でさえ受け入れ、気持ち良いと思う自分がいるのは何故だろう。マイナスな感情なんてなくてただ、経験が無い心地がする。この胸元のざわめきはなんだろう。恋……?いや、違う。近くにいて嫌な気がしないだけだ。
「また話に来てもいいですか。」
 また咄嗟に言葉に出していた。彼女には素になってしまう。
何故こんなに自分をコントロール出来ないのだろう。また、自分を出してしまうのだろう。ちなみに彼女の名前は芙蓉というらしい。聞き馴染みのない名前だったのですぐに覚えられた。

得体にしれないざわめきを心に留め置き、気にしないふりをしながら連絡先を交換した。渡された電話番号にかけてみるも出ない。コール音が続くスマホを手に、生ぬるいエナジードリンクを流し込む。炭酸が切れて喉越しが悪いのに嫌気がさすが、空腹に気付き家路を急いだ。


体育祭


近くに高校で体育祭がある。今年は生徒会の計らいにより女子校杉撫高校と合同体育祭となった。そういえば杉撫高校といえば、あの彼女のいる所だ。期待で胸をいっぱいにさせ、準備に取り掛かった。しかし彼女との電話帳には自分の入れた連絡以外に何も無い。留守電の空虚な自分の声が反響する。会えることを期待し、実行委員に立候補した。俺はいつもそんなキャラじゃない。しかし、何か予感めいたものがあった。そしてその予感は的中する事になる。

 実行委員会初回。集まったのは8人の生徒たち。杉撫高校のメンバーとは近日中に顔合わせがあるようだ。まずは大まかな役決めをする事になった。親しくないメンバーのため、居心地が良いようには感じられない。すぐに抜けたい気になったが、思いとどまった。これもあの子と会うためだ。結果、有意義な話し合いにはならず、俺と八朔さんで演技係になった。

 八朔 深沙………。後輩によると成績学年トップの秀才、剣道部に所属しエースとして活躍する。また、クラスでは学級委員を務め、生徒会長の有力候補となっている…。
結構力強いが、あまりこのような真面目優等生タイプとは相容れない性格のため、意気込みに欠けるが、役目を必要最低限全うしようと思う。

 顔合わせ。相手校の生徒会メンバーを招いてうちのA教室で行われた。目の前には二人の女子が。相手校の演技担当らしい。男のような格好をしたイケメンな方、黒髪を下ろしゆるく巻いている優しそうに見える方がいる。どちらもが宝塚と思えるほど美しく綺麗だ。緒環、生桑と名乗った彼女達には何処か見覚えがあった。話し方をみて確信に変わる。しかし、心の準備が追いついていないことに信じたく無い気持ちが加わり、言い出さずに心に留め置いた。間違えていた時のリスクも鑑み、諦めた。
「今回は我が杉撫高校との合同文化祭の件でお集まりいただき、ありがとうございます。細かい事などの打ち合わせをしていき、有意義な会議となるようにご協力よろしくお願いします。」
相手の生徒会長らしき人物が司会を務める。向こう側の対応が丁寧かつ適切で無駄がなくて格好良い。これが撫子か。こんなスマートな人材が社会では求められているという事をつくづく感じ、己と比べてしまう情けない自分がいてしまう。自分にしかできない事、需要にそぐう大変さを学んだ。

  話してみるとどことなくあの日の彼女を思わせる佇まいだ。まあ、彼女の姉妹だとか、そこ辺りだろう。
彼女について全く知らないが、実感の無い確信が生まれる。あの子のためにも、

 着々と準備が進められる。僕らは演技の運営、サポートを主に行う。あの時貰った連絡先に連絡を入れてみたが大人の女性が出て来て慌てて電話を切った。今思えば何故LONEを教えてくれなかったのかと疑問に思う。しかしあの時は教えてもらっただけでも嬉しかった。一度しか会った事のない相手、だが何か惹かれるのは彼女のテンポと自分が同じくらいで心地よく感じたからだ。
いよいよ明日から待ちに待った体育祭が開かれる。

 抜かりのない準備により、着々と準備を進めてきた。もちろん、練習では予想通りにいかないことも多々あったが、よくここまで完成させれたと自分でも己を褒め称える。幾ばかりか緊張していた心もこれでほぐれただろう。不安と歓びに体を震わせ学校へと向かう。

 

 
体育祭 当日



準備のため、集合時間がいつも通り早い。それも段々と慣れてきたところだ。しかしこれも今日で最後となる。彼女ともー。少し淋しいようにも思うが、そう考えると何か感慨深いものがある。待ちに待った体育祭がようやく開催される。俺らは運営業務担当ですることが山積みになっている。成功させるために最大限の努力をしよう、と誓う。不安要素はできる限り排除したつもりだ。

 ―今から開会式を始めます―
 うちの放送部員のアナウンスが響き渡る。生徒も遠くからではあるが、決意に満ち溢れているように見える。
やっと始まると気持ちを引き締めると同時にハチマキを固く結んだ。
競技も順調に進み、目玉であり我々の出番である演技の演目となった。演技が終了すると一旦昼休憩となる。
最終確認のため、打ち合わせをする。話す声も上擦り、心音がスピーカーで拡張されているようだ。日光の下というのもあるのだろう。大粒の脂汗が額にどっと溢れ今にも溢れんばかりである。あまりにもみっともなくて人に、特に緒環には見せたくなくて症状を助長させる。その様子からか、彼女が打ち合わせ後に話しかけてきた。「お互い、頑張りましょうね、」
ほのかに顔を赤らめ、下に目線を持っていく。恥じらう姿が愛らしい。流れる汗もきらめき、滴りながらも美しい。どこか甘い香りがする。一言告げると所定の位置へ戻っていった。
 ―プログラム10番、演舞。―
俺らは本部で機材の管理のためテントで待機している。他の奴らはスタンドでパネル等を披露する。
スタート合図の拳銃が打たれた。合わせてCDのボタンを押す。順調に演目が進んでいく。最後の緑ブロックの演技となった。同じくボタンを押す。しかしCDが割れていた。焦りが体中に広がり、助けを求めるため、周りを見渡す。その場には緒環がいた。
「、機材トラブルだ。CDが割れている。」
体が強張り、うまく発生できない。彼女は目を見開き、踵を返して何処かへ走り去った。
―二分後、生桑さんを連れてきていた。放送部からマイクを、吹奏楽部からサックスを取り上げるとスタンド上を落ち着かせ、アンプの近くで緑ブロックの使用する楽曲であるタコ娘の「楽曲名」を奏で始めた。ふとyouとwanoを想起させる。まるであのドーム公演の再来であるようだ。自分は抽選が外れてしまい、web参加となってしまったが一体感を感じ、大満足な神ライブだったのを思い出す。身体中の熱が一気に集まった、最高の舞台となり最高に自分も、観客も沸いた。

体育祭 打ち上げ
体育祭も無事終わり、運営メンバーで打ち上げをする事になった。まだ熱気も冷めやらぬまますぐに感想を述べたじろかせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 終わりがけに近づき、周りの顔に疲れの色が出始めた頃芙蓉とゆっくり話せる時間ができた。そこで思い切って、感じた事について質問してみた。ずばり、タコ娘のファンなのかという事である。彼女のバッグにタコ娘のモチーフぬいぐるみがついていた。このことで疑念が確信に変わった。これは数量限定の激レア商品であったため、俺も現地では手に入れられず、大手フリマアプリで苦労して手に入れた。その経験も相まって結構なファンであると踏んでのことである。彼女は恥じらいながらも肯定した。公言していないこともあってか初めて会った同志との話を高揚させながら話に花を咲かせた。いつにもなく曉舌(ぎょう、変換なし)になっていた。
彼女は結成当初からの古参のようで、自分も知り得ない情報を沢山持っていた。驚きもあったりと楽しいひと時を過ごすことができた。会計終わり、お開きとなった。帰り際、
「実は、私。前に遥馬に会ったことがあるんだ。」
と告白を受けた。思考を巡らすと、髪の色からあの、公園での芙蓉ではないかと思えた。少なくとも同じ学校であることから当たらずとも知ってはいるかもしれない。
「……もしかして、芙蓉って子?」
自信はないものの、尋ねると一瞬驚いた様子をみせたが、認めた。あの時の感謝と実行委員としての感謝を伝え、別れた。
ダチュラの告白
お気に入りの便箋を取り出す。私を連想するであろう言葉遣い、柄を選んだ。いつもタコ娘でのモチーフぬいぐるみをバッグに付けており、遥馬ともその話をしたので覚えてくれている事を信じている。ちなみに便箋の下の方には蛸の足が描かれている。何度かやり直しをし、したためた全容を一読し、誤字がないか入念に推敲する。
留守電には―河川敷にて黄昏時に話したい。来て欲しい。―とだけ送った。あの河川敷で黄昏時を待つ。遥か遠くの山の端を見つめ、その時を待つ。

 日が傾きかけ、夜が近づいた頃。スマホを何気なく見ていると電話に通知が一件来ているのに気がついた。待ち望んでいた、芙蓉からだ。内容を見てみるも、疑問の残るばかり。取り敢えず行ってみよう。空を見上げるともうそろそろ刻を迎えそうだった。自転車を走らせ、河川敷を目指す。河川敷までの道のりはいつもよりもずっと遠く感じる。早く着きたくて精一杯ペダルを漕ぐ。

 完全に日が落ちてしまった頃、やっとたどり着く事ができた。謝罪を述べ、隣に腰掛ける。街灯が点滅する。沈黙が辛くて話しかけると同時に重なってしまった。譲り合い、頬をぽっと赤らめて次第に笑いが起きた。ずっと思っていたことを確信する。やはりこの人は大切な人なのだ。自分を形作る上でなくてはならない一ピースであるのだと。芙蓉が口を徐に開く。
「今まで黙っていてごめん。実は私、タコ娘っていうバンドでyou名義で活動していたの。だから、結構前からあなたに会ったことがあって、いつも元気を貰っていた。今までありがとう。定期的にお手紙をくれて嬉しかった。長年応援してくれてたから貴方には一番に伝えたくって。私、タコ娘を卒業します。今までやってこれたのは遥馬含め支えてくれた沢山のファンがいてくれたおかげ。これからは緒環芙蓉としてよろしくお願いします。」話終え、顔を上げると驚愕した遥馬の顔がそこにはあった。その姿で手紙など渡せるはずもなく、踵を返し、走り去った。

 頭が追いつかない。途中から何を言っているのか、さっぱりだった。放心状態となり、長い間フリーズしたっ魔だった。断片的には芙蓉がyouで、youがタコ娘を引退する、―こんな感じだった気がする。

 翌日、ニュースアプリの見出しに『タコ娘 “you“電撃引退 理由は⁉︎』―と掲載された。記事によると引退の理由や引退後について全くわからないという。本人からは落ち着いてから会見を開くということだ。情報が何も頭に入ってこない。今日のところは学校を休む事にし、布団の中で今までの楽曲を延々と聞いていた。






今回は、いつも投稿しているものよりも長めに書いてみました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
遅れましたが文学フリマ福岡2023の時のものを出してみました。
文的に稚拙な部分や誤字脱字もあるかと思いますが、ご了承下さい。
登場人物の名前に入っている花は時期や花言葉を意識して使ってみました。
 丁度去年の文学フリマ福岡の際は秋だったので、秋の花々が多く出てきます。
意味もよかったら調べてみて下さい。

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